びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/12/31(土)「国東」

 起床は550。まだ真っ暗だった。結局、暴走族は戻ってこなかった。夜は不気味なくらい静かだった。朝食はきびだんご。ブログを修正。7時半、出発。
 今日は国東半島のお寺巡りにした。本当は海沿いを一周して終わりにするつもりだったが、昨日の夕方に国東半島には独特の仏教文化「六郷満山」が根付いてることを知った。六郷満山とは国東半島の6つの集落に伝わる神仏集合の文化である。神仏集合は宇佐神宮から発展したとのこと。西の比叡山と言われており、いずれのお寺も天台宗である。ここには平安時代に作られた仏像がたくさんあった。
 海沿いを豊後高田に戻った。750、長崎鼻。指宿にも同じ名前の岬がある。ここはキャンプ場になっていた。キャンプ場に入っていくのは人の楽しみを邪魔するようで好きじゃないんだよな。ここからの景色はどこから展望すればいいのかよくわからなかった。その代わりに、行者洞穴という海蝕洞穴はインパクトがあった。これは、陸地に巨大な窪地が出来ていて、中に降りていくと小さな入り江になっているものだった。815、出発。
 840、豊後高田で給油。豊後高田は「昭和の町」を謳っていた。全国にはそういうところがたくさんあるんだが?チラッとそれっぽい商店街入り口のアーチが見えた。
 お寺はほとんどが国東半島の山の方にあった。9時、富貴寺。どこかで聞いたことある名前。おそらく国宝の大堂があるからだろう。大堂は平安のお堂だったが、年月の割には新しく見えた。榧の木を使ってるからかもしれない。中の内陣には、阿弥陀三尊があった。薄くてお顔がよく見えなかったが、凄くいい雰囲気だった。
 裏山の階段を登ると祠があった。寺と神社が一体になってるのが六郷満山の特徴。そして後々何度も石段を登る羽目になる。
 帰る時に入り口の階段の途中に白い猫がいた。階段の下にはトラ猫がいて、目があった。945、出発。
 955、真木大堂。入り口に迷い猫の貼り紙があった。さっきのトラ猫に似てるではないか!思わず貼り紙の電話番号に電話した。すると、猫は戻ってるとのこと。迷子の猫はいなかったんだね。よかったよかった。
 真木大堂には9体の平安仏があった。収蔵庫はガラス張りだった。あまりガラスは好きじゃない。御利益が薄そうな気がするから。真ん中に丈六の阿弥陀如来坐像、左に日本最大の大威徳明王。右に不動明王とニ童子立像。どれも立派で、国東半島にあるのが不思議だった。昔、国東半島はどういうポジションだったのだろう?
 裏山にある祠を見ようと軽い気持ちで登ったらハードな山登りとなった。馬城山(まきやま)展望台。遠くに九重連山が見渡せた。へんてこな形の山が多いんだよな。1045、出発。
 1050、熊野磨崖仏。受付のおばちゃんに杖を勧められた。自分の脚で登れなくなったら終わりと思ってるので断ったけど、「高校生でも最後の坂はキツイと言いますよ」と言われたので、結局持っていくことに。
 ここの石段は鬼が積んだと言われていて99段とのこと。しかし、登ってるとそういう感じではなかった。あと200mの表示が出てから、しばらくすると小さな山門が現れた。そこからが心折れそうな天まで届く階段だった。まるでジャンプ台のように上に行くほど傾斜がきつかった。階段は乱積みと言って、適当に岩を並べたものだった。はっきりとした段になってないのに、99段とは?
 休み休み登った。最後の傾斜はまるで何かの冗談みたいだった。手すりはあったものの、近年の安全対策など、どこ吹く風。万が一バランスを崩して落ちようものならただでは済みそうにない。左手で手すり、右手で杖を衝きながら登った。杖は安全対策だったのか。
 磨崖仏は左に不動明王、右に大日如来。日本最大級。でも、写真でネタバレしてたし、風化が進んでいて、はっきりしない箇所もあった。あまり惹かれなかった。でも、どうやって巨大な彫刻を彫ったのだろうか?1150、出発。
 1215、天念寺。お堂は無人だった。平安仏があった。お堂の隣には長岩屋という窪みに石仏。さらに隣には神社。さらに隣には本堂。向かいの川の中には川中不動。岩に不動明王が彫られていた。実はここのハイライトは、山の中の崖にかかる橋だったことを後で知った。1235、出発。
 1245、長安寺。おばあさんが出て来たので、収蔵庫の鍵を開けてもらった。太郎天とニ童子立像があった。太郎天にはみずらがあり、まるで聖徳太子像のようだったが、不動明王本地仏とのこと。榧の木で出来ていてきれいだった。六郷満山では榧の木を使ってるものが多い。おばあさんとの話は面白かった。宇佐神宮最澄が中国に留学する前にお参りして、帰ってきてから神仏集合を進めたという話には興味をそそられた。だから、天台宗のお寺が多いのか!いい思い出となった。1325、出発。
 1340、両子寺(ふたごじ)。国東半島の中心にある両子山にあった。石段の前には石作りの金剛力士像。これは印象的な光景だった。肝心の本堂とかは面白くなく。1425、出発。
 1440、瑠璃光寺。平安仏があり、話好きの住職がいるとのこと。たまたま外にいたおばあさんが中に入れてくれた。すると、おじいさんが出てきた。おじいさんの話は訛ってて何を言ってるのかわかりづらかった。しかも、一方的に話されたのも苦痛だった。仏像もゆっくり見れなかった。時折、こういうおじいさんに捕まることがある。耳が遠いからだろうか?1505、出発。
 杵築へ移動した。大分空港道路の安岐ICから杵築IC下車。
 1535、杵築城。中の展示は細かかった。木付氏が始まりとのこと。木村に見えて仕方なかったw。1625、出発。
 16時半、酢屋の坂。城に貼っていたポスターが印象的だったから写真を撮りに来た。杵築はサンドイッチ城下町と自称していて、城下町の真ん中に大きな谷があり、城下町が二分されていた。酢屋の坂はその谷にある階段だった。ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定されていた。17時、出発。
 1740、別府のセブンイレブン。昼食抜きでお腹ペコペコだった。本当は大分名物りゅうきゅうを食べたかったが、漁師さんも休みだろうから見送った。年越しそばとして、毎年恒例のどん兵衛天ぷらそば特盛を買った。車の中で食べた。汁の処分に困って、全部飲み干した。1815、出発。
 車で銭湯に移動した。側溝から湯気が出ていた。さすが別府!途中から鉄輪温泉に紛れ込んだ。
 1825、夢たまて筥。ジャージに着替えて走りに行った。鉄輪温泉のメインストリートを走った。延々と石畳の上り坂が続いた。全然息がもたなかった。休み休み走って、地獄巡りのところで折り返した。あちこちから白い煙が上がっていた。温泉のお湯は茶色でさすがに温泉という風情だった。風呂上がりは座椅子でブログを打った。すっかり湯冷めした。22時、撤収。
 道の駅へ移動。近くにないのが道の駅。東九州道の別府ICから大分宮河内ICまで。下道を走り、道の駅さがのせき。駐車場は情報通り狭かった。大きなワゴン車の間に滑り込んだ。
 今日は国東半島のお寺巡りをした。全部は回れなかったけど、楽しかった。杵築も楽しかったけど、もう少しゆっくり回りたかった。ちょっと詰め込み過ぎなのかなあ?来年も頑張ろう!