びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/09/23(金)祝「高野山」

 4時半に起床。チェックアウトしたら雨が降っていたorz。雨が降るとは言われていたが、チェックアウトしなければよかったか?阪神尼崎駅の511始発で出発。
 今日は高野山を狙った。高野山は最後の大物だった。最後に残ったのは、滋賀から少し遠かったことと、密教が好きじゃなかったからである。それでも、仏像の話をする時はチラチラ出て来るし、国宝もあるようなので、行ってみることにした。
 大阪難波駅で南海に乗り換え。南海の長いエスカレーターに乗ると、いつも旅に出る感じがする。橋本駅乗り換え。ずっと寝てた。
 橋本駅から極楽橋駅へ。この区間を通るのは2回目。電車は高度を上げ続け、訳のわからないくらいの山の中へ。電車は右へ左へカーブしまくり、車輪はキーキー鳴った。山の中の小さな駅、紀伊細川駅で列車交換。なぜ駅員がいるだろう?紀伊神谷駅秘境駅。なぜここに駅があるのだろう?
 極楽橋駅からは高野山ケーブル。乗るのは2回目。前回は満員で気分が悪くなりそうだった。今回はガラガラ。傾斜がキツくて、テンションが上がった。ケーブルカーというより斜めのエレベーター。ただひたすらに森の中を走っただけで、眺望はなかった。
 高野山駅からはバス。前回は折り返したためw、ここからは未知の領域だった。わずかな乗り換え時間で乗り放題券を買った。901、奥の院前行きのバスで出発。カーブの多い鬱蒼とした森の中をぐねぐね走ると、女人堂が現れた。そこからは下りとなり、突如街が現れた。標高900mの仏教都市高野町だった。バスは街の中を走った。塔頭寺院がたくさんあって、どれも風情があった。
 未知の領域と書きながら、景色には何となく見覚えがあった。実は、M2の免許取った後に、安田が運転する車で高野山に行ったことがある。その時は一体どこを走ってるのかさっぱりわからなかったが、それっぽい街は出て来ていて、行ったつもりにはなっていた。まさかその時のことを今さら思い出すとは。不思議な巡り合わせだなあ。
 820、終点奥の院前で下車。本当は手前で降りて、コースをガッツリ歩くつもりだったが、うっかり乗り過ごしてしまった。
 高野山では奥の院が一番の見所とのこと。奥の院は理由はよくわからないが、一般的のお寺でもお墓があるイメージで、高野山もまた同じだった。高野山にはどういうわけか戦国武将の墓の半分以上があるらしい。けれど、お墓なんて見たいとは思わなかった。私が見たいのは仏像だった。また、奥の院では弘法大師が今も座禅を組んでいると言われていた。シュレディンガーの猫か?即身仏か?
 しとしとと雨が降る中を傘をさして歩いた。石畳の道の両側にはひたすらお墓が並んでいた。戦国武将ではなく、企業のお墓が多かった。従業員を弔っているらしい。へー。もしかしたら、うちの会社もあるのかもしれない。古いお墓は苔むしているのだが、企業のはピカピカに磨かれた墓石に、お墓には似つかない見慣れた企業ロゴが入っていたり、面白い形の墓石などがあった。ヤクルトのお墓ではヤクルトの容器の形の墓石が置かれていたのは斬新だった。ここにはお墓の持つ不気味な雰囲気はなく、企業がうちは従業員のこと思ってますよと宣伝しようとしてるようだった。
 一応、豊臣秀吉織田信長のお墓があった。本当に遺骨が入ってるのかはわからなかった。他の戦国武将のお墓は、ショートカットした手前の方にあるのだろう。ビッグネームだけで充分だった。
 840、奥の院。暗い堂内に、天井にたくさんの灯篭がぶらさがっていて、柔らかい光を放っていた。わざと幻想的な雰囲気を演出しているようだった。心の中に極楽は現れなかった。
 裏に回ると、地下への入口があり、弘法大師の仏像に触れられるようだったが、コロナのため閉鎖されていた。
 915、バスで奥の院前から千手院前へ。
 925、金剛峯寺。江戸時代の再建。なのに中にある襖絵は古かった。どういうことだろう?密教の総本山だけあって門跡寺院のようにたくさんの部屋があり絢爛豪華だった。質実剛健とは言いがたくて、成金趣味に思えた。庭は白砂から岩がいくつも突き出ていた。初めて見る形式。何が何を現しているのかは不明。白砂はあんまり白くなくて、普通のよりも茶色がかって見えた。もっといい砂を使えばいいのに。もう一つの庭は小学校の校庭のように何にもなくて、バックが生垣のようになっていた。斬新ではあったが、加工しなさすぎて、何の芸術性も感じなかった。
 腹が減ったのでファミリーマートでおにぎりを一つ買って食べた。
 1040、壇上伽藍。奥の院と並ぶ目玉。中門、金堂、根本大塔など。特に根本大塔が中心。どれも真新しくて朱色に塗られており、まったく面白くなかった。周りにある小さなお堂たちは朱色ではないが、これまた江戸時代。この辺りは江戸時代にすべて焼けたらしい。国宝の不動堂だけは他所から移築したとのこと。
 どのお堂の仏像も奥の方で暗くて見えないか、金ぴかで密教特有の厨二病的な名前がついていて、まったく興味がわかなかった。正直、高野山に来たのはハズレではないかと思い始めていた。
 1155、「丸万」。客がいないのが気になるが、精進定食。そこそこおいしかったけど、基本的に薄味。今後、精進料理は止めた方がいいな。
 12時半、霊宝館。ここが最後の望みだった。国宝も多数あるらしかった。1300円の入館料も期待させた・・・と思ったら、壁が崩れたところがあり、一部閉鎖になっていて、800円に。しかも、愛媛の博物館で特別展示をやるらしくて出張の予感が。ようやくまともな仏像がチョロっとあった。快慶は珍しかった。でも、鎌倉だし今さらなんだよな。あるあるなんだけど、国宝は収蔵してても展示してないパターンだった。展示の大部分は絵画だった。絵画は面白くないんだよな。
 1333、バスで霊宝館前から大門へ。
 大門は入口の門で大きかった。朱色に塗られていた。
 1349、バスで大門から千手院前。
 1410、金剛三昧院。ここには国宝の多宝塔があった。今日見た中では一番よかったのだが、北条政子。鎌倉orz。
 バスで千手院前から苅萱堂前。
 14時半、苅萱堂。悲しい話が伝えられているが、現代の感覚にはマッチしなかった。仏像には幕がかかっていて見えなかった。
 1441、バスで苅萱堂前から女人堂。仏像はダメ。
 1450、女人堂。高野山は女人禁制で、女人堂までしか行けなかった。仏像はダメ。
 1457、女人堂から高野山駅。1512、高野山ケーブル極楽橋特急こうやなんば駅まで。近鉄近鉄奈良駅まで。
 天理スタミナラーメンの後、猿沢池近くの「古っ都ん100%」。泊まるのは2回目。
 今日は雨の中眠いのに本当よく頑張った。でも、結果はとても残念だった。密教は仏像よりも曼荼羅だし、仏像があっても阿弥陀如来を越える大日如来や、二十五観音、五大明王とか厨二病丸出しなんだよな。元の概念を否定して、新しい概念を持ち出すことが、カッコ悪い。炎の前で加持祈祷するのも、インチキくさい演出にしか思えない。空海があちこちにやたらと伝説を残してるのも怪しい。心の中に極楽は現れないし、得られるものがなかった。
 まさか最初の高野山ケーブルまでがハイライトになるとは思わなかった。そして、もう二度と来ることもないでしょう。