びーの独り言

どこいくの?どっか。

2009/01/17(土)「旅行①」

 この冬の18きっぷもこれで最後。朝起きるのがかなりつらい。千葉みなと−東京−上野−高崎−横川・・・軽井沢−小諸−上田−別所温泉−上田−長野−直江津−長野。
 高崎から横川は信越本線。以前は長野経由で新潟まで通じていたが、長野新幹線開業により、長野−軽井沢間がしなの鉄道になり、軽井沢−横川の碓氷峠が廃止になり、高崎−横川間は盲腸線になった。碓氷峠は鉄道マニアにはすごく有名なところで、日本一勾配がきつい区間だった。そのためアプト式を採用したり、機関車の3重連が施されていた。新幹線開通と同時に廃止になったのがとても残念だった。さて、時刻表を見ていると、私の選んだ電車の後に臨時列車「さよならEF55号」が設定されていた。接続上乗れないなあ、と思ってたら、高崎駅で待ってた2両編成は超満員。脚立を持ってる人が複数、どうやら臨時列車を狙いにきてるよう。ぎゅうぎゅう詰めの電車で、あちこちから鉄道トークが聞こえてきた。きっとこの電車はマニアばっかりだったのだろう。車窓を見てたら三脚を立てている人が多数。鉄道ファンって多いんだなあって思い知らされた。終着駅の横川には目の前に鉄道文化むらがあった。外から見ると、たくさんの車両が停まっており、廃止になった部分もそのままで残っているようだった。横川−軽井沢間の復活を目指しているとも聞く。そのうちにまた来てみたい。バスは国道18号を18km進んだ。とても険しく、よくこんなとこに線路を通そうと思ったなあと思わずにはいられなかった。軽井沢からはしなの鉄道。3両、電化複線。元々幹線だっただけに線路も駅も立派だ。客もそこそこいて、どうして第三セクターにする必要があるのかわからなかった。
 上田からは上田電鉄に乗った。この路線はいつ廃止になってもおかしくないらしく、そういう意味で乗っておきたかった。終点の別所温泉なんて全然知らないから、そんなに需要がありそうにも思えない。ボロボロで鄙びていることを期待してたら、上田駅は高架だったし、電車も東急の払下げできれいなもんだった。2両編成で客もそこそこ乗っていた。もっともっと寂しいとこを見てきただけに肩透かしを食った気分だった。雰囲気は和歌山電鉄と似ていた。景色はひたすら田園風景、民家もそこそこ点在。上田は信州の鎌倉と言われるらしく、寺社仏閣がたくさん残っているようだ。いずれまたゆっくりと回りたい。
 長野からは再び信越本線飯山線との分岐までは景色がすごいきれいだった。どこまでも平地が続き、高い高い雪化粧をした山に阻まれる。姥捨てからの景色もそうだったが、善光寺平の景色は美しい。豊野で分岐して妙高高原の方に上がっていくと、雪の積もったりんご畑だらけになった。真っ白の景色で目が疲れたのかいつのまにか眠ってしまい、気がつけば直江津だった。折り返しの高田は滋賀時代に出張で訪れたことがあり、少し懐かしかった。
 長野で東横ブルーを探したら見つけることができなかった。地図を見てもなさそうだった。仕方なく今日は「サンルート」。5800円也。旅ランは善光寺へ。長野マラソン前日に行ったよなあ。夜の境内に入り振り向くと、大きな門があり、その先には参道が下へと伸びていた。きらきら光ってとても美しい景色だった。まだ感動できる自分がいるということは、もっと感動できることはたくさんあるということだ。参道を走りながら、前に来た時のことを懐かしく思った。そんなに昔のことじゃないのに、ずいぶん昔のような気がする。あのときはみんながいて、今は独りだ。過ぎ去った日々は美しい思い出になった。それはある意味永遠なのかもしれない。さて、人の優しい長野だからかなり飲みを期待してた。「りんせん」という店は今風のこじゃれた店で、カウンターに座るものの話相手もなく寂しく飲むはめになった。1300円のサラダは一人で食べるには大きかった。ホテルに併設されてるとこはダメだなあ。うまくいかないのも旅である。ホテルにはパソコンがなかったので、隣のネカフェで打っていたり。ネカフェに泊まるのもアリだったかな。