一昨日と昨日のブログが更新されていないことに気づいた。いつもメール更新してるが、どうやらできなくなってるらしかった。はてなブログの運営に問い合わせてる。1週間くらいで返事が来るらしい。直接書き込みはできるので、更新しておいた。
昨年末にとてもおいしかった「南まぐろの漬け丼特盛と卵」が食べたくなってわざわざ市原のなか卯まで食べに行った。
天気がよかったので敷パッドを洗うことにした。それから普通に洗濯。
スマホのカバーガラスを貼り替えた。割れたガラスを外すと、隅に付いた埃が気になった。付属の粘着テープでペタペタ取ったが、これが逆効果でガラスの粘着面に埃が たくさん入って気泡となった。どうせまた割れたら埃は取れるだろう?
年賀状を片付けた。旅行のパンフを処分した。有田焼カレーの容器をクローゼットに仕舞った。旅行の写真をパソコンに移した。2月の雀荘と焼肉屋を予約した。昨年の医療費をまとめた。薬の余りを数えた。
冬休みの大旅行はなんだかんだだいぶ疲れていたようだ。この三連休ではだいぶ休めた。だいぶん気持ちに余裕が出てきた。
ふと会社辞めるなら今かなという気持ちが出てきた。結局だんだん仕事に慣れてきていつものパターンに陥りつつある。必死に頑張れば頑張るほど、周りが内容についてこれずに、周りから孤立する。上は判断しない。この人たちは判断を回避して責任をなすりつけてたから出世したのだ。責任は「担当がやってたから」と担当である私になすりつける。私はどうせ責任を取らされるなら好き勝手にやる。余計に浮く。ひたすら悪循環。行き着く先は破滅しかない。最初の滋賀の時とまったく同じ構図。手を動かしてるのは私だけ。ひたすら調べて、ひたすら資料を作って、ひたすら助けてくれるわけでもない人たちに説明する。みんな口先だけ。言い訳を開発している。言葉だけが上滑りする。なんの慰めにもならない。いない方がマシ。あの滋賀の時にこの会社の体質についての結論は出ていたことを今更ながらに思い出す。そしてまた20年ぶりにそれが繰り返されようとしている。あの時はここで諦めたら結婚もできなくなるとかこれからの人生がめちゃくちゃになるとか思ってたけど、今はもう状況が変わってしまった。充分な蓄えはある。上がり目はまったくない。なにより大病を患った。明日にもどうなるかわからないこの身体。平日は全部仕事に塗り潰され、休みは疲れて寝てるだけ。ストレスで食べる。運動をする余裕もなく、太りまくり。新しい知識を入れるキャパもない。こんな生活に耐えて私は何を目指してるのだろう?この先、定年まで仕事は減りそうもない。人が増える感じもないし、希望退職もなさそう。援軍がないのに籠城しても人生という兵糧が尽きて行くだけ。もし、今が輝いていないなら、この先はもっと輝かないだろう。右に行っても左に行っても同じだとするならば、自分の人は自分で決めたい。サラリーマンに唯一許されてるのは辞めるという決断だけだ。