びーの独り言

どこいくの?どっか。

2011/07/18(月)祝「旅行4」

 0640起床、涼しくて風邪をひいた。布団との相性もよくなかったようだ。
 9時フォルクローロに行くとデミオが待っていた。9時から18時までで保険込みで6300円、割引とかはなし。受付の人が親切だったからよしとしよう。
 下北半島を左から回るか右から回るか考えた。98年は左から回った。今回の目当ては右上にあった。レンタカーの時間もあったので、一番見たいところから回ることにした。
 下北半島の右上の岬は尻屋崎という。ここには寒立馬という大きくておとなしい馬が放牧されている。13年前には強烈に印象に残った。記憶と照合しながら車を走らせた。緑の起伏の激しい山道を抜けると海になった。悪の工場ぽく見える場違いなセメント工場が出てきた。その先のゲートを越えると完全に草原になった。あれっ馬はいないなあ。馬糞はあるんだけど。やがて白い灯台が見えてきた。車を駐車場に停めて灯台まで歩くと、灯台の前に30頭くらいが集まっていた。こんなにいたのかと驚いた。寒立馬はずんぐりむっくりしている。太い首、太くて短い足、メタボなお腹。あまり動かなくておとなしい。近くまで近づいても平気だし、人を怖がったり攻撃してきたりもしない。むしろ向こうから寄ってくる。子馬もたくさんいた。しきりに母馬のおっぱいを吸っていた。お馬の親子のイメージそのまま。たまにブルルルとかヒヒンとかいなないて観光客をびっくりさせていた。青い空、青い海に白い灯台、緑の草原に馬の群れ。牧歌的風景が展開されていて、心が癒された。一日中ぼんやりしたかったが、それは次の機会にしよう。
 大湊線の終点から一つ手前の下北駅からはかつて津軽海峡に面した大畑駅まで大畑線が伸びていた。赤字のため地元のバス会社である下北交通に譲渡された。しかし、それも限界に達してついに2001年に廃線になってしまった。そもそも大湊線自体が人のいないところを走っている。その先に路線があっただけでも驚きである。終点の大畑駅では車両の動態保存が行われていることを知っていたので、国道で大畑駅に向かった。下北から大畑までは山越えであり、どこに路盤があったのか全くわからなかった。大畑は割りと大きな町であり終点になったのもうなづけた。青看にまだ大畑駅と書かれていたので行ってみたら、道に迷ってしまった。その代わり「この踏切は廃止されました」と書かれた小さな看板を見つけた。線路があったであろう左側をみると草がぼうぼうに伸びていた。これでは路盤なんかわかるはずがない。右側を眺めると駅舎があった。駅舎は下北交通の営業所として使用されていた。バスが2台、タクシーが5台くらいいた。車を止めたら怒られそうな雰囲気だったけど、駐車してみた。車庫とレールがそのまま残っていた。一言で動態保存と言うがこれは大変だと思った。どうやら下北交通の関係者が絡んでいるようだった。もう一台車が来たと思ったらレンタカー。写真を撮っていて同業者ぽかったw。
 大畑より先は津軽海峡に沿って大間まで大間線が着工されていた。因みに北海道側の戸井にも未成線があり、こちらは昨年GWに探索済み。大間と戸井は津軽海峡で一番距離が短く、青函連絡の有力候補だった。海沿いの国道を走りながら、きれいな海ではなく山の方ばかり見ていた。廃道サイト「山さ行がねが」では結構遺構が残されていたような印象を受けたが、国道からはほとんど見えなかった。下風呂温泉に到着。ここには大間線最大の遺構である多連アーチ橋があった。しかし、事前にわかっていたことだが、再整備されてしまい、コンクリートで補強、さらによりによって水色に塗られていた。風情も何もあったもんじゃなかった。しかも、誰もいない。成果が上がってない。戸井でも同業者はいなかったから仕方ないか。下風呂では大湯という外湯に入った。硫黄臭がきつく黄緑色をしていた。下風呂とはアイヌ語で臭い岩という意味らしかった。
 大間は本州最北端でマグロで有名である。98年に来たから場所的な興味はなかった。目的は海鮮丼だった。モニュメントの前にある「海峡」という店に入った。マグロ、ウニ、イクラの三色丼を注文した。マグロがすげえうまかった。ウニとイクラを上回るうまさ。マグロづくしにすればよかったと後悔。うまいものには心から感動させられる。これはまた来なければ!
 帰りは陸奥湾に沿って南下した。98年にも通った道だが、これが予想以上にぐねぐねしてアップダウンも厳しかった。ひたすら山の中。ハンドル操作とアクセルとブレーキが面倒だった。それでもレンタカーの返却の時間があったから進まないといけなかった。たまに小さな漁村があった。よくこんな陸の孤島みたいなとこに住んでるなあと思った。仏ヶ浦という奇岩で有名な場所があったが、時間切れで回れなかったorz。途中から内陸部に切れ込み、98年に車中泊をした脇野沢には寄らなかった。その代わり川内ダムに寄った。道の駅があったが、ひっそりとしてた。休みにひっそりしてるとこに誰が建てようと言い出したんだろ?こっちから大間に行く人っていないよなあ。
 大湊駅のフォルクローロで車を返却し、1817の電車で移動した。八戸到着は2042。少しでも東京に近づいておきたかった。事前にGETした「東横イン」。居酒屋も昔行った「えびす家」。煎餅汁が食べたかった。この店ってどちらかというとはいりたくなかったのだが、八戸駅前って他に選択肢がないんだよな。案の定ぼられた。とほ宿を覚えてから居酒屋トークしなくなったし、独り飲みは面白くなくなってきたなあ。