びーの独り言

どこいくの?どっか。

2008/12/22(月)年休「旅行③」

 新宮−紀伊田辺−御坊−西御坊−御坊−和歌山−貴志−和歌山−王寺−天王寺−(外回り)−大阪−千里丘。このルートを見た時点でピンと来た人はかなり鉄分が濃いだろうw。
 新宮からの紀勢本線は東とは違い人家が増えた。また、海岸線の割合も高くなり、海がとても美しかった。しかし、そのうちに飽きて眠くなってしまった。松前から江差の方が凄かったと思う私はダメかな。
 御坊から日本一短かった私鉄、紀州鉄道に乗った。今は芝山鉄道という怪しいのができて日本第二位の短さになったが、私の中ではいつまでも一位である。わずか2.7km。どうして存続できるのか。有名な話なのだが、実は不動産部門が儲けているようである。昔、淀屋橋のビルに思いっきり社名が書いてあって驚いたことがある。リゾート開発するにあたって、鉄道会社の信用力を利用したとのこと。さて、元は御坊臨海鉄道と言った。JRの御坊駅が市街から離れているので、駅と市街を結んでいるようだ。御坊に降り立つとゼロ番線にラッピング車両が1台停まっていた。乗ったら予告もなしにすぐに閉められた。心の準備もできないまま電車はスタート。客は私一人。大丈夫だろうか?様子はまるで銚子電鉄鶴見線かもしれない。民家の狭い隙間を走っていった。低速でガタガタ揺れた。踏み切りが結構多かった。4つ先の駅が終点西御坊。わずか8分の旅。すごい小さい木造の駅。写真をビシバシ撮った。予習して知っていたことだが、ラッピングがパチンコ屋の宣伝だったからちょっとイヤだった。車止めの奥にも線路は続いていたが、小さな川の部分は橋が完全に撤去されていた。帰りは何人か客がいた。マニアじゃなく地元の人。地元の足として愛されてるのかもしれない。とてもレトロな雰囲気の残る路線、これは面白かった。
 和歌山からは和歌山電鉄に乗った。元々南海電鉄だったが、売りに出されて岡山電気軌道が買い上げた。そんときなぜ岡山の市電が、と違和感を感じたのだが、調べてるうちに水戸岡鋭治氏にたどりついた。あのJR九州の個性溢れるおしゃれかつ実用的なデザインは水戸岡氏の仕事であった。水戸岡氏は岡山出身であり、岡山電気軌道の車両もデザインしていた。そして、和歌山電鉄を立ち直すべく新車両をデザインした。それが、いちご電車おもちゃ電車である。HPを見ていて、とても乗ってみたいと思わせる魅力があった。和歌山駅の8番線に行くとまさに目の前に白と赤を基調にしたデザインのいちご電車が停まっていた。一気にテンションが上がった。中は子供やら高校生で満員だった。そして、期待通りの斬新な心温まるデザイン。床はフローリング。クッションはいちごのマークをモチーフにし、幌の部分にはいちご電車とロゴが入った赤い暖簾、広告は全て取り外されクリスマス専用の絵に変わっていた。乗ってるだけで楽しくなる電車で、景色なんてほとんど見てなかった。終点の貴志駅に到着。この駅には猫の駅長たまがいた。7人くらいが集まって写真を撮っていた。ガラス越しにたまと家族の3匹が電熱マットの上で寝転がり、たまは盛んに顔を洗っていた。このたまのおかげで和歌山電鉄は一躍全国区の知名度となり、10%も売り上げが伸びたそうである。第3段の電車はたま電車の予定だそうだ。
 和歌山に戻り、井出商店で和歌山ラーメンを食べた。店に入るなり強烈なラードの匂い。味は天下一品に近く、ねっとりとした茶色のスープに細めん。少し塩辛いがそんなには気にならない。個性的でそれでいてよくまとまった味だった。
 紀勢本線の残り区間和歌山市駅に行きたかったが、時間が合わなかった。その代わり、和歌山線に乗った。小学生の頃、「釣りキチ三平」で西笠田駅が出てきて紀ノ川で何かを釣る話だったと思うが、それ以来四半世紀にわたり気になっていた。実際の駅は漫画で得た鄙びたイメージはなくて、そこそこ新しくなってるようだった。紀ノ川沿いは鄙びているのかと思いきや、結構往来があるようだった。景色は河岸段丘の上を進むので、とても見晴らしが良かった。手前に雄大な川が流れ、ちょっと遠くに山々が見えていた。時間の流れが遅くなってるような錯覚に捕らわれそうだった。
 実家に泊まり、走りに行った。結構、文化住宅や長屋が残っていることに驚いた。走り抜けると小学校時代に住んでいた地域がいかに狭かったか思い知った。あのとき広いと思った道も、今では狭かった。懐かしい町、変わっているところやそうでないところ。一番変わったのは私で、変わってないのも私かもしれない。