びーの独り言

どこいくの?どっか。

2010/05/02(日)「旅行5」

 0650起床。0700から朝食。0730チェックアウト。江差駅まで歩いた。歩きながら気づいたのには、港旅館の外壁はきれいだったのに中は古かったこと。メインストリートの統一感ははりぼてなんだなあ。0812江差出発。木古内には松前直行の臨時バスさくら号が停まっていた。意外にも7割くらい乗っていた。今春の松前JR東日本でも盛んに宣伝していたからもしれない。私は予定通り次の0945に乗った。期待通りガラガラだった。
 結局2年前の成功体験が松前を選ばせた。二匹目のどじょうがいるかどうかわからないが、一つだけ確認したいことがあった。それは松前駅跡であり、ずーっと気になっていた。バスは海沿いの国道を進んだ。途中で海沿いの国道をはずれ、知内営業所に到着した。そこの線形がいかにも廃駅ぽかった。廃駅がバスの待ち合い所になるのはよくあることで、WIKIで確認すると渡島知内駅跡だった。2年前に気づかなかった物件にテンションが上がった。バスは国道に復帰してどんどん進んだ。うっかり寝過ごして北海道最南端白神岬を見逃したのはしょんぼりだったが、その代わり近くの谷に橋梁跡を発見し大興奮!そのまま松前城を一旦通りすぎて松前駅跡で下車。広い松前駅構内はバス道沿いが砂利の駐車場になっていて駐車場の脇の芝生にお墓のような灰色で縦長の記念碑が立っていた。あっけなく野望が達成されたと同時に、神妙な気分になった。そばの倉庫の上には「観光案内」と書かれていた跡があった。
 そのまま廃線沿いをトレースするとすぐに一般道と重なってわからなくなった。前方に小学校が現れたら、その校門に怪しいコンクリート建造物があって「1985」と書いてあった。これは廃止年と一致するのだが・・・。もう少し歩くと道は城に入り2つに分かれた。角にいた整理係の人が話しかけてきたので、思いきって聴いてみたら「そこの橋から見たらトンネル跡があるよ」と言われた。橋の欄干に身を乗り出して城の方を覗き込んだ先に驚愕の物件が現れた。松前城の石垣に開いた杭門。立派な石組は灰色のブロックで完璧に塞がれていた。周りは緑色に覆われていたが、雑草が生い茂っているというよりはきれいに刈り込まれているように見えた。廃な物件なのにとても美しい姿だった。これだけで大満足してる自分がいた。
 城の桜は咲いていなかったが、そこそこの人出があった。出店があったので昼食にした。ウニアワビ丼、焼きウニ、焼きイカ、ヤバいくらいうまかった。松前万歳\(^o^)/。次は城の中に入って展示物を見た。長く松前藩蝦夷を支配していたことなどが説明されていた。次は郷土資料館に行こうとして城の反対側に出た。石垣に沿って山側に歩きながらトンネルの出口を探したが、見つけることができなかった。郷土資料館はなんだか人気がなかったので止めておいて、駐車場を整理してたおじいさんにトンネルの出口の場所を教えてもらった。そのあたりを注意深く見たが、何もそれらしき痕跡は発見できなかった。
 一旦撤収して寺町を回った。城の後方にはいくつも寺があり小京都と呼ばれている。いずれも江戸以降の建立であり特筆するようなことはない。それよりも2年前に半袖短パンで走ったよなと思った。あのときより羞恥心が芽生えたのか、はたまた勢いがなくなったのか。成長したということにしよう。次は藩屋敷に行った。ここは昔の建物が再現されていて、時代劇の撮影に使えそうなところだった。
 大体回って16時に帰ることにした。一応最後にもう一度トンネルを探しに行った。この辺りが怪しいという程度であり確実なことは言えなかった。不思議とわからなくてもいいかなと思った。メインストリートを歩くと江差と同じく建物が昔風だった。北海道全体になにか補助金でも下りてるのだろうか。
 2年前と同じく「旅館みうら」にチェックインした。明るい若おかみさんに話を聞くと、部屋は満室だそうだった。私は料理に大期待していた。私の脳ミソはいつの間にか過小評価していたらしく、料理を見た瞬間にこんなに凄かったっけ、と思った。迷いもなくケータイで写真を撮っていた。新鮮な魚介類、イカ、エビ、マグロ、ウニ、アワビ、カニなど。うまいものは人を幸せにする。
 2年前の二番煎じになりそうで、美しい思い出はそっとしておいた方がいいかなと思いつつも、他に行くところもないという感じで始まったのだが、松前のいいところを取りながら、さらに新しいこともわかって大満足だった。