びーの独り言

どこいくの?どっか。

2005/09/09(金)「独り言」

 「考える」って一体なんだろうか考えていた。一日のうち考えてる時間って結構あったりする。特に技術系だから、手を動かす前に様々な条件を考慮して思考実験を繰り返している。報告書を書くときには文章の正確さを考えている。でも、時間がないときにほんの一瞬の時間で決断することってあるよね。時間かけて考えても結局、同じだったりしないだろうか?ちょっと思ったのが、本当は考えてるのではなくて同じところをぐるぐる迷ってるだけなんじゃないかと。そしたら、その無駄っぽい時間を節約できないかな。これって結局のところ慎重な性格が現れているのだろうか。
 工場では仕事が山ほど降ってくる。現場でのトラブルとお客様のクレーム対応、どっちも優先順位最高(涙)!出張で1日をつぶし、宿題をお持ち帰り。その間、現場は待ってくれない。気がつけば仕事の山。すぐに慢性的な時間不足に陥ってしまう。研究所時代と違って、担当してる商品全てがテーマ。お客様ごとに用途も抱えている問題も違う。これらを頭に叩き込むんだけど、座学では明らかに限界。体験して痛い目に遭って身体で覚えるって感じ。そして、研究所時代の2倍は動いている印象。周りはもっと頑張ってるから自然と引っ張られる。研究所時代は時間が余りまくっていたから、自然と勉強やジョギングに専念できた。でも、今やその時間は捻り出さないと生まれない。さて、時間をどうやって捻りだすか。
 時間の無駄をなくすには正しいプロセスを経るか、結果から逆算するか、2通りのアプローチがある。正しいプロセスを経れば時間はかかるが、根本的解決により後々楽になる可能性が高い。結果から逆算すると、うまくはまれば時間はかからないが対処療法的であり、根本的な問題がある場合にはかなりの回り道を強いられる。どちらがいいかは、周りの状況に支配される。私の場合、明らかに前者を選ぶ傾向がある。
 なんか時間がないなあ、なんて状況を認めていることは一つの問題である。それはほとんどのケース、錯覚であると思う。気乗りせず腰が重かったけど、やってみたら意外にうまくいった、なんてことあるだろう。そう、やんなきゃいけないことは、どうやったらできるかだけに集中して最短距離で突っ走ればよい。逡巡してることが無駄なのだ。
 余った時間は自分のために使う。自分で自分の人生をコントロールする。仕事を自分でコントロールするのとは次元が違う。何をしても自由な時間、一日中寝ててもいいし、旅に出てもいい。意味なんてなくていい。ただ、自分の主は自分であると感じたいだけなんだ。