びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/01/01(日)「臼杵」

 起床は6時。昨晩、休眠前にうるさい連中が来てヒヤリとしたが、結局はよく眠れた。朝食はカールうす味。ブログを修正して、720に出発。
 せっかくなので佐賀関半島の先端、関崎で初日の出を見ることにした。海沿いのぐねぐね道を走った。するとその場所に明らかに似つかわしくない巨大な工場が出てきた。まるで映画に出てくる悪の工場だった。そこからは離合困難な一車線の道となった。
 840、途中の見晴らしがいい場所で数台車が停まっていたので、それに便乗した。既に日は上っていたが、地平線に平行に雲が出ており、雲から日が出ているように見えた。海には光の道が出来ていた。先に進んで同じように写真を撮った。関崎の先端をぐるっと回ると、黒っぽいきれいな弧を描いた砂浜が出てきた。黒ヶ浜というらしかった。砂浜は黒い小さな石で覆われていた。後で調べると、日本の渚百選に選ばれていた。ここからは何も障害物がない海から昇る初日の出を撮影することができた。
 半島を一周しようとすると、Google Mapに「海へと続く線路」が表示された。線路とは聞き捨てならない。もしかして廃線跡か?
 8時、海へと続く線路。漁師小屋から砂浜の波打ち際までレール2本が伸びていた。船を上げるためだと思われた。言い方一つで観光スポットになる好例に思えた。写真も面白いものが撮れた。
 半島の漁村をいくつか通り過ぎたが、どの家も立派に思えた。関アジ関サバで稼いでるのかもしれない。
 臼杵へ移動した。850、臼杵石仏の駐車場。仏像趣味者としては絶対に押さえておきたかった。尼崎の時には存在に気づいていたが、電車旅だと駅から離れていて、バスもあまりなくて、到達困難な場所だった。
 佐賀のおじさんから着信があったことに気づいたので電話した。新年の挨拶を交わした。おばさんやいとことも話した。臼杵にいることを言うと、当然佐賀にも顔を出せという話になった。
 940、臼杵石仏。入り口で餅を配っていた。嬉しいんだけど、旅行中だとどうしようもない。どこかで電子レンジ借りるしかないか?
 臼杵石仏はなぜ彫られてたのかはよくわからないらしい。作例から平安後期から鎌倉にかけて彫られたのではないかと言われている。磨崖仏として、規模が大きく、ほとんどが国宝に指定されている。主に4つの群に分かれていて、それぞれ明確に作風が変わっていた。
 木で出来てる仏像がそのまま石でできている感じだった。木で出来てる物よりもありがたいような気がした。結構、脱落している箇所も多かったが、かえってそれが長い時間風雪に晒されていたことを表していた。来てよかった。大満足だった。スマホでの解説も素晴らしかった。臼杵やるな!1105、出発。
 石仏のところに貼られていた観光ポスターが気に入ったので、臼杵観光をすることにした。11時半、臼杵市観光交流プラザに車を停めた。目の前の山には臼杵城跡があった。石垣が崩れそうなのか中には入れなかった。
 二王座歴史の道。ポスターに写っていた場所。石畳の狭い道で坂道になっていた。まるで京都の三寧坂のようだった。ここは重要伝統的建造物群保存地区ではないが、そのうち指定されてもおかしくないだろう。
 二王座歴史の道には直良信夫顕彰記念館があった。直良信夫は明石原人の骨を発見した人だった。まさか臼杵で明石原人と出会うとは!旅では時折思いがけない出会いがあって楽しい。
 臼杵には印象的な三重塔があった。由来は不明だけど、なかなか珍しかった。
 12時半、福良天満宮。なんかよさげな神社だった。鳥居を潜ると石段が大行列してた。何の行列かわからなかったので、すぐに撤収した。
 1250、臼杵市観光交流プラザ。中に入ると臼杵の説明展示があった。先に読めばよかった。
 駐車場の車の中でこの先の作戦を立てた。この先にはあまりそそられる物件がなかった。1310、出発。とりあえず何もないけど、隣の津久見に向かうことにした。前に津久見駅からは巨大工場が見えた。
 津久見。国道を跨ぐ巨大なパイプが2本あった。巨大な工場は大平洋セメントだった。この街は完全に企業城下町と言った風情だった。13時半、給油。
 「ジョイフル」で昼食。ジョイフルと言えば、勝田線の探索の時に宇美で行ったよな。九州では納得の一手。カラダよろこぶ12品目のバランスサラダと、ねぎトロ丼を注文した。1440、出発。
 佐伯、延岡はスキップして日向に向かうことにした。全部回ってたら時間がなんぼあっても足りない。東九州道津久見ICから乗車。この辺りはリアス式海岸らしかった。リアス式海岸は山ばっかりで面白くないイメージ。特に佐伯から延岡の県境区間は酷かった。門川ICで下車。
 日向に入ってから向かったのは、国鉄細島線の細島駅跡だった。細島線は日向市駅から分岐して3.5km先の細島駅を結んでいた。主に貨物輸送をしてたが、旅客も扱っていた。前々からどういうところなのか気になっていた。
 1620、細島駅。細島港に面した広い草むらと朽ち果てたホームがあった。1972年には旅客扱いが廃止されていた。大体早い時期に廃止されるところって、人がほとんど住んでなかったりする。
 1640、大御(おうみ)神社。日向の伊勢神宮と呼ばれているらしい。たくさんの人で賑わっていた。本殿も拝殿も海に面していた。そこにはたくさんの人が並んでいた。福良天満宮で見た行列は参拝の順番待ちだったのね。
 ここには日本一巨大なさざれ石があった。さざれ石は君が代に出てくるが、どういうものなのかよくわからなかった。要は小さな石が集まって巨大な石になったもので、ここでは礫岩のことを指していた。後で調べると、広義では礫岩を含むが、狭義では含まないらしかった。
 隣にあった鵜戸神社。海蝕洞の中から海を見ると、まるで竜が空に昇るみたいとのこと。さすがに遊び心が過ぎるような?17時半、出発。
 1750、日豊本線美々津駅。美々津は小さな漁村で重要伝統的建造物群保存地区に指定されていた。集落の中の石畳の道を車で走った。すっかり暗くなっていて、通りの様子はわかりづらかった。ただ、どの家も名前を書いた四角い提灯を玄関先に掲げていて、提灯が光ってクリーム色の光を放っていた。夜じゃないと気づかなかっただろう。
 美々津にはもう一つ気になる物件があった。この先にはリニア実験線の跡地があった。しかし、暗くて時間も遅いので探索を断念した。
 1845、都農駅。リニア実験線の終点だったが、よくわからなかった。駅舎がLEDで色とりどりにライトアップされていた。
 銭湯を探したが、宮崎市まで行く必要があった。また洗濯もしたかった。東九州道を都農ICから宮崎西ICまで。70kmの対面通行の道を100km以上で飛ばす車ばかりだった。酷くない?
 1905、宮崎駅近くの極楽湯。今日も走りに行った。ただし、昨日の下り坂で左膝と踵を痛めたかもしれなかった。ゆっくり短目に切り上げた。極楽湯は尼崎にも宇都宮にもある全国チェーン。ご当地感はないけども、お風呂の内容は保証付きだった。
 22時、コインランドリー。全自動の70分コース。1000円。待ち時間は車でブログを打っていた。洗濯が終わってもブログが書き終わらなかった。洗濯物を畳んで、2350、出発。
 南にある道の駅を目指した。道路は私の車以外通っておらず、怖いくらいだった。もしかして、北海道みたいな状態かも?宮崎で一番の見所である青島を通り過ぎてしまった。明日出直すか。
 2425、道の駅フェニックス。さすがにこの時間だと寝床を作るのに気が引けた。でも、道の駅だし許して。ここにも奇声をあげてるのがいた。九州の道の駅はたまり場になってるのかもしれない。それとも海沿いだからよくないのか?
 今日は予定してなかった臼杵がなかなかよかった。大洲に続く隠れスポットだった。美々津はもう少しゆっくり回りたかった。あと西都原古墳群もスキップした。人生の選択とは選択肢を選ばないことである。縁があれば、また訪れるチャンスもあろう。