びーの独り言

どこいくの?どっか。

2005/06/28(火)「ボート部飲み」

 内示から2日後、誰も何も言ってこない。平日は飲み会で埋め尽くされようとしていた。隣の席の上司でありボート部のMさんに「このままじゃ、やろうと思ってもできなくなりますよ。」というと、連絡をとってくれたのか、次の日には同期の隊長とSが動いていた。少々厚かましかったと思うが、直接会って挨拶がしたかったのだ。
 銀座「花みどり」。総勢15名。そんなにいたのかと少し驚き。ボート部としては久しぶりの飲み会。挨拶はうまくできなかったかもしれない。ただ、みんなの顔を見ることができて良かったと思う。隊長が作ってくれた写真立てに感動した。ありがとう!
 2次会はカラオケに行った。個人的にBad Englishの「When I See You Smile」、Queenの「Breakthru」が歌えたのが良かったか。
 私にとってのボート部はかつてプライベートの大部分を占めていた。今は新人が入ってこず高齢化が進んでいる。だから活動を維持するのでせいいっぱいではあるが、それでも思い出を積み重ねてきた。
 1997年、入社したとき本社の新入社員研修で「ボート部に入りませんか。」と宣伝していた。一生運動なんかしないと決めていた私は縁がないと思った。
 1998年、宇都宮1年目、社内レガッタ大会に出た。レガッタとは4人で漕ぐ。シートがはずれたために他の3人に大いに迷惑をかけた。
 1999年、宇都宮の生活が2年目になった頃、手持ち無沙汰で電話ばかりしていたら、隊長に「電話ばかりかけるんだったら、ボート部に来い!」と言われた。もしかすると、ちょっと練習すればうまくなるんじゃないか、という軽い気持ちで行ってみることに。楽しい雰囲気だったので一発で気に入った。河口湖合宿でギターを初披露。最高の夜だった。
 2000年、戸田花火のときに見合いしてつきあってた相手を大阪から呼び寄せた。今、冷静に考えれば顔が赤くなる。なんでそんなことしたのだろう。結局うまくいかなくて、いろんな人に「お前、もったいなかったな。」って言われたけど、今となったらいい思い出。たまに話題に上って懐かしく。この年も河口湖合宿あり。
 2001年、転機。人数の都合上、対抗メンバーに選ばれた。運動を避けて生きてきた人間に、正直勤まるのかどうか疑問だった。ただでさえ運動にコンプレックスがあって、他のメンバー*1が普段から走りこんでることを知ると、暗い気分になった。思いもしなかったことだが、宇都宮でジョギングをスタートせざるえなかった。だが、この経験が今に繋がっているのだから面白い。練習はつらかったが、他の人たちの励ましで乗り切ることができた。結構、いいタイムが出てたのも自信にもなった。
 2002年、対抗2年目。少し気が緩んでいた。7月に念願の東京転勤。ジョギングはとうにストップしていて、前年の反省からエルゴメーターを漕いでいた。これは正解だったが、腰痛を抱えることになった。
 2003年、対抗からははずれた。東京に来たと同時に全体の活動は下火になっていた。
 2004年、形だけ対抗に復帰。当然練習なしでいい結果を残せるわけもない。
 ボート部から得たものは絶大であった。一時期はプライベート100%だった。他の人のサポートと励ましがなければ頑張れなかった。厚く御礼申し上げる。苦しいときもあったが今は全てがいい思い出。これからは活動に参加することは困難になったので、今後は残りの人たちのがんばりに期待したい。私の分まで楽しんで欲しい。

*1:みな同期