びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/03/16(土)「横浜」

 起床は6時過ぎ。北朝鮮の船が展示されてるのが気になっていたので、横浜に行くことにした。
 8時過ぎに出発。天気は快晴で春らしい日差しが気持ちよかった。東京からは東海道線。ラッシュみたいになっていた。横浜駅は2015/5/4のカルカソンヌ予選以来。京浜東北線に乗り換えて桜木町駅下車。降りるのは初めてかも?まずは腹が減った。駅構内で崎陽軒売店を発見。しうまい弁当を買った。
 降りたら臨海都市と公園の入り交じった風景。高いビルをバックに、特徴的な形の建物や観覧車があった。また桜木町からは頭上にスカイキャビンというゴンドラがひっきりなしに走っていた。西園寺のYoutubeで見たことがあった。運河パークまでは1000円。高いなあ。乗りたいなあと思ったが、まずは歩くことにした。
 1035、汽車道。海から突堤が出ていて、何ヵ所か鉄橋もあった。名前の通りここは昔の貨物線の跡であり、歩道になっていた。前々から通ってみたいと思っていた。あとで通ることにしてまずは腹ごしらえすることにした。
 しうまい弁当。しょっちゅう食べてるからいまさらなんだが、それでも横浜と言ったらこれでしょ?人気のない白いおしゃれなベンチがあり、弁当を食べてる人たちもいた。空いているベンチに座った。青空の下で食べるのは格別であった。いつもしうまいを3つ食べてから唐揚げ、蒲鉾、玉子焼き、しうまい2個、たけのこ、マグロ、紅生姜、昆布、あんずと進む。梅は食べない。唐揚げを食べたところで、一瞬バサバサと聞こえた。その刹那、弁当箱にドンッという衝撃が走った。ほんの一瞬の出来事だった、なんと死角から大きな鳥に蒲鉾を強奪されそうになった。鳥を見上げると、とんびのように見えた。蒲鉾には鳥の爪が食い込んだ跡が残っていた。そのまま気にせず食べようかとも思ったが、なんか気持ち悪いので残りはすべて捨てることにした。まだ半分も食べてなかったのに。話のネタとしてはおいしいかもしれないが、食べ物の恨(ry。
 1055、日本丸。帆船が係留されていた。横浜みなと博物館とのセット券は800円。中に入ると、昨年富山で見た海王丸とほぼ同じように思った。操舵室にいたガイドのおじいさんに「海王丸と似てますね」と聞くと「ほとんど同じです」と言われた。あとで知ったのだが、日本丸海王丸は姉妹船だった。
 1140、横浜みなと博物館。黒船来航から現代までの横浜港の展示をしていた。ペリーとの交渉のシーンが再現されていて、前にYoutubeで解説を見たことがあったのもあり興味深かった。一回ちゃんと詳細を調べてもいいかもしれない。それから井伊直弼が開港の父みたいな感じで扱われていたのが意外だった。井伊直弼と言えば、この時朝廷の許可を得ずに開港を決めたり、安政の大獄で優秀な人材を死に追いやった悪いイメージしかなかった。
 開港のあとは横浜に出島のような外国人居留地ができて、その関所があった場所が今の関内であったり、どんどん時代とともに埠頭が増えていった様子が説明されていた。港町横浜にふさわしいとても面白い展示だった。
 1355、柳原良平アートミュージアム。横浜みなと博物館の中にあった。柳原良平は寿屋(サントリー)のデザイナーで、トリスおじさんを描いた人である。白黒の三色で構成された切り絵と、大胆なデフォルメに特徴があった。最近、商業デザイナーの人の展示をよく見かけるなあ。これも時代の流れかな?
 1420、撤収。ようやく汽車道を通った。地面にはレールが埋められていた。両側は海。歩いていくと、目の前は広場になって、歩道は巨大なホテルの下を潜り抜けていた。その先には有名な赤レンガ倉庫があった。
 赤レンガ倉庫は2棟あり、平行して建っていた。その間にはたくさんの白いテントが立っていて、飲食物を売っていた。やたらと犬を連れてる人たちがいた。なんだろうと思ったら、網で作った簡易的な囲いがあり、何かのイベントをやっていた。私には犬を連れてる人は邪魔だった。なんでわざわざ人が多いところに犬を連れて来たがるのか?自慢したいだけにしか思えなかった。
 赤レンガ倉庫を通り過ぎると先には巨大な豪華客船が停泊していた。10階建てのビル以上の高さがあった。あまりにも巨大で圧倒された。「セレブリティ・ミレニアム」という名前でマルタ船籍だった。
 今日の目的の資料館は赤レンガ倉庫のすぐ近くにあり、想像とは違って、ものすごく華やかな場所にあった。1450、海上保安資料館横浜館。ここには平成13年12月に起きた九州南西海域工作船事件海上保安庁の船と銃撃戦を行い、自爆した北朝鮮の船があった。鉄でできた船は思ったより大きくて錆だらけだった。船の側面にはおびただしい弾痕があり、戦いの凄まじさを物語っていた。最初、これを見るまではなぜこれを公開しているのかがわからなかったが、海上保安庁の現場の人がどれだけ大変かを訴えるにはこれ以上の教材はないように思われた。船の遺留品にはたくさんの銃やロケットランチャー、通信機器、防水の地図、ハングルの書かれたピーナッツの袋などがあった。最後に銃撃戦の映像と音声が流されていた。これほど引き込まれた映像はなかった。大炎上する工作船の甲板で布をバタバタして消火しようとしてる人が映っていた。この船に乗っていた人たちはどんな気持ちだっただろう?国家のイデオロギーのため逃げ場はなく自爆するしかなかった。いつもの暮らしの裏ではこのような悲劇が起きている。決して他人事ではない。ここに来て本当によかった。
 一応、赤レンガ倉庫をチェックした。中には飲食店や雑貨の店が並んでいた。函館の金森赤レンガ倉庫や、敦賀の赤レンガと同じパターンだった。これでは張りぼてと変わんないわな。
 像の鼻パークを通って山下公園方面へ。いかにも廃線跡らしい歩道が延びていた。調べると、山下臨港線プロムナードというらしかった。ビンゴ!
 山下公園にはブログを始める少し前に来たことがあった。合コンで会った人が、私が忘れたペン(ドクターグリップ)を返したいという内容だった。その時は夜に中華街で会って、山下公園に来た。外国人の大道芸人がチェーンソーでジャグリングをしていたのを覚えている。物凄く衝撃的だった。
 今日もまた大道芸人のおじさんがいた。ここには常に大道芸人がいるのだろうか。火のついた棒をジャグリングしていた。チェーンソーには負けてるなと思った。
 16時、山下公園の先には黒っぽい船が停泊していた。日本郵船氷川丸というらしかった。閉館が近かったのでスルーした。この時点で横浜にはもう一度来なきゃいけないと考えていた。
 1610、ガンダムファクトリー横浜。期間限定なのかな?ここには実物大のガンダムベースとガンダムがあった。どうやら動くようだった。値段は1650円。長蛇の列ができており、入場規制がかかっていた。こんなん人が集まるに決まってる。なぜ期間限定なのか?大きいので外からでも見えた。外にもたくさんの人がいた。動くのを待ってたのかもしれない。私は外から写真を撮っただけで退散した。
 16時半、中華街。しうまい弁当も半分食べ損ねたし、せっかくなので何か食べて帰ることにした。とは言っても、本場の中華料理は飽きるほど食べたので、日本の中華街で食べる中華料理はどんなんだかというところに関心があった。たくさんの店がありどこに入ったらいいのかまったくわからなかった。ネットで調べて行列に並ぶつもりもなかった。中国でもこんなに賑やかなところはなかったなと思った。それにやたらと占いがあった。どうやら台湾が中心のようだった。それだと私の思ってるのとはだいぶ違うのかもしれない。
 直感で「福臨閣」という店に入った。客が一組しかおらず、失敗したと思った。お姉さんが片言の日本語で案内してくれた。台湾の人なのかな?店には中華料理屋独特の豚の生臭い臭いはなく、床も脂でベトベトすることはなかった。店員どうしが中国語でしゃべっていた。ここでは私の方がアウェイだった。店員を呼ぶ時に「フーユエン」と言ってたのを思い出した。言わなかったけど。
 黒酢スブタ定食とフカヒレ入り海鮮ギョウザのスープ。私の知ってる中華料理の鮮烈さはなかったけど、だからと言って普通よりちょっと落ちるような?まあ私は外国の料理は日本人の舌には合わないと思ってるから。なぜ来た?
 日本大通り駅からみなとみらい線で横浜。東海道線京葉線で帰った。あまり発見はないかもしれないと思っていたが、横浜のことを深く知れて、北朝鮮の船も衝撃だったし、楽しい一日だった。見きれなかったところもあるのでまた訪れたい。それにしても神戸とよく似てるんだよなあ。