びーの独り言

どこいくの?どっか。

2012/09/16(日)「旅行3」

 起床はちょっと遅い7時。二日酔いで気分悪く。それでも電車は待ってくれない。0808水沢発盛岡行きで出発。
 水沢―盛岡―宮古―小本→田野畑―久慈―本八戸。
 盛岡で予定のない駅弁「前沢牛めし」を買ってしまった。初めて食べるわけでもないのに何やってるんだか。しかも、盛岡は改札外が充実してるのにorz。
 盛岡から宮古に向かった。山田線は1日に4本しかないので乗るのがとても難しい。前に一度乗ったことがあるが、うっかり寝てしまったので、ずっともう一度乗りたいと思っていた。今回は臨時快速「さんりくトレイン」。指定を取ったら窓側はいっぱいだった。でも、自由席はがらがらだったり。臨時列車は特別な車両であることが多い。この車両は3両編成で両端が展望席になっていた。見たことがない車両はいくらでもあるもんだな。山田線はとんでもない山奥を通っていた。さすが大志田と浅岸という秘境駅を2つも抱えているだけのことはある。こんな凄い路線があるなんて、鉄の道はまだまだ奥が深いなあ。
 宮古では1時間待ち。宮古には一度泊まったことがあるから、津波でどうなったのかが気になっていた。駅前は何かのイベントをやっていてすごく活気があった。特に変わりがないように見えて安心した。昼食は市場にある「まんぷく食堂」。2500円のうにいくら丼を食べたけど、味がしなかった。もううにといくらには舌が反応しなくなっている。コスパも悪いし、これからは食べない方がいいな。
 三陸鉄道北リアス線に乗った。三陸鉄道津波被害の直後に一部運転を再開した。このニュースを聞いたときとても感動したのを覚えている。途中津波被害が大きかった田老を通った。田老は昔から津波の被害が大きなところでスーパー堤防が築かれていた。しかし、昨年の津波は堤防を越えて、内側の集落を壊滅させてしまった。堤防の内側の更地の中で、がれきが一ヶ所に集められて山になっていた。一体どうしたらよかったんだろうか?
 小本から田野畑の間には島越駅があるが、そこが壊滅したのでバス代行になっている。バスは内陸の山の上にある国道45号を通ってから、やがて国道を離れ山間の入り江に下っていった。入り江の高台に田野畑駅はあった。高台から見渡すと、ここもまた壊滅していた。山際のところに白い仮設住宅が10棟くらい建っていた。1時間の待ち時間があったので海岸まで下りてみた。下から上を見上げると、ある高さを境に建物が消え去っていた。元々家があったであろう場所にはすでに雑草が生い茂っていた。松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」という感じだった。
 再び田野畑から三陸鉄道に乗って久慈に向かった。いくつかのビューポイントでは震災前のように速度を落としてくれた。そういうところは入り江になっていて仮設住宅が見えた。きっと津波に遭ったんだろう。
 久慈からは八戸線に乗り換えた。八戸線も山田線と同様に寝てしまったパターンだった。車窓には時折海が見渡せたが、ここまで北上するとそんなに津波の影響はなさそうだった。
 宿泊は本八戸。新幹線の八戸駅ではなく八戸線本八戸駅。こここそが市街地の中心にある。本八戸に期待するのはもちろんグルメ。ネット調査で2番目に点数が高かった店がみろく横丁にあった。しかも、かわいい女の子が2人でやってるという。これはいがねが。みろく横丁は屋台村、若い人たちが中心になって町起こしのために作った。狭い路地に屋台がひしめき合って、おねえちゃんが元気に呼び込みをしていた。以前に帯広で見た屋台村と同じ雰囲気。「懐かし屋」には確かにAKBみたいな子がいた。ただ、まつげを盛ったコギャル。接客も全然ダメで、注文は覚えきれてないし、誰が何を頼んだかすぐ忘れている。そもそもメニューを覚えてないんじゃないか?味以前の問題で旅情も何もあったものじゃなく。居心地が悪いだけで、生一杯で移動した。ネット調べで1番の店は閉まっていたので、個人ブログで紹介されていた普通の居酒屋「祿文銭」へ。ダメだ。カウンターあるけどしゃべる雰囲気じゃない。せんべい汁だけ頼んで撤収。再びみろく横丁にアタック。でも、屋台は敷居が高い。他人との距離が近すぎて独りで入りづらい。空いてる店ははずれそうだし、お客がいると輪に入れなさそうだし。せんべい汁で腹が膨れていたので、次回の楽しみに残しておいた。これも旅である。