びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/08/15(木)年休「知床」

 しべつ海の交流館駐車場。起床は525。雨が降っていた。トイレに行って二度寝しようと思ったが、頑張って起きることにした。朝食後、昨日寝落ちしたブログの続きを書いて、髭剃り。
 650、出発。標津線廃線跡探索の続きをした。標津線には一昨日探索した厚床から根室標津までと今日探索する標茶から中標津までの路線があった。探索の情報はWikipediaと「歩鉄の達人」を使った。
 7時半、当幌駅跡。珍しいところに公衆トイレがあるなあと思ったら、駅跡でした(汗)。
 745、開栄駅跡。仮乗降場からの昇格組。ほぼ近くまでたどり着いたと思うけど、まったく痕跡がなくてわからなかった。
 8時、計根別駅跡。敷地は中標津町交流センターになっていた。正確な駅の場所はわからなかったけど、イージーだった。
 815、上春別駅跡。誰も通らなさそうな脇道にバイクが入っていったので同業者かと思ったらやっぱりそうだった。ここにはコンクリート製のホームが残っていた。平糸駅跡と同じホームに見えた。
 835、西春別駅跡。15年ぶり2回目。ここは別海町鉄道記念公園になっていて、サハリンに輸出されたD51-27やオレンジ色のキハ22があった。
 また公園には別海町鉄道記念館があった。ここは前回多分閉まっていたので初めて。展示では標津線のことが詳細に説明されており、別海町の本気を見た。別海町は植民軌道の廃線跡でも看板を立てて積極的に観光資源として利用しようとしているので、とても好感が持てた。
 945、セブンイレブン別海西春別店。麦茶を買った。
 1050、光進駅跡。別海町の資料によれば、ここにもコンクリート製のホームがあるようだった。資料に書かれてる住所をネット検索して近くまで行くと、光進の集落に出た。でも、なんか地図が合わないような?資料が間違うわけないよな。それに集落が近いし。何度も探したが、見つからなかった。ホームがあるのに見つからないのは一番イヤなパターン。いろんな角度から地図を見て試行錯誤を繰り返した。どうやら場所が根本的に違っていそうだった。その場所まで車で移動するのに8km!光進集落との位置関係もすっかりわからなくなった。祈るようにして行ってみると、別海町の立てた説明看板が立っていた。ホッとした。
 1115、泉川駅跡。泉川の集落がどこかわからなかったが、場所はすぐに見つかった。青看に「泉川■0.1km」となっていた。■には駅と書かれていたらしかった。駅前広場もなく完全に草むらだった。
 1145、多和駅跡。標茶駅からの釧網線標津線が分かれる位置にあったらしいが、痕跡がなくてすぐにギブアップした。
 標津に向かいながら、昼食の店を探すことにした。
 1210、カフェレストランカントリー。おばちゃん2人がやってる地元の食材を使った店、絶対うまい奴だった。うまい豚丼(6枚)を注文。めっさうまくてビックリした。豚肉はジューシーで、タレは甘すぎなかった。豚丼は最後にくどくなってもういいやとなることも多いのだが、遂に最後までうまいままだった。ここはコーヒー無料をうたっていてそれもポイント高かった。どれもが素晴らしかった。
 1255、出発。再び中標津を目指した。この頃になると曇り空がようやく晴れてきた。
 1325、中標津町交通センター。三度目の正直。資料室を開けてもらった。小さな資料室だったが、中標津の電光の駅名標や乗り場案内、サボなどマニア垂涎もののアイテムが展示されていた。
 標津まで戻って海沿いを羅臼を目指した(結局、標津と標茶を2往復した(片道68km))。
 1355、エネオス標津SSで給油。
 1445、道の駅知床・らうす。満車で臨時駐車場ができていた。羅臼には何も魅力的なものがなかった。ただ1箇所気になるところがあった。
 1455、ヒカリゴケ群生地(マッカウス洞窟)。25年前にやすをと訪れていて、ほとんど光ってるのがわからずショボかったのを覚えていた。逆にそれがインパクトになっていた。今回、行こうとしたら国道がトンネルに入るところで、トンネルができる前の旧道をナビが示した。そして、旧道はすぐにガードで通行止めとなった。徒歩で奥に行くと、崖がフェンスで囲まれていた。中には洞窟があり、そこがヒカリゴケ群生地だった。閉鎖された観光地は初めて見たかも?ここは崖が崩れて危ないらしかった。
 知床半島の南側を行けるところまで北上した。空は晴れて、海は青くて、ようやく夏の北海道らしい景色となった。やはり天気は重要だ。楽しみにしてた霧多布、落石、別海が曇りで、行ったことのある知床が晴れるのは皮肉だった。
 1525、相泊集落。道の両側に「この先行き止まり」「キケン道なし!」の看板が設置され、その先は砂利の駐車場になっていた。そこには入山届を書くようになっていた。近くにあるはずの碑を探した。「日本最北東突端地」。言いたいことはわかるが、意味不明だった。
 羅臼に戻り知床半島を知床横断道路で北側に移動した。ここはおそらく25年前と15年前に通っていた。ひたすら上りだった。すごく上った。知床峠のサミットを越えると、急に靄ってほとんどホワイトアウトした。結局、これかよorz。
 1645、知床五湖。25年ぶり2回目。前回は熊が出たということで3つくらいしか回れなかった。14年前弟子屈のとほ宿で「知床五湖カムイワッカの滝を有料にしようという人がいて、地元は反対してる」という話を聞いていた。実際どうなったのか知りたかった。駐車場に入る前に「一湖、二湖と展望台しか行けませんが、それでもいいですか?一湖、二湖はレクチャーを受ける必要があります」と言われた。迷ったけど、一応入ることに。料金は500円だった。すると、レクチャーは有料とのこと。聞いてないんだが?いくらかと思ったら250円だった。250円なら許せるかなと思った。名前、住所、電話番号を書かされた。スタッフはわさわさいてすべてバイトの大学生ぽかった。レクチャーは10分間隔でやっていた。17時からの受講者は私だけ。こんな靄っている日行く奴なんていないか?レクチャーしてくれたのは麦わらの中折れ帽を被った学生ぽい男性で、なぜか片言の日本語だった。ビデオが8分。注意点の説明でほとんどがヒグマ対策だった。なんだこれ?ヒグマなんて自己責任だろ?もう今まで散々いろんなところに行ったのだが?今さらここでこういうレクチャーをして足止めする意味がわからない。一湖、二湖の小ループコースは40分。プラス三~五湖の大ループコースは90分。三~五湖は熊が出たわけではなく16時までしかやってなかった。
 二湖から。靄っていて木が水面にリフレクトしてるのは見えたが、背景の山はまったく見えなかった。一湖も同じだった。展望台からの景色も同じ。すべて靄っていた。当たり前か。歩きながら思ったのは、250円でこれらのコースが維持できてると考えると、京都の寺より余程良心的かも。ただレクチャーには納得いかなかったが。
 25年前に行ったカムイワッカの滝は予約制となったのでスルーした。後で知ったが、完全ネット予約になったそうだった。シューズを貸してくれるらしい。要るか?自己責任だろ?
 18時、出発。斜里に向かった。
 行きしなに岩尾別ユースホステルを見た。旅人には有名なユースホステルだった。建物は手作りでボロボロと聞いていたが、コンクリート製で立派だった。ただ人気はなく営業してなさそうだった。調べると、2020年に閉館したようだった。
 1825、オシンコシンの滝。25年ぶり2回目。本当は15年前にも通過していた。昔の写真があったのでイメージ通りだったが、思ったより大きくて迫力があった。
 温泉を探したら、ウトロに6km戻る必要があった。斜里には適当なのがなかった。明日行く予定の越川に温泉があったので、そちらに行くことにした。
 1915、セイコーマート斜里店。ホットシェフのおにぎりおかかベーコンと、朝食用のパンを買った。車の中でおにぎりを食べた。
 越川温泉に向かった。斜里からは15km離れていた。越川までの道は真っ暗だった。民家もなかった。対向車もほとんど来なかった。
 1950、越川温泉。電気が消えていた。でも、入口は開いた。今回の旅行から持参した懐中電灯を使って建物に入った。臭いは温泉のそれだった。使われている形跡はあった。電気のスイッチを探したが、見当たらなかった。奥まで入ると湯船があった。スイッチを見つけたのでつけてみると、電気はつかなかった。大元のブレーカーが落とされてると思われた。撤収することにした。
 2025、道の駅しゃり。隣の親子連れがビデオを見ててうるさかった(父親が子供に「ビデオ見るか」と言っていた)。いろんな旅のスタイルがあるけど、わざわざ旅行に出てビデオを見るなら旅行に来るなと言いたい。少なくとも自分も道の駅で寝るのなら静かにすべきだ。なるべく道の駅を避けたいのは、こういうのがリスクがあるからだよなあ(道の駅での宿泊は基本的に禁止です)。他の駐車スペースに移動してようやく落ち着いた。トイレに行ったら右目が赤くなっていた。少し心配。何事もなければいいが。