びーの独り言

どこいくの?どっか。

2007/10/12(金)「時間」

 最近はちばみなと朝7時4分の各停に乗っている。1時間後の電車でも間に合うらしいので相当早い時間に出ていることになる。この電車には座れるというメリットがある。また、この電車はとてつもなく遅い。逆にそのことが読書の時間を確保するには都合がよい。また、朝は腹部不安なのだが、快速と違っていつでも降りれるという安心感があるし、途中下車しても決して遅れないだろうという気持ちの余裕がある。会社に着いてからコンビニのおにぎりを食べる。こっから始業まで30分くらいぼんやりしてたのだが、例の試験勉強以来本を読むようになった。朝の時間は運動をするにも勉強をするにもすごくいいらしい。時間を有効に使おうと思えば、自然と朝を活用しようという方向になるのかも。因みに昼休みも本を読むようになった。細切れの時間を利用しようという作戦だ。短い時間だと逆に集中できる。こないだ試験勉強をやって思ったのは、何かに集中しているときって幸せなのかも。余計なことを考えずに済むし。時間が惜しくてたまらないような毎日を過ごしたいものだ。
 時間は何物にも変えがたい権利である。昔は、何もすることがないなら時間をお金に変えようという考えで、思いっきり残業してた。滋賀に行ってから時間のない生活になった。そのときなんのために働いてるのかわからなくなった。そしてお金は二の次だということに気づいた。貴生川駅のロータリーに看板が立っていた。「他人の時間を大切にしよう」、一見なんのことか意味不明。よく考えてみればいいことを書いてるなと思った。私たちは限られた時間の中で生きている。自分の時間については大切にするのに、人の時間については軽視しがちだ。人にどれだけやらせるかみたいな風潮になってきている。悪い上司ほど部下の時間を奪うことが当然だと思っている。
 うちの研究所は収益になんの貢献もしていない。仕事をしているふりをしているだけ。この10年間サンプルばかり作ってたけど、1つでも多くのサンプルを作っても完成に近づくわけではなかった。技術がないのに気合いだけでモノができるはずなんてなかった。企画が悪いことにいくら労力をかけたって無駄だった。理論上できると思えないことを「やってみなけりゃわからないだろ」とやらされる。そして最初からわかっていた理由でボツになる。何度それを繰り返してきたことか。設備の改良なしに新しいモノは作れないというのは製造業の常識。それなのに設備投資を怠っているんだから救われないわ。工場に行けばそのことが極端にわかる。うちの研究所は誰も理解していない。理解しているかもしれないが、理解していないふりをしている。自己犠牲が美徳とされていた時代は終わりを迎えつつある。明日できることは今日するな、である。もはや会社で自己実現なんてできないことがわかった。仕事で名前を残そうという気力は消え失せた。自分らしさを発揮するには早く帰るしかない。だから千葉に来てから残業していない。おかげで給料は激減したが、自分の時間を使えてることに納得だ。