道の駅長崎街道鈴田峠。起床は6時半。今朝は寒かった。朝食後、昨日のブログを修正、髭剃り。
735、出発。多良の方へ向かった。ここには長崎線が走っていた。今や佐世保線の方がメインルートになっていて、西九州新幹線までできた。多良経由の方は単線であり、完全にローカル線と化していた。電化されていたはずだが、現地を見ると、架線柱はあるものの架線はなかった。2022年に撤去されたようだった。あと西九州新幹線ができたために、並行在来線として第三セクターにしなければならなかったが、JR九州は第二種鉄道事業者になっていた。20年間はそういう形にするらしい。20年後に揉めそうな奴だなあ。
有明海沿いの国道を走っていると、干潟には棒が何本も刺さっていた。海苔養殖用だろうか?そこに朝日が上って光の道ができていた。遠くには雲仙。美しい景色だったので路駐して写真を撮った。
820、竹崎城址展望台。有明海に突き出た半島にあった。この城の名前は聞いたことがなかった。太良町としては大切な観光資源なのかもしれないが、格落ち感は否めなかった。天守から見る雲仙は靄っていた。
910、大魚神社海中鳥居。海の中に小さな鳥居が何本か並んでいた。なんだかなあ。干潮で鳥居は海水には浸かってなかったが、それ以前の問題だった。
9時半、道の駅太良たらふく館。カキが食べられるとのことだったが、まだ時間的に早かったのか売ってなかった。移動販売車で佐世保バーガーを売っていた。思わず買おうとしたが、我慢した。
945、道の駅鹿島。鹿嶋市干潟交流館であり、鹿島ガタリンピック会場でもあった。干潟はイメージ通りの遠浅だった。道の駅にはムツゴロウとワラスボの干物が売っていた。ネタとして買うかどうか悩んだ挙げ句、こんだけ悩むんだったら買おうということにした。あと有明海なので味付け海苔も買った。ここでも佐世保バーガーが売っていた。どこでもあるんだな。
1020、祐徳稲荷神社。日本三大稲荷の一つ。「充電旅」で出てきた時に存在を知った。駐車場がバカ広くて、それでも足りないくらいだった。物凄い人出で出店もたくさん、門前町も活気があった。こんなに盛況なのはなかなか珍しかった。
門から本殿、奥之院とどれも現代風できれいに整備されており、一大テーマパークのようだった。奥之院への登山はかなり疲れた。思わず奥之院で売っていた正月限定のぜんざいを頼んでしまった。ぜんざいって食べたくなるけど、食べると甘すぎて後悔するんだよなあ。帰り道に参道で佐賀牛肉まんを買った。500円。写真と違って中身が少なくて味もコンビニで買う肉まんよりもおいしくなかった。ただ高いだけだった。イカの姿焼きを買った。1000円。明らかに高い。でも、見るといつも買うことにしている。おいしいよね。
1205、肥前浜宿。重要伝統的建造物群保存地区。やたら祐徳稲荷神社の近くに看板があって宣伝していた。存在は知らなかったが、白壁の酒蔵が並び、とてもいい雰囲気だった。ここは多良街道の宿場町だった。多良街道は佐賀藩が長崎の警備をする際に使った街道で、佐世保回りでは大村藩を経由することから、わざわざ自領地の諫早を経由するようにしたらしい。
1305、塩田津。Googleマップで出てきた。重要伝統的建造物群保存地区。長崎街道と塩田川が交差する所にできた町。川港があり、陶器の原料となる土を運んだりしたらしかった。こちらも白壁の屋敷が並んでいたが、肥前浜宿を見たあとだったのが不幸だったかな?
この次に先に進んで小城に行くか少し戻って有田に行くかで迷った。有田の方が今後に生きるのではないかということで有田に行くことにした。
1405、有田駅。駅弁の有田焼カレーを食べたかった。コインパーキングに駐車。駅の中に売店があり、そこの店頭で売っていた。有田焼カレー大。有田焼の器にカレーが入っている。食べるのは4回目くらい。2160円。えらい高くなったなあと思ったら、新しい器を持ち帰ることができた。前はそんなんじゃなかったのに。でも、カレーの入ってた器はどうするんだろう?洗って再利用するのかな?売店の中に席があり温めもやってくれた。味はとてもうまかった。カレーの中でも一二位を争ううまさだと思う。コインパーキングは24時間400円だった。悪魔か?
1440、有田の内山地区の町並み。重要伝統的建造物群保存地区。陶磁器に関係する店や会社が並んでいるのだが、江戸、明治、大正、昭和の町並みがごっちゃになっていた。統一感はなかったけど、どれも個性的な建物でポイントが高かった。これはとても素晴らしかった。
陶山神社。鳥居や狛犬が白い陶器で出来ていた。あと参道の階段を上がったところを線路が横切っていた。しかも、第三種踏切。警報は鳴るけど、遮断器がなかった。えげつない構造だった。
1555、伊万里の大川内山。Googleマップで出てきた。佐賀藩鍋島家の御用窯として門外不出、採算度外視の最高品質の磁器「鍋島」を製作していた。期待してたのだが、こじんまりとしてて見所もよくわからず思ってたのと違ってた。
暗くなってきたが、せっかくなので小城に向かった。1710、JAさが三日月SSで給油。周りは田んぼだらけだった。城は通り過ぎてるようだった。暗くなったし、施設も開いてないだろうから、小城を探索するのは断念した。
そろそろ少しずつ千葉方面に向かうことにした。北九州の夜景を狙った。佐賀大和ICから長崎道、九州道へ。1820、古賀SA。おみやげを買った。ここでも佐世保バーガーを売っていたので、つい買ってしまった。まったりしてたら、北九州の山へ上るスロープカーに間に合わないことがわかった。代わりに関門海峡も検討したが、ライトアップもギリギリっぽい。諦めて千葉に近づくことにした。19時半、出発。
2020、下関ICの次の王司PA。山口には明治維新関連で見たいものがあった。しかし、それを見てる余裕があるだろうか?備中松山城と悩んだ。明治維新の方が今後に役に立ちそうということで、明日は頑張って山口を回ることにした。
21時、出発。すぐの小月IC下車。国道2号線で下関に戻った。
2140、天然温泉和楽の湯下関せいりゅう。JAF割で1180円。施設はあんまり。ジェットは足の裏の臭いするし、待合室は飲み物持ち込み不可だし。閉館の23時までブログを打って粘った。外に出ると雨が降っていた。
近くに道の駅はなかったので、トイレ付きの公園を狙った。車を停めるには海岸沿いがいいだろうということで、彦島に渡った。彦島は、中学の時に片山が「日本には本州、九州、四国、北海道以外に島には鉄道は走ってない」と言ったので、私は「彦島に走ってる」と言い返したことを覚えていた。また、馬関戦争の時には四国連合から彦島の割譲を求められた。高杉晋作は断固として認めなかった。一説には古事記を朗々と読み上げたとか。その先見の明は素晴らしかった。
2310、老の山公園。狙い通り駐車場とトイレがあった。他に車は1台だけだった。対岸の八幡製鉄所から白い煙が出ているのが見えた。ライトを消すと真っ暗だった。ただ雨が降っているだけだった。