びーの独り言

どこいくの?どっか。

2006/11/17(金)「戯言」

 命がけというとき、ふざけてるような気もする。変な二面性だ。右脳と左脳が喧嘩してるのだろうか?最近、現実感が濃いようで薄い。車に乗ってたら隣りに死が待ってそうに思う。サンデーの漫画で「長く生きることに意味はなく、意味のある人生こそが幸せである」という下りがあった。結構、衝撃だった。でも、きっと死の直前まで幸せかどうかはわからない。常に上を目指すことは、ある意味不幸だ。満足はするが、満たされない。二律背反の上にあるものが多分極意。意味があってもなくてもよい。Hello Goodbye。
 対立軸は動いていく。人と人の間柄はとても相対的だ。こちらが罵倒しまくってたら、別の態度になってきた。人の思考プロセス上、必然の動きを見せていると思われる。人が人である限り、それは境界条件なのである。歴史は繰り返すという。自己を主張しあう世の中じゃ、平衡は訪れないのだろう。一定の振幅で揺れて揺れられて。一歩先を読める人が金を儲ける。普遍的なものが欲しけりゃ、世界で一番幸せだって思い込むことだね。
 便利な世の中になったけど、その分労働環境は厳しくなっている。一生懸命働くことが自分を追い詰めているのではないか。勝ち組負け組みというが、金銭的価値だけで勝ち負けを論ずるべきでないと思う。金を持っていることは、その分時間をかけてるってことだよね。生きている時間は有限であり、働いてる間というのは自己を殺してるわけである。これって死んでるのと同じわけで。「ヒマつぶしで仕事してる」と言い放った偉人がいるようだ。みんなヒマ潰してるだけか。
 今日読んだ記事で「若い世代は我慢を強いられてきたのに、これからもっとキツクなるだけ、ということに気づきはじめている。今導入されつつある成果主義は上層部の保身の道具としてしか使われていない。」ということが書かれていた。まさしくそのとおりである。世代間闘争というべきだろうか。そろそろクーデターが起きるかもしれない。そのときに信じられるのはなんだろう。そりゃ自分だろうね。
 人それぞれ考えがあり、主張がぶつかりあってバランスを保っている。自然と極端な方向に行かないようになっている。最近、本来あった秩序が崩壊して、混沌としはじめている。。何もしないことが、機会ロスということで損であるみたいに言われる。使わないものは捨ててしまって必要だったら買えばいい、となる。大量消費こそが善みたいな考え方。これがそもそもおかしい。やらなくていいことは必要以上にやる必要はないのである。無理に回さないと成り立たない経済社会は巨大なねずみ講だ。技術に人間がついていけなくなったとき、社会が崩壊するだろう。
 自分自身、長期の展望が欠けてきた。毎日が必死なのか流されてるのか、目先の土曜日曜だけが楽しみ。このままじゃヤヴァイ。アッというまに年をとりそう。この先どうするのかもわからない。どうなるのかもわからない。これが運命と諦めるか、運命なんて破棄してしまうか。理由なんてなくたっていい。不条理こそが世の常。理由はあとからつけるものだ。時間だけは誰にも平等。