びーの独り言

どこいくの?どっか。

2013/12/14(土)「乗鉄」

 関東私鉄ファイナル。0950に部屋を後にした。
 西登戸―津田沼高砂―(北総線)―成田空港→東成田―芝山千代田―成田―佐倉―ユーカリが丘―(山万)―ユーカリが丘八千代台―勝田台―飯田橋―池袋―石神井公園
 西登戸スタート。うちから一番近いのは京成だが、乗り鉄以外で使うことはない。昔は千葉の海沿いを走っていて、総武線と競っていたんだろうが、それがいつの間にか海は埋め立てられ、京葉線も走るようになった。総武線京葉線のサンドイッチ、なんだかかわいそうな感じがする。でも、お客さんは乗っている。彼らはどこから来てどこへ向かうのか?千葉は私が思ってる以上に奥が深いらしい。よく考えれば、京成はすごい。京急への乗り入れのために狭軌標準軌に改めたり、新京成北総線千葉急行と新規路線開発にも熱心だ。いつか千葉が栄えて、京成も栄えることを願っている。
 11時京成高砂で大学友人Sと待ち合わせた。ここからは元々北総線が印旛日本医大まで延びていたが、さらにその先が成田空港に繋がり、京成スカイアクセス線となった。北総線は日本一高くて、初乗りはなんと320円。不当に高過ぎるとして住民に裁判を起こされる始末。これは千葉ニュータウンの開発が伸び悩み、利用者が見込みにたいしてはるかに低かったことが原因である。印西牧の原は開発予定地がそのまま広大なはらっぱとなり、きつねを筆頭とする希少価値の高い動植物が確認されるまでになった。なんとも香ばしい路線ではないか?京成高砂からアクセス特急に乗った。特急とは言うものの普通のロングシートだった。アクセス特急は真新しい高架を猛スピードで飛ばしていった。成田空港へのバイパス路線だから線形がすこぶるよく、実際にスピードが速いと思われ。景色はどことなく田舎めいていた。田舎だから鉄道が通せたわけで。そして田舎だから利用者が少ない。途中でスカイライナーの通過待ちをした。スカイライナーはものすごいスピードだった。おそらく160km/hくらい出ていたのではないか?車両前面のノーズは尖り、そのまま30°斜めにまっすぐ屋根まで達していた。白と深いブルーを基調にしたボディーには、深いブルーがかった大きな窓がついており、中にはセミクロスシートの大きな座席が並んでいるのが見えた。外国との接続にふさわしい洗練された車両であり、京成のイメージとは全然似つかわしくなかった。新鎌ヶ谷から先は大きな堀割を進んだ。堀割は北総線の敷地に対して4倍ほどもあり、残りはぶざまな空き地となっていた。これは成田新幹線用の敷地であり、もう永遠に新幹線が走ることはない。まさしく強者どもが夢の跡である。ところどころ道路に転用されていたが、それでもスペースをもて余していた。印西牧の原駅も堀割だったので、期待していたはらっぱは見えなかった。かっこ悪い風景を隠すために堀割にしてるのかもしれない。印旛日本医大を越えると高架となった。民家はほとんどなく山と田んぼだった。田舎を高規格でぶち抜くこの図式は、まるで新幹線のようだった。大学友人SがTXみたいだと言ってたが、まさしくそんな感じだった。
 成田空港からは徒歩で東成田駅に向かおうとした。東成田駅は昔の成田空港駅であり、香ばしい物件であるとの事前情報を得ていた。しかし、あらゆる案内図からは東成田駅は抹殺されていた。ニーズがないだけじゃなく、触られたくない黒歴史があるんじゃないか?大学友人Sの懸命な捜索により、空港連絡バスで東成田駅に行けることがわかった。バス停はおよそ自力では発見できない場所にあった。高速道路の下には横に大きな一般道。車がブンブン通ってはいるが、人気はほとんどなく。案内のやじるしにしたがって歩いていくと、コンクリートの四角い建造物が現れた。これが入り口か?中へ入ると、死角になった場所にテロ警戒の職員が2人いた。こんなとこで一日中座っているのか?世の中では必死で働いてる人もいるのに、これも仕事か?東成田駅はかつては華々しいターミナルだったに違いない。しかし、今は人っ子一人おらず不気味な静けさに包まれていた。広い構内の一部は衝立で隠されており、金網の隙間から中をデジカメで写すと、昔のコンコースが放置されている様子が確認できた。ひっそりとした改札には気配を消すように駅員が一人いた。いくら仕事とは言えこれは酷い。もしかすると何か閑職に飛ばされるようなことをしたのでは?改札の中には閉鎖されたエスカレーターとここにも衝立があった。ホームに降りると、島式ホームが2つあった。向こうの島は消灯されて使われてなかった。よく見ると「成田空港」の電光掲示板が。この駅の時間は止まってしまったんだな。人の賑わいがなくなり、本来の役割を果たせず、生き恥をさらしている。香ばしさ満点でマニア垂涎の物件だった。
 東成田の先は日本一短い芝山鉄道となっていて、京成と一体になって運営されていた。成田空港により町が分断されるために、成田空港の地下を通って反対側に抜ける鉄道が保証された。約束を最低限にとどめるためか、わずか2.2kmしかなかった。地元はもっと先に伸ばして欲しいと考えてるようだが、採算が取れそうにないのは素人目にも明らかだった。芝山鉄道に乗るのは2回目。地下でくねくねし、地上に出ると右手に飛行機。あっという間に終点に到着した。駅前にはなんにもなかった。潰れた売店とバスロータリー、パーク&ライドの駐車場だけだった。
 京成のユーカリが丘駅からは山万に乗った。山万は元々鉄道会社ではなく、不動産デベロッパーだった。ユーカリが丘を開発するときに、ユーカリが丘をグルッと一周して、再びユーカリが丘駅に戻る路線を開業した。今年で30周年を向かえてよく続いてるなあと思う。車両は小ぶりで3両、コアラのキャラクターが印象的でかわいかった。ゴトゴトと高架を進んだ。駅間は短かかった。駅名はシンプルはいたってシンプルで「公園」「女子大」「中学校」など。途中駅からも人が乗り込んできたので、きちんと住民の足として機能してそうだ。あっという間に一周した。ほのぼのとしてとても好感の持てる路線だった。
 京成の勝田台からは東陽高速鉄道に乗った。ほとんど地下であり、特に面白味はなかった。西船橋で関東完乗を果たしたが、特に感情は湧いてこなかった。そのまま東西線に乗り入れた。
 大学友人Sと大泉学園「浜の母屋」。そのまま部屋へ。Sは「完乗記念」と書いた紙を用意してくれていたが、実はまだ嵯峨野観光鉄道と沖縄のゆいれーるが残っていた。でも、その気持ちが嬉しくて部屋で写真を撮ってもらった。