びーの独り言

どこいくの?どっか。

2005/06/21(火)「労使懇談会+Fさん飲み」

 組合の労使懇談会があって、そのまま17時から懇親会に突入。義務だから避けようもない。流れにまかせてビールを飲む。偉い人から、普段は聞けないような言葉が飛び出す。普段から肥料を与えればいいのに、こんなときだけ。本心なの?だったら行動で示してよ!
 19時半、豊洲「呑」。宇都宮からFさんが来ていた。ちょうど出張で本社に用事があったらしい。顔を見るのはとても久しぶり。面子は、いっしょに滋賀に行くFさんと大嫌いな人。
 Fさんにはとてもお世話になった。半年遅れで宇都宮に来たのがFさんで、昼食を食べてるときに話しかけたらギターの話になって「明日から朝練しよう!」って。会社でギターを弾くなんて概念は全く頭になかった。それがきっかけで2人でギターを弾くようになった。私の方は、高校卒業以来ほとんど弾いていなかったし、クラシック専門だったが、Fさんはプロ級にうまくてフォーク専門、ストロークに飽きて指弾きばかりしていたみたい。お互いにいくつかのテクを情報交換しあった。そのうちに私はフォークに走って、弾き語りばかりやるように。というわけで、ボート部で披露して以来、結婚式に呼ばれるようになった。休みの日もやることなくて、なんとなく会社に来て歌っていた。
 2002年7月、千葉に引っ越すとき、「結婚式には呼んでくれ。1曲弾くから」と言われた。嬉しかった。すると、10月に宇都宮工場の秋祭りに呼ばれた。「30分2人で演ろう!」。何回か結婚式で歌っていたが、30分は未知の領域。散々悩んだが、やらないよりやってみることに。5曲を暗譜、これはきつかった。本番はトラックの荷台の上、トラックといってもサイドが開くタイプ。結構、ちゃんとしたステージ、音響機器も凄かったみたい、クラシック専門の私は電気を通す技を知らなかったが、いろいろと教えてもらえた。
 1年後の2003年9月、再び秋祭りに呼ばれた。前日にFさんちに宿泊させてもらった。2人の元気な男の子と遊んだ。本番は、音響機器がすごくしょぼくなっていて、というかカラオケの機械で、マイクが3本しか使えず、私はギターマイクなしで、歌とハーモニカしか使えなかった。Fさんは本気で怒っていた。そういうわけで2004年は参加せず。
 今日の話しだと、「なぜやらないんだ」と社長をはじめいろいろな人に言われたらしい。2人のお子さんも「あのおじさん来ないの?」って言ってるらしい。今年はやるつもりだったみたいだけど、さすがに滋賀に転勤だとぶっつけ本番になる。でもね、こんなことを聞かされるとふつふつと熱いものが湧いてきちゃうんだよな。「今年やりますか?」。滋賀においては、4畳半の部屋で、ギターの置き場所があるかどうかも謎で、どんな生活になるのかわからないのに、自然と言葉が出てた。やれない理由より、どうやったらやれるか考えるのさ。
 実は私を宇都宮に異動させることも頭にあったらしい。「結婚したら呼んでください。」って前々から言っていたのが、ひっかかったみたいw。滋賀に行くことを残念がっていたが、ちょっとだけ寄り道しにいくだけである。長い目で見てもらえれば、絶対にプラスのはず!みなに言われるが、やっぱり言われた。「結婚しろ!」(爆死)。