びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/01/02(月)祝「日南」

 起床は715。深夜210頃、車にドシンと振動が来て「大丈夫?」という声が聞こえた。騒いでる連中がぶつかったみたいだった。ふざけんなって感じだった。眠りを妨げられたのはもちろんだけど、車に傷が入ってないかが心配だった。ドアパンチを食らったのかもしれないし、何かイタズラされたのかもしれない。タイヤがパンクしてたらどうしよう?遠くで奴らの笑い声がした。
 そのまま眠ることも出来ず、外に出ようとしたら、目の前を犯人だと思われる4人が通り過ぎた。2人は子供のように見えた?そいつらは隣の黒い乗用車に乗り込んだ。隣か?私はトイレに行った。するとその隙にそいつらはいなくなってた。スマホで照らしながら、車の周りをチェックした。一応傷はなさそうだったが、なぜか給油口の蓋が開いていた。もしかして、ガソリンを盗まれた?それとも何か異物でも入れられた?しかし、それ以上に出来ることはなく、寝るしかなかった。
 起きてすぐに車を確認したけど、見た感じでは何もなかった。これでだいぶ安心した。それにしても、悪質だった。騒ぐ方がまだマシに思えるくらいだった。気分の悪い朝だった。
 起きたら皆が海に向かって写真を撮っていた。日が昇って光の道を作っていた。よく見ると海岸は鬼の洗濯板状態だった。南国ムード満天のフェニックスが生えていた。植生が変わると遠くに来たことを実感できる。
 朝食は昨日の極楽湯で買ったチーズパン。とてもおいしかった。ブログを修正して、9時に出発。
 少し北に戻って青島を目指した。青島へはすぐだった。人気観光地だけあって、無料駐車場はないようだった。910、コインパーキングは500円。
 少し歩いただけで南の島みたいな景色になった。どこかのホテルにでも迷い込んだのかと思った。砂浜に出ると、遠くまで見渡せる青い海と白い砂浜が続いていた。まるで紀伊半島の三重側の海岸のようだった。南の方の砂浜の先には砂州が伸びていて、その先には青島があった。砂州の上にはコンクリート橋がかかっていて、たくさんの人が歩いていた。コンクリート橋の周りは鬼の洗濯板となっていた。これは正式には砂岩泥岩互層と言って、硬い層と柔らかい層が海底にて交互に積み重なり、隆起したものだった。
 青島には青島神社があった。砂浜には朱色の鳥居が立っていた。神門を潜ると拝殿だった。拝殿の右には小さな門があった。中は亜熱帯のジャングルのようだった。ビロウという植物の林だそう。ジャングルの先には祠があった。元宮と言うらしかった。ジャングルの中にある祠はインパクトがあった。
 かつては新婚旅行の定番と言われた青島は、確かに美しかったが、観光は一瞬だった。10時、出発。1005、国道沿いにある青島パーキング。青島の俯瞰写真が撮りたかった。でも、あんまりだった。ドローンじゃないと無理か?1020、出発。
 昨晩道の駅フェニックスに行くために通った道は堀切峠と言うらしかった。改めて通ってみると、素晴らしい眺望だった。遠くまで海が見渡せて、海岸には鬼の洗濯板、丘にはフェニックスが生えていた。宮崎のイメージのすべてをここに凝縮したかのようだった。ちょうどレミオロメンの「Stand By Me」がかかって、テンションはMaxだった。
 日南海岸を左手に見ながら南下。鵜戸神宮を目指した。鵜戸神宮は地図で見ると半島の先っぽの寂しそうな場所にあった。鵜戸神宮の手前の道は初詣客で大渋滞していた。1120、ようやく駐車場。30分かかった。
 鵜戸神宮神武天皇の父親を祀っていた。日向には日本書紀由来の神社がたくさんあるが、今回、とてもすべてに行くことはできなかった。もう少し勉強して、また行く機会があればいいな。
 鵜戸神宮の参道は海に面した崖の上にあり、海岸の見晴らしが美しかった。まるで展望台のような場所だった。本殿に行くには崖を階段で降りる必要があった。たくさんの人が行列を作っていた。本殿は海蝕洞の中にあったので、崖の上からは見えなかった。今回は本殿が見たかったので行列に並んだ。
 本殿は原始人が住んでそうな崖に空いた窪みに収まっていた。場所が場所だけに威厳があるような気がした。普通と違う立地や到達困難性から、インパクトは絶大だった。いい思い出になるだろう。1225、出発。
 飫肥城に向かった。飫肥城のことはよく会社の人から聞かされていて、ずっと気になっていた。百名城にも選ばれてたはず。
 1250、飫肥城駐車場。元々、飫肥という地名すら知らなかったのに、こんなに城が大きいとは。期待感が膨らんだ。
 飫肥城下町案内処で情報収集。ボランティアのおじいさんとおばあさんといろいろ話した。
 1315、おび天「蔵」。正月なのに開いていた。かつおめしと、おび天盛り合わせにした。かつおめしはご飯にかつおの刺身を乗せてお茶漬けにしたもの。宇和島の鯛めしと近いと言われている日向めしとはこれか?おび天は名物でよく話に出てきた。
 かつおめしはまあまあだった。ちょっとかつおの臭みが気になった。元々漁師メシなので細かいことは気にしないのかも?おび天はさつま揚げの風味豊かな感じだった。とてもあまくてうま味が凝縮されていてうまかった。
 飫肥城の大手門はとても立派だった。中に入ると虎口となっており、立派な石垣があった。これらはどうやら平成の時に再現事業が行われたようだった。日南市の本気が伝わってきた。
 1350、松尾の丸。飫肥城に昔存在していた建物を再現した。かなり大きな建物だった。説明が素晴らしく、日南市の力の入れようが伝わってきた。飫肥城は島津家が支配していたが、途中から伊東家が奪った。伊東家は伊豆の伊東である。そこから島津と伊東の対立が始まった。結局は伊東家が5万石を得て、明治まで存続した。
 1440、歴史資料館。ここもまた説明が素晴らしかった。日南には凄腕の職員がいるに違いない。
 1515、豫章館。明治になってお殿様が住んだ屋敷。ただ家と庭があるだけであっさりしてた。
 1525、小村記念館。ポーツマス条約を結んだ小村寿太郎飫肥出身だった。ポーツマス条約とは、日露戦争講和条約のこと。ロシアから賠償金を得られなかったことで批判的に見られている。しかし、実際はかなり日本に有利な条件を引き出したとのこと。このあたりの真相はちゃんと調べてみたい。1625、撤収。
 城下町を歩いた。ここは重要伝統的建造物群保存地区だった。武家屋敷がかなり雰囲気のよい街並みを形成していた。まるで萩や丹波篠山のようだった。
 田ノ上八幡神社。長い階段があり、由緒のありそうな神社だったが、参拝客は誰もいなかった。
 1720、出発。日南市に移動した。宮崎から飫肥まで何にもなかったが、日南はそこそこ大きな街だった。堀川運河を見に行った。石積みのアーチ橋が架かっていた。路駐して銭湯を探した。近くの2箇所に電話したが、やってなかった。3箇所目の串間でようやく開いていた。串間までは30kmあった。日南から串間までの海沿いの景色を楽しみたかったのだが、今回はランニングを優先している。串間へは海沿いではなく陸地の道をショートカットした。ここは日南線が通っていた。
 1845、串間温泉いこいの里。ジャージに着替えて走ろうとしたが、左膝の裏や踵が痛くてすぐに断念した。おそらくこの旅行中に走るのは無理だろう。温泉は500円。お湯はぬるぬるしていた。パンを売ってたので2個買った。極楽湯といい、温泉でパンを売ってるのはなぜだろう?私のようなものがいるからかな?2020、出発。
 やっぱり日南から串間までの海が見たいので北上して日南の近くの道の駅まで戻ることにした。さっきの内陸の道を通るのはつまらなかったので、海沿いの道を走った。海は漆黒の闇であるのかないのかわからなかった。他の車はまったく走ってなかった。
 2040、トイレがあったのでパーキングに駐車した。恋ヶ浦と言うようだった。狭いスペースで絶対誰も来ないだろうと思ったら、すぐにピンポイントで2台やって来てしんじられなかった。車の外にウェットスーツをかけてたことからサーファーだと思われた。どうやらここはサーフィンの場所だったようだ。私はその人たちと過ごすのがイヤだったので、北上を再開した。
 真っ暗のぐねぐねでアップダウンがある狭い道をひたすらハイビームで走った。ハンドル操作を間違えば、ガードレールを突き破って海に落ちるかもしれない。なんか九州に来て真っ暗な道ばっかり走ってるような?
 道の駅なんごうには、あまり車は停まってなかった。海沿いでも不人気なところはあるんだな。驚くほど静かだった。2220に、街頭の灯りが消えた。今夜はよく眠れそうだ。
 今日も頑張った。青島と飫肥城で満点かと。明日で折り返しなので、帰りのこともそろそろ考えないとなあ。

2023/01/01(日)「臼杵」

 起床は6時。昨晩、休眠前にうるさい連中が来てヒヤリとしたが、結局はよく眠れた。朝食はカールうす味。ブログを修正して、720に出発。
 せっかくなので佐賀関半島の先端、関崎で初日の出を見ることにした。海沿いのぐねぐね道を走った。するとその場所に明らかに似つかわしくない巨大な工場が出てきた。まるで映画に出てくる悪の工場だった。そこからは離合困難な一車線の道となった。
 840、途中の見晴らしがいい場所で数台車が停まっていたので、それに便乗した。既に日は上っていたが、地平線に平行に雲が出ており、雲から日が出ているように見えた。海には光の道が出来ていた。先に進んで同じように写真を撮った。関崎の先端をぐるっと回ると、黒っぽいきれいな弧を描いた砂浜が出てきた。黒ヶ浜というらしかった。砂浜は黒い小さな石で覆われていた。後で調べると、日本の渚百選に選ばれていた。ここからは何も障害物がない海から昇る初日の出を撮影することができた。
 半島を一周しようとすると、Google Mapに「海へと続く線路」が表示された。線路とは聞き捨てならない。もしかして廃線跡か?
 8時、海へと続く線路。漁師小屋から砂浜の波打ち際までレール2本が伸びていた。船を上げるためだと思われた。言い方一つで観光スポットになる好例に思えた。写真も面白いものが撮れた。
 半島の漁村をいくつか通り過ぎたが、どの家も立派に思えた。関アジ関サバで稼いでるのかもしれない。
 臼杵へ移動した。850、臼杵石仏の駐車場。仏像趣味者としては絶対に押さえておきたかった。尼崎の時には存在に気づいていたが、電車旅だと駅から離れていて、バスもあまりなくて、到達困難な場所だった。
 佐賀のおじさんから着信があったことに気づいたので電話した。新年の挨拶を交わした。おばさんやいとことも話した。臼杵にいることを言うと、当然佐賀にも顔を出せという話になった。
 940、臼杵石仏。入り口で餅を配っていた。嬉しいんだけど、旅行中だとどうしようもない。どこかで電子レンジ借りるしかないか?
 臼杵石仏はなぜ彫られてたのかはよくわからないらしい。作例から平安後期から鎌倉にかけて彫られたのではないかと言われている。磨崖仏として、規模が大きく、ほとんどが国宝に指定されている。主に4つの群に分かれていて、それぞれ明確に作風が変わっていた。
 木で出来てる仏像がそのまま石でできている感じだった。木で出来てる物よりもありがたいような気がした。結構、脱落している箇所も多かったが、かえってそれが長い時間風雪に晒されていたことを表していた。来てよかった。大満足だった。スマホでの解説も素晴らしかった。臼杵やるな!1105、出発。
 石仏のところに貼られていた観光ポスターが気に入ったので、臼杵観光をすることにした。11時半、臼杵市観光交流プラザに車を停めた。目の前の山には臼杵城跡があった。石垣が崩れそうなのか中には入れなかった。
 二王座歴史の道。ポスターに写っていた場所。石畳の狭い道で坂道になっていた。まるで京都の三寧坂のようだった。ここは重要伝統的建造物群保存地区ではないが、そのうち指定されてもおかしくないだろう。
 二王座歴史の道には直良信夫顕彰記念館があった。直良信夫は明石原人の骨を発見した人だった。まさか臼杵で明石原人と出会うとは!旅では時折思いがけない出会いがあって楽しい。
 臼杵には印象的な三重塔があった。由来は不明だけど、なかなか珍しかった。
 12時半、福良天満宮。なんかよさげな神社だった。鳥居を潜ると石段が大行列してた。何の行列かわからなかったので、すぐに撤収した。
 1250、臼杵市観光交流プラザ。中に入ると臼杵の説明展示があった。先に読めばよかった。
 駐車場の車の中でこの先の作戦を立てた。この先にはあまりそそられる物件がなかった。1310、出発。とりあえず何もないけど、隣の津久見に向かうことにした。前に津久見駅からは巨大工場が見えた。
 津久見。国道を跨ぐ巨大なパイプが2本あった。巨大な工場は大平洋セメントだった。この街は完全に企業城下町と言った風情だった。13時半、給油。
 「ジョイフル」で昼食。ジョイフルと言えば、勝田線の探索の時に宇美で行ったよな。九州では納得の一手。カラダよろこぶ12品目のバランスサラダと、ねぎトロ丼を注文した。1440、出発。
 佐伯、延岡はスキップして日向に向かうことにした。全部回ってたら時間がなんぼあっても足りない。東九州道津久見ICから乗車。この辺りはリアス式海岸らしかった。リアス式海岸は山ばっかりで面白くないイメージ。特に佐伯から延岡の県境区間は酷かった。門川ICで下車。
 日向に入ってから向かったのは、国鉄細島線の細島駅跡だった。細島線は日向市駅から分岐して3.5km先の細島駅を結んでいた。主に貨物輸送をしてたが、旅客も扱っていた。前々からどういうところなのか気になっていた。
 1620、細島駅。細島港に面した広い草むらと朽ち果てたホームがあった。1972年には旅客扱いが廃止されていた。大体早い時期に廃止されるところって、人がほとんど住んでなかったりする。
 1640、大御(おうみ)神社。日向の伊勢神宮と呼ばれているらしい。たくさんの人で賑わっていた。本殿も拝殿も海に面していた。そこにはたくさんの人が並んでいた。福良天満宮で見た行列は参拝の順番待ちだったのね。
 ここには日本一巨大なさざれ石があった。さざれ石は君が代に出てくるが、どういうものなのかよくわからなかった。要は小さな石が集まって巨大な石になったもので、ここでは礫岩のことを指していた。後で調べると、広義では礫岩を含むが、狭義では含まないらしかった。
 隣にあった鵜戸神社。海蝕洞の中から海を見ると、まるで竜が空に昇るみたいとのこと。さすがに遊び心が過ぎるような?17時半、出発。
 1750、日豊本線美々津駅。美々津は小さな漁村で重要伝統的建造物群保存地区に指定されていた。集落の中の石畳の道を車で走った。すっかり暗くなっていて、通りの様子はわかりづらかった。ただ、どの家も名前を書いた四角い提灯を玄関先に掲げていて、提灯が光ってクリーム色の光を放っていた。夜じゃないと気づかなかっただろう。
 美々津にはもう一つ気になる物件があった。この先にはリニア実験線の跡地があった。しかし、暗くて時間も遅いので探索を断念した。
 1845、都農駅。リニア実験線の終点だったが、よくわからなかった。駅舎がLEDで色とりどりにライトアップされていた。
 銭湯を探したが、宮崎市まで行く必要があった。また洗濯もしたかった。東九州道を都農ICから宮崎西ICまで。70kmの対面通行の道を100km以上で飛ばす車ばかりだった。酷くない?
 1905、宮崎駅近くの極楽湯。今日も走りに行った。ただし、昨日の下り坂で左膝と踵を痛めたかもしれなかった。ゆっくり短目に切り上げた。極楽湯は尼崎にも宇都宮にもある全国チェーン。ご当地感はないけども、お風呂の内容は保証付きだった。
 22時、コインランドリー。全自動の70分コース。1000円。待ち時間は車でブログを打っていた。洗濯が終わってもブログが書き終わらなかった。洗濯物を畳んで、2350、出発。
 南にある道の駅を目指した。道路は私の車以外通っておらず、怖いくらいだった。もしかして、北海道みたいな状態かも?宮崎で一番の見所である青島を通り過ぎてしまった。明日出直すか。
 2425、道の駅フェニックス。さすがにこの時間だと寝床を作るのに気が引けた。でも、道の駅だし許して。ここにも奇声をあげてるのがいた。九州の道の駅はたまり場になってるのかもしれない。それとも海沿いだからよくないのか?
 今日は予定してなかった臼杵がなかなかよかった。大洲に続く隠れスポットだった。美々津はもう少しゆっくり回りたかった。あと西都原古墳群もスキップした。人生の選択とは選択肢を選ばないことである。縁があれば、また訪れるチャンスもあろう。

2022年

 今年は前半ボロボロだったが、後半は一気に調子が上がった。一年を通じて、かなりあちこちに行くことができた。やっとアクティブに動けた年だったように思う。来年もこの調子を維持したい。

・寺巡り(明日香、奈良、京都、鎌倉)
・GWの旅行(伊根、加悦、出石、倉吉、松江、鞆の浦)
・滋賀での戦いから、東京への転勤。
・夏の北海道旅行(襟裳岬、帯広、廃線跡巡り)
・週末車中泊(新潟、長野、山梨、日光)
・京都の紅葉(嵐山、清水寺、東寺、東福寺)
派遣さんとの仕事
・隊長の退職
・ダイエット開始
・冬の九州旅行(途中)

2022/12/31(土)「国東」

 起床は550。まだ真っ暗だった。結局、暴走族は戻ってこなかった。夜は不気味なくらい静かだった。朝食はきびだんご。ブログを修正。7時半、出発。
 今日は国東半島のお寺巡りにした。本当は海沿いを一周して終わりにするつもりだったが、昨日の夕方に国東半島には独特の仏教文化「六郷満山」が根付いてることを知った。六郷満山とは国東半島の6つの集落に伝わる神仏集合の文化である。神仏集合は宇佐神宮から発展したとのこと。西の比叡山と言われており、いずれのお寺も天台宗である。ここには平安時代に作られた仏像がたくさんあった。
 海沿いを豊後高田に戻った。750、長崎鼻。指宿にも同じ名前の岬がある。ここはキャンプ場になっていた。キャンプ場に入っていくのは人の楽しみを邪魔するようで好きじゃないんだよな。ここからの景色はどこから展望すればいいのかよくわからなかった。その代わりに、行者洞穴という海蝕洞穴はインパクトがあった。これは、陸地に巨大な窪地が出来ていて、中に降りていくと小さな入り江になっているものだった。815、出発。
 840、豊後高田で給油。豊後高田は「昭和の町」を謳っていた。全国にはそういうところがたくさんあるんだが?チラッとそれっぽい商店街入り口のアーチが見えた。
 お寺はほとんどが国東半島の山の方にあった。9時、富貴寺。どこかで聞いたことある名前。おそらく国宝の大堂があるからだろう。大堂は平安のお堂だったが、年月の割には新しく見えた。榧の木を使ってるからかもしれない。中の内陣には、阿弥陀三尊があった。薄くてお顔がよく見えなかったが、凄くいい雰囲気だった。
 裏山の階段を登ると祠があった。寺と神社が一体になってるのが六郷満山の特徴。そして後々何度も石段を登る羽目になる。
 帰る時に入り口の階段の途中に白い猫がいた。階段の下にはトラ猫がいて、目があった。945、出発。
 955、真木大堂。入り口に迷い猫の貼り紙があった。さっきのトラ猫に似てるではないか!思わず貼り紙の電話番号に電話した。すると、猫は戻ってるとのこと。迷子の猫はいなかったんだね。よかったよかった。
 真木大堂には9体の平安仏があった。収蔵庫はガラス張りだった。あまりガラスは好きじゃない。御利益が薄そうな気がするから。真ん中に丈六の阿弥陀如来坐像、左に日本最大の大威徳明王。右に不動明王とニ童子立像。どれも立派で、国東半島にあるのが不思議だった。昔、国東半島はどういうポジションだったのだろう?
 裏山にある祠を見ようと軽い気持ちで登ったらハードな山登りとなった。馬城山(まきやま)展望台。遠くに九重連山が見渡せた。へんてこな形の山が多いんだよな。1045、出発。
 1050、熊野磨崖仏。受付のおばちゃんに杖を勧められた。自分の脚で登れなくなったら終わりと思ってるので断ったけど、「高校生でも最後の坂はキツイと言いますよ」と言われたので、結局持っていくことに。
 ここの石段は鬼が積んだと言われていて99段とのこと。しかし、登ってるとそういう感じではなかった。あと200mの表示が出てから、しばらくすると小さな山門が現れた。そこからが心折れそうな天まで届く階段だった。まるでジャンプ台のように上に行くほど傾斜がきつかった。階段は乱積みと言って、適当に岩を並べたものだった。はっきりとした段になってないのに、99段とは?
 休み休み登った。最後の傾斜はまるで何かの冗談みたいだった。手すりはあったものの、近年の安全対策など、どこ吹く風。万が一バランスを崩して落ちようものならただでは済みそうにない。左手で手すり、右手で杖を衝きながら登った。杖は安全対策だったのか。
 磨崖仏は左に不動明王、右に大日如来。日本最大級。でも、写真でネタバレしてたし、風化が進んでいて、はっきりしない箇所もあった。あまり惹かれなかった。でも、どうやって巨大な彫刻を彫ったのだろうか?1150、出発。
 1215、天念寺。お堂は無人だった。平安仏があった。お堂の隣には長岩屋という窪みに石仏。さらに隣には神社。さらに隣には本堂。向かいの川の中には川中不動。岩に不動明王が彫られていた。実はここのハイライトは、山の中の崖にかかる橋だったことを後で知った。1235、出発。
 1245、長安寺。おばあさんが出て来たので、収蔵庫の鍵を開けてもらった。太郎天とニ童子立像があった。太郎天にはみずらがあり、まるで聖徳太子像のようだったが、不動明王本地仏とのこと。榧の木で出来ていてきれいだった。六郷満山では榧の木を使ってるものが多い。おばあさんとの話は面白かった。宇佐神宮最澄が中国に留学する前にお参りして、帰ってきてから神仏集合を進めたという話には興味をそそられた。だから、天台宗のお寺が多いのか!いい思い出となった。1325、出発。
 1340、両子寺(ふたごじ)。国東半島の中心にある両子山にあった。石段の前には石作りの金剛力士像。これは印象的な光景だった。肝心の本堂とかは面白くなく。1425、出発。
 1440、瑠璃光寺。平安仏があり、話好きの住職がいるとのこと。たまたま外にいたおばあさんが中に入れてくれた。すると、おじいさんが出てきた。おじいさんの話は訛ってて何を言ってるのかわかりづらかった。しかも、一方的に話されたのも苦痛だった。仏像もゆっくり見れなかった。時折、こういうおじいさんに捕まることがある。耳が遠いからだろうか?1505、出発。
 杵築へ移動した。大分空港道路の安岐ICから杵築IC下車。
 1535、杵築城。中の展示は細かかった。木付氏が始まりとのこと。木村に見えて仕方なかったw。1625、出発。
 16時半、酢屋の坂。城に貼っていたポスターが印象的だったから写真を撮りに来た。杵築はサンドイッチ城下町と自称していて、城下町の真ん中に大きな谷があり、城下町が二分されていた。酢屋の坂はその谷にある階段だった。ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定されていた。17時、出発。
 1740、別府のセブンイレブン。昼食抜きでお腹ペコペコだった。本当は大分名物りゅうきゅうを食べたかったが、漁師さんも休みだろうから見送った。年越しそばとして、毎年恒例のどん兵衛天ぷらそば特盛を買った。車の中で食べた。汁の処分に困って、全部飲み干した。1815、出発。
 車で銭湯に移動した。側溝から湯気が出ていた。さすが別府!途中から鉄輪温泉に紛れ込んだ。
 1825、夢たまて筥。ジャージに着替えて走りに行った。鉄輪温泉のメインストリートを走った。延々と石畳の上り坂が続いた。全然息がもたなかった。休み休み走って、地獄巡りのところで折り返した。あちこちから白い煙が上がっていた。温泉のお湯は茶色でさすがに温泉という風情だった。風呂上がりは座椅子でブログを打った。すっかり湯冷めした。22時、撤収。
 道の駅へ移動。近くにないのが道の駅。東九州道の別府ICから大分宮河内ICまで。下道を走り、道の駅さがのせき。駐車場は情報通り狭かった。大きなワゴン車の間に滑り込んだ。
 今日は国東半島のお寺巡りをした。全部は回れなかったけど、楽しかった。杵築も楽しかったけど、もう少しゆっくり回りたかった。ちょっと詰め込み過ぎなのかなあ?来年も頑張ろう!

2022/12/30(金)休「中津」

 起床は6時半。夜中に一度目が覚めたが、後はぐっすり寝てた。相当疲れていたのかもしれない。気がつけば、駐車場にはたくさんの車が停まっていた。人気パーキングだけある。昨日見えなかった関門橋ははっきりと見えた。朝食はカールうす味。ブログを修正した。昨日の走行距離は800kmを越えていた。740、出発。
 今回、九州を選んだのは、昔から夏が北海道なので、冬は九州になった。九州を本格的に車で走ったのは上野との98年冬以来かと。後は日田と指宿でレンタカーを借りた思い出がある。地図を見る度に、ずっと東海岸沿いが気になっていた。今回はそちらを攻めたい。
 東九州道へ。途中から対面通行。京奈和道を思い出した。中津ICで下車。そのまま中津日田道路は無料。耶馬溪の文字が出て来た。忘れてた!犬丸IC下車。
 840、ファミマで作戦練り直し。給油。
 中津日田道路を戻って、終点の田口IC下車。心細い道だけど、前に車がいるからなあと思ったら、一車線の山道へ。2台まとめてGoogle mapの被害者か?
 910、青の洞門。江戸時代に禅海上人が彫った素彫りのトンネル。山国川の崖を通るには鎖を掴んで渡るしかなかったが、村人が転落して亡くなることに心を痛めた禅海上人はノミ1本で30年以上かけて144mのトンネルを掘った。今の青の洞門はその一部が残ってるだけで、ほとんどは拡幅されて車道になっていた。しかし、禅海上人の利他的な献身性と鋼のように強い意志はずっと語り継がれるだろう。
 945、耶馬溪橋(オランダ橋)。石積みのアーチ橋。大正時代に作られたらしい。10時、羅漢寺橋。これも同じデザイン。後で上流にも同じデザインの橋があった。この奇妙な一致は気になるが?
 羅漢寺橋のところに羅漢寺駅の再現駅名標があった。これは大分交通耶馬溪戦の廃線跡だった。「歩鉄の達人」を見ると、トンネルや鉄橋満載のヤバイ廃線跡だった。そういや昔どこかでレポートを見たことあるような?今回、別にこれを狙ったわけではなかったが、ここで行かなかったら後悔するだろう。ということで終点まで行くことにした。終点までまだ20kmくらいあるので驚いた。
 1025、早速山国川に架かるヤバそうな鉄道橋が現れた。石積みの橋脚!大興奮!でも、橋を渡った後の路盤がよくわからなかった。本物かな?
 1040、久福寺呼猿窟。橋を渡ったところの崖の少し登ったところに、崖に埋め込まれたようにしてお堂が建っていた。印象的な景色だったので、思わず行ってみた。お堂の引戸は南京錠で施錠されていて、中を覗くと平安仏があった。ここは後述する羅漢寺の末寺だった。
 山国川沿いに山奥へ入っていった。廃線跡は道路の対岸にあり、サイクリングロードになっていた。白い柵がずっと続いていたので、車からでもたどりやすかった。路盤はとんでもない崖の中腹に張りついていた。とんでもない労力をかけて開削した鉄道は1975年に廃止になった。自転車で走ってみたいと強く思った。
 11時、山国川を渡る鉄道橋。緩いカーブを描きながら斜めに渡っていた。橋脚は石積み。今度は絶対に本物。全体が工事されていて、シートが被さったりしてた。わざわざ直すとは街の本気が伝わってきた。
 その後も廃線跡は人家や田んぼを避けるように山際を走っていた。鉄道って往々にしてそういうとこに敷かれる傾向がある。鉄道用地を安価に捻出するためだろうか?人家のない山奥に続く路盤、この先には一体何があるのだろうか?
 11時半、終点の守実温泉駅跡。商工会議所の建物の前に再現駅名標があった。聞いたことない温泉だが、鉄道を敷くくらい有名なのだろうか?
 青の洞門に戻る途中で、本物か疑いのある鉄道橋付近を眺めていたところ、サイクリングロードの白い柵は別にあったので、偽物だということがわかった。知らんけど。
 12時、羅漢寺。なんか名前を聞いたことがあった。入り口から立て看板。境内は撮影禁止とのこと。ここにはリフトがあったが、それは寺とは関係ないとのこと。寺と関係ないのにリフトなんて作るか?なんだかイヤな感じがした。
 石段や山門はとても雰囲気がよかった。山門の中には石仏の金光力士像。石仏は珍しい。この辺りは臼杵大仏にせよ石仏文化なのかもしれない。これは期待。
 石段は激烈だった。一段が高い!これは厳しかった。普段走っているとは言え、階段はそれ以上に息がきれたし、足の付け根の筋肉を酷使した。登りきったところ、左の方に板で平場が作られていて、お坊さんが作業してたので行ってみた。一人のお坊さんが仏前に花を活けていた。お堂の中にはたくさんの石の地蔵様がいた。すると、女性の大声が響いた。「撮影禁止です!ここまでで撮った写真を全部削除して下さい!」。このお坊さん、女性だったのか。そりゃ撮影する人が悪いわ、と思ったら、お坊さんは再び同じことを叫んだ。しつこい!お坊さんを見ると、作業しながら下の方にいる参拝客を鋭く監視していた。
 崖の窪みの中には五百羅漢像があった。すべて石で出来ていた。これは大迫力だった。三十三間堂ほどではないが、その次くらいの迫力だった。パワースポットという言葉がぴったりだった。羅漢は釈迦が入滅する時に集まった人々。羅漢の一体一体は表情や持ち物が違ってたりしてとても個性的だった。南北朝時代に2人のお坊さんが一年で彫ったとのことだったが、さすがに伝説だろう。
 本堂の横から300円の浄財を払って阿弥陀堂へ。阿弥陀堂は本堂の上にあり、眺めがきれいだった。阿弥陀様は金ぴかでなんだかな?鐘があったので衝いてみた。これで300円?お金取るとこ間違ってない?
 最後にもう一度五百羅漢を見ようと横から入ったら、怖いお坊さんが「正面から入って下さい!」と言った。そのくせその人はもう一人の寺の人と雑談していた。正直態度悪いと思った。この人は参拝者の心の中に平安どころか嵐を作り出している。そもそもリフトと揉めてるのもこの人じゃないだろうか?五百羅漢は素晴らしかったけど、信仰を盾にして周りにイヤな思いをさせるお坊さんがいる残念な寺だった。お客さんが気に入らないなら非公開にすることをお勧めする。13時半、出発。
 中津へ向かった。中津名物のからあげを狙った。1350、「元祖中津からあげもり山万田本店」。昔ながらの小さなお店。からあげしかなかった。ミックス弁当を注文。むね肉とモモ肉が二個ずつ。大盛にして1個追加w。
 弁当は安くてボリューム満点だった。大盛にしたのを後悔した。からあげはとても大きくて一口ではとても無理だった。また揚げたてホヤホヤだった。熱いからあげはうまかった。そんなに味は濃くなくて、主張は少なかった。ご飯を夢中でかきこんだ。とにかくおいしくて中津に来てよかったと思ったけど、超絶腹一杯になった。この先のダイエットが心配になった。14時半、出発。
 1435、中津城。日本三大水城。黒田官兵衛が作った。中津城は奥平家歴史資料館になっていた。奥平家は武田家の家臣で途中から徳川家に仕えた。徳川家康の長女と婚姻を結ぶ家柄だった。中津城は途中から奥平家の支配となり、明治維新まで続いた。
 15時半、黒田官兵衛資料館。黒田官兵衛NHK大河ドラマ軍師官兵衛」で一躍有名になった。立ち回りの難しい戦国時代を常に勝ち組についた手腕が素晴らしかった。
 16時、福澤旧居。福沢諭吉は中津の出身だった。ここでは福沢諭吉の業績について説明していた。福沢諭吉は、3回留学して、実学を重んじていた。途中からは慶応義塾を開校して人を育てた。お札の肖像になるくらいの異人。でも、その最先端を行く活動は、今の橋元徹、ほりえもんひろゆき、成田悠輔などの論客に通じるものがある?1640、出発。
 国道10号線を宇佐に移動。17時半、宇佐神宮。21時までやってるみたいだった。道鏡宇佐八幡宮神託事件について知りたかった。でも、ほとんどの施設は閉まっていた。当たり前か。さすがにあまり人気はなかった。参道は暗くて、ただ灯籠が光ってるだけだった。既に正月用の看板やロープが張られていた。拝殿にはカップルが一組以外の人気はなかった。帰り道は本当に真っ暗で迷ってしまった。携帯で足下を照らしながら進んだ。何ヵ所かに「神仏集合発祥の地」と書かれていた。そうなのか?1820、出発。
 豊後高田に向かい、1850、花いろ温泉。3日連続で走った。段々と慣れてきた。温泉は400円。あまり温泉感がなかった。そして、少しぬるかった。上がってから、ブログを打った。2050、撤収。
 近くに道の駅がなかった。20km以上離れていた。大体道の駅というのは近くにない!仕方ないので国東半島の先まで行くことにした。ナビは山の中を示していた。海沿いに行きたかったが、最終的に不安で自殺しそうな真っ暗な山の中をひたすらハイビームで進むことになったorz。
 2140、道の駅くにみ。ほとんど車が停まってなかった。ラッキーと思ったら、トイレの前あたりに何人かたむろしていた。なんだろう?一台の車が大音量で大音量でトランスを流し始めた。そいつは一度外に出て行ったが、また戻ってきた。うるさいバイクもやってきた。外では大声でしゃべってる奴らがいた。ここは族のたまり場だった。最悪。
 2245、奴らはいなくなった。帰って来ないように祈りながら寝床を作った。どうなる、俺?
 今日は大当たりだった。青の洞門、羅漢寺、中津のからあげ、中津城宇佐神宮。よく頑張った。また明日。

2022/12/29(木)年休「龍野」

 起床は620。SAは明るくてうるさくて、3時頃に目が覚めたが、その後はよく眠れた。車中泊の車の隣を狙うべきかな?朝食後、ブログを修正して、7時半に出発。
 810、岡崎SAで給油。新東名から東名。東名から名神。915、養老PA関ヶ原の路面状況をチェックするも、よくわからなかった。関ヶ原は問題なく通過できた。
 吹田JCから中国道。EXPOCITYの観覧車が見えた。高速からの眺めはいつもと違って不思議な感じだった。
 山陽道に入って、1215、龍野IC下車。龍野はこの辺りで唯一観光してなかった。そうめんを狙った。すぐに給油。重要伝統的建造物群保存地区があったので、そちらへ。揖保川沿いの市営駐車場。無人ながら前払い制の300円。逆に不気味だったり。川の対岸にはヒガシマルの工場が見えた。
 重要伝統的建造物群保存地区であるが、歯抜け状態。寺が多くて、漆喰壁が崩壊しかけ。後で調べると指定が令和元年。そうだろうな。食事できるところを探したが、そうめんはやってなかった。龍野城跡は立派な白壁と門が見えたけど、空いてなかった。歴史文化資料館もやってなかった。うすくち龍野醤油資料館も閉まっていた。13時、出発。揖保乃糸資料館そうめんの里へ移動。閉まっていた。全滅orz。
 再び龍野ICから山陽道。1340、龍野西SA。ソーメンとミニすき焼き丼。ソーメンなんか変わらないだろうと思ってたら、腰があっておいしかった。ミニすき焼き丼もとてもおいしかった。14時半、出発。
 眠くなってきたので、15時半、道口PA。明日の朝用にきびだんごを買った。横になって少し休んだ。1615、出発。
 槇原敬之のCDにして歌いながら粘ったけど、いよいよアクセルが踏めなくなってきた。1825、玖珂PA。近くの数%を探した。
 熊毛IC下車。1850、三島温泉ゆーぱーく光。昨日と同じく走りに行った。着替えは昨日よりもスムーズだった。ただ周りが真っ暗なのは不便だった。15分ほど。寒空に星がたくさん見えた。オリオン座が光っていた。
 1955、風呂。620円。温い湯船と熱い湯船。少しだけ、椅子に座ってブログを打った。
 1955、出発。すぐに給油。熊毛ICから山陽道へ。山陽道は途中で中国道と合流した。山口県中国道は曲がりくねっているイメージだったが、直線がないくらい右へ左へ曲がりまくっていた。とにかく酷い線形で、帰りもここを通るかと思うとうんざりした。
 2240、壇之浦PA。明るい。何事かと思ったら食堂や土産物屋が開いていた。展望デッキから関門橋を見た。ライトアップされてなければ、写りはよくなく。対岸には門司が見えた。
 寝床を作ったけど、明るいし、高速の継ぎ目を車が通る度にドンッと音がする。トラックもやたら近いし。昨日以上に悪条件かもしれない。
 今日は龍野は空振りだったけど、街の雰囲気はわかった。これからの道中も施設は期待できないかも。なんとか頑張って壇之浦までたどり着けた。いろいろ寄り道しながらでは無理だったわw。明日から本番。何が待ってるだろうか?

2022/12/28(水)年休「沼津」

 起床は620。今日から13連休。漠然と車で九州に行こうと思ってたが、ノーマルタイヤなので、雪が心配だった。またダイエット中なのに行っても大丈夫か?しかし、13連休をまるまる見過ごすことは考えられなかった。昨年末は結局どこにも行かなかったために何も残らかったではないか?どこまで行けるかわからないけど、目の前には可能性しか広がってなかった。
 820、出発。給油後、東関東道へ。首都高湾岸線からC2。渋滞してたけど、普段の週末よりは混んでなかった。東名は途中から1時間の渋滞orz。トラックが多かった。
 11時、足柄SA。昼食は後述する「さわやか」に行きたかったが、安定の「崎陽軒」を発見してしまった。妥協しようとしたら、売り切れだった。どうやらそういう巡り合わせらしい。30分休憩。
 沼津IC下車。静岡ローカルのファミレス「さわやか」は、こないだ、はこくろさんのブログを見て刺激された。元々はデイリーポータルZで知ったと思う。沼津学園通り店は、入り口にお客さんが立ってたけど、駐車場が広くて余裕で停めれそうに思えた。すると、警備員さんが車に近寄ってきた。「予約券持っていますか?今1時間待ちです。予約券を取ってもらって、待つ間は車を駐車場から出して下さい」。エグい!はこくろさんのブログには「開店と同時に行ったから並ばなかった」と書かれていたが、こういうことだったのか!一度は諦めかけたが、何のためにここまで来たのだ、と考え直し、1時間待ちを受け入れることにした。早速、店内に入って予約券を発券してもらった。予約券のQRコードを読み取れば、もうすぐかどうかわかる仕組みだった。
 1時間を潰すのは中途半端だった。この後行こうとしてた深海水族館には駐車場がなかったので、下見に行くことにした。沼津市内は道が狭くてゴミゴミしてた。深海水族館は沼津港の海鮮の店がたくさん集まっている一角にあった。たくさんの人で賑わっていた。ここで食事するのも一案だが、どこでも食べられる海鮮よりも「さわやか」だろ?
 12時半、ファミマの駐車場で時間を潰した。ブログを書いた。
 1310、「さわやか」に戻った。1320、テーブルに案内された。とにかく高校生らしき店員が多くて、何かにつけてすぐにやって来た。手作りハンバーグ、オニオンソース、ライス大盛を注文した。925kcalだったから、晩飯抜きが確定。
 手作りハンバーグは、外が硬くて、中は生だった。あまり肉汁感もなく、正直、期待外れだった。ただ何か他とは明らかに違っていて、オニオンソースのせいかスパイシーというか。こういう癖があるのは癖になるかもしれない。驚いたのはライスがやたらとうまかったこと。ハンバーグとの相乗効果?
 食べ終わってから、車に乗ろうとすると、県外ナンバーだらけだった。有名?
 14時半、沼津港深海水族館。1600円。世界で唯一深海魚を扱っている。深海魚は飼育方法が確立されてないので、なかなか飼育が難しいとのこと。駿河湾は日本で一番深い湾で2500mの深度がある。そのため深海魚がたくさん水揚げされる。深海魚には蛍光を放つものが多い。色鮮やかでどこかのんびりしており、これまで見たどんな水族館よりも個性的だった。
 ここの売りはメンダコ。前に大学友人Sがメンダコがかわいいと激賞していた。実際のメンダコは全然動かなかった。後で大学友人Sに話すと展示されてただけでも御の字だそうだ。
 他にも日本最大のカニであるタカアシガニがいた。「犯人は踊る」の説明書に載っていたやつw。
 二階にはシーラカンスの剥製があった。興味はあったが、駿河湾と組み合わせるのはさすがに無理があるような?
 16時、沼津港大型展望水門びゅうお。大地震に備えて作られた巨大水門。水門の上から眺望を楽しむことができた。雪を被った富士山が見えた。
 国道1号線を清水へ。清水から三保へ。途中、清水港線廃線跡らしきものを見つけて、テンションが上がった。
 1815、三保松原。本当ならきれいな富士山が見えるのだが、暗くて松が見えるだけだった。何しに来た?
 1915、あおい温泉草薙の湯。数%。ダイエット対策として、風呂屋からランニングして、そのまま風呂に行く作戦。車の中でジャージに着替えるのはいろいろめんどくさかった。風呂屋の周りをいつもより長目にに走った。15分ちょっと。
 風呂はいつもと違い身体が冷えてないので、気持ちよさが半減した。でも、ここのジェットバスと露天風呂はなかなかよかった。
 20時半、風呂から出て、リクライニングチェアでブログを打った。22時に出発。
 国道1号線のバイパスを進んだ。途中の道の駅に行くつもりだったが、国道に面していて、うるさいらしかった。バイパスがいい感じだったので、そのまま西へ向かった。藤枝岡部ICで新東名へ。23時、浜松SA。ほぼ満車。こんなに遅いのに?ここで車中泊
 今日は「さわやか」と深海水族館が当たりだった。ずっと思い出に残りそう。ただ近場は普段行けるから、やっぱり遠くを狙うべきかな?

2022/12/26(月)「忘年会」

 やっさんとYさんと3人で忘年会をした。豊洲「さぼてん」。超久しぶり。店の臭いは同じだったけど、内装がきれいになっていた。途中からは席が全部埋まって賑やかだった。久しぶりのお好み焼きはおいしかった。食べ過ぎた。これで激動の一年も終わりだなあ。
 帰ってから走った。こういうの大事。

2022/12/25(日)「妥協」

 収入をまとめ、医療費をまとめ、ふるさと納税額をシミュレーションした。上限額は前よりも上がって15万円前後だった。寮では冷凍物を受け取れないので、手っ取り早く13万円のポータブル電源にした。電気毛布を使うにはもう少し容量が欲しかったが、扇風機には使えるだろう。あと1万円で昨年同様チャンピオンカレーにした。
 ディーラーに行って、ナンバープレートを変更したことを伝えた。任意保険も手続きがいるみたいだったが、後でメールが来て、代理店が滋賀のままだから手続きできないと書かれていた。滋賀に頼んだはずだったのだが?なんか滋賀のあの人、車買った後は明らかに冷たいなあ。
 蘇我アリオの中にあるスーパーゼビオスポーツで、水着、ゴーグル、キャップを買いに行った。隣のホームズにはよく行ってるが、アリオは2回目。なんでも揃っていて、豊洲ららぽーとみたい。
 稲毛海岸のイオンに行った。ダイソーで紙コップをたくさんとパスタを電子レンジで茹でる容器、車のカーテン、ポーチを買った。
 結局、泳ぎに行かなかった。泳ぐのは心の障壁が高かった。今日も走りに行った。10分だと、イヤイヤしても、「10分だけ我慢」という気持ちになれる。段々と早くなってるのがよかった。ただ、むせて咳が出るんだよな。元々退院する時に肺のレントゲンで肺炎か出血跡かわからなかったので、その辺がもしかするとなんかあるのかもな。