びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/07/14(日)「松本」

 道の駅あおき。夜中に一度トイレ。もう完全に癖になってるなあ。暑かったので、上着のシャツと靴下を脱いだ。起きたのは5時。朝食後、昨日のブログを修正、髭剃り。
 615、出発。篠ノ井線の旧線を目指した。長野道麻績ICから筑北SIC下車。
 655、旧国鉄篠ノ井線廃線敷遊歩道。詳細は知らなかったが、以前からずっと気になっていた。1988年、明科から西条の間の6kmが廃線になった。地滑り地帯を回避したとのこと。
 廃線跡に入ったところは、けやきの森自然園という施設になっていて、路盤は車で走ることができた。これは興奮した。どこまで行けるのだろう?でも、すぐに車止めが出てきた。車を停めて探索することにした。
 松本側に歩いていった。廃線跡はハイキングコースとしてきれいに整備されていた。山の中腹を削ったような場所に大がかりな砂利道が続いていた。なぜこれほどの規模のものを放棄したのか?また廃線跡がどれくらいの規模なのかもまったくわからなかった。せっかくなので全部歩くつもりだった。
 踏切跡が現れた。遮断機が残っているのは珍しかった。その側に駅名標を模した案内標識が崖に立て掛けられていた。案内標識ではこの先にトンネルがあるようだった。
 しばらく歩くと、トンネルの案内板が出てきた。そこで初めてコースの全貌を知ることになった。6km・・・。そんなに長いのか。いくらなんでも、往復12kmを歩くのは時間的に難しいと思った。
 705、漆久保トンネル。明治35年のレンガ積み。全長は53m。今までたくさんのトンネルを見てきたけど、このトンネルは保存状態が素晴らしくて、とても美しかった。このコースを象徴する構造物だった。
 710、小沢川橋梁。トンネルの側に路盤の下に下りる獣道があった。そこを下っていくと、レンガ積みの暗渠があった。暗渠の表面からはレンガがノコギリ状に突き出していた。この積み方は珍しかった。路盤に戻る時に、電車の通過音が聞こえた。現役線はすぐ側のようだった。
 トンネルを越えて進んだ。路盤には勾配標やいろんな物が残っていた。たくさん残っていたので、廃止時期は比較的新しいのではないかという気がした。
 720、潮沢信号場。X字型のスイッチバック北陸線の山中信号場跡を思い出した。設置は昭和36年10月。遅いような気がするが?新線への付け替えは勾配緩和なのかな?
 この先は1.2kmで端っこのトンネルに至るようだった。1.2kmなんもないのは辛いと思った。でも、トンネルあるし、見ておかないと。運動運動と自分に言い聞かせて歩いた。緑の中で空気はひんやりして心地よかった。時折、路盤も苔むしていて、緑の絨毯みたいになった。
 740、旧第二白坂トンネル。端っこにはトンネルはなかった。目の前には新しい道路ができてた。開削された?つか、知ってたら1.2kmも歩かへんわ!往復で2.4kmのロス!
 帰りは時間短縮と運動を兼ねて走った。今度の盆休みは泳げなさそうだから、走る方もやっとかないと。さすがにバラストのとこはゴツゴツしてたので歩いた。
 805、車に戻った。まだコースの半分以上が残っていた。とりあえず車で行けるとこまで路盤を走ることにした。ついでに動画を撮った。けやきの森自然園を抜けると、なんのことはない。さっき路盤に登ってきたところまでしか車で走れなかった。地図によれば、この先は何もなさそうだったので、端っこにあるトンネルまでワープすることにした。
 815、三五山トンネル。こちらはコンクリートのトンネルぽかった。でも、本当は明治のレンガ積みトンネルで、補強のためにモルタルを吹き掛けてるらしかった。漆久保トンネルが美しかったのに、こちらはいまいちだった。
 845、出発。松本に向かった。まるでコースの半分を行かなかったことが正解だったように、雨が激しく降り始めた。
 910、旧開智学校。大工の棟梁である立石清重により明治6年(1873年)に建築された。令和元年(2019年)に国宝指定された。現在は耐震対策工事中で、臨時休館だった。外観は青いネットで覆われていた。どしゃ降りの雨でこの所業か。珍しいものが見れたわ(やけくそ)。
 925、松本市旧司祭館。旧開智学校の向かいにあった。明治22年(1889年)に建築された。入場無料。セスラン神父の和仏大辞典が紹介されていて、丁寧な仕事に感動した。思わず広辞苑プロジェクトXを思い出した。
 950、出発。無性に牛丼が食べたかった。1005、吉野家19号線松本高宮店。
 10時半、出発。近くの重要文化財を見に行くことにした。1055、あがたの森公園
 11時、旧松本高等学校。洋風の建物。講堂ではコーラスをやっていて、中に入れなかった。
 1105、向かいにあった旧制高等学校記念館。310円。松本高等学校は旧制高等学校だった。ここではその名前の通り旧制高等学校について紹介していた。旧制高等学校はエリートの行く学校で今の大学の般教に当たる。そして、旧制高等学校はそのまま大学の前身であったりする。妙に熱量が高い展示だった。
 12時半、出発。辰野の特別展に行くことにした。長野道塩尻ICから中央道伊北IC下車。
 13時半、辰野美術館。夏季特別展「ひこねのりお展ほたるの里におでかけ篇」。ひこねのりおイラストレーターで、主な作品は、カールおじさん(昭和49年(1974年))、きのこの山 たけのこの里(昭和54年(1979年))、タコハイのタコ(昭和58年(1983年))、サントリーCANビールのパピプペンギンズ(松田聖子の「Sweet Memories」で有名)(昭和58年(1983年))。世代的にドストライクであり、どれも懐かしくて、思った以上にインパクトがあった。こういう人たちに光が当たり始めているのは嬉しいことだった。
 1450、出発。雨は小雨になっていた。せっかくなので諏訪大社を四社とも回ることにした。諏訪大社には茅野の女性を紹介してもらった時(2011/8/11)と、大学友人Sと来たこと(2015/1/3)があった。でも、四社のどこを回ったのかはよくわからなかった。神社に目覚めた今なら視点が変わるかもしれない。
 1520、諏訪大社上社本宮。御柱があり、前に来たことがあるような気がした。後で調べたら、茅野の女性に連れてきてもらっていた。あっけなく拝殿だった。普段はお参りしないことも多いのだが、今日は決まっていた。「今のピンチを乗り越えられますように」。
 1540、諏訪大社上社前宮。ここは明らかに初めてだった。本殿は簡素だった。1555、交流センター前宮。少しだけ展示があった。諏訪の神様は出雲で負けてやって来たことを思い出した。神様でそういう立場って珍しいだろ?なんか今の私みたいと被るみたいでやったろうやんけと思えた。
 1640、諏訪大社下社秋宮。見覚えはまったくなかったが、参道には見覚えがあった。まるで善光寺の参道みたいに下り坂の両サイドに店が並んでいた。茅野の女性と大学友人Sの両方来ていた。本殿は上社よりも派手だった。
 1650、山猫亭はなれ。茅野の女性に連れてきてもらった。美味しいと紹介されて、なんとも思わなかったことを覚えていた。再度味を確かめたかったが、営業時間外だった。
 1705、諏訪大社下社春宮。大学友人Sと来ていた。秋宮と似ていた。参道にある太鼓橋に見覚えがあった。
 1715、出発。B級グルメの味噌天丼を狙った。これは大学友人Sと上諏訪駅で食べた記憶があった。適当に狙った店には駐車場がなくてスルー。そのうち城が出てきた。
 1735、高島城。前に大学友人Sと来ていた。当時、まったく聞いたことがなかった。今でもまったく聞かない。江戸時代の小藩なんてそんなもんかもしれない。
 18時、そば処秋月そば本店。味噌天丼セット。味噌天丼は甘くて全然だった。天つゆでいいわ。
 今日は疲れていて泳ぐ気が起きなかったので、温泉に行くことにした。上諏訪温泉に面白そうなところがあった。
 1840、片倉館。富岡製糸場の片倉コンツェルンが建てた。重要文化財。850円はJAF割で750円に。浴室はテルマエ・ロマエぽいというカキコミ。千人風呂を標榜していた。酸ヶ湯を思い出した。
 浴室はカキコミ通りで、ギリシャぽかった。なんなら白い彫刻が置かれていた。道後温泉本館を思い出した。千人風呂の浴槽の広さは普通。浴槽の床に玉石が敷き詰められていた。深かったので、立って入るのだろうか?
 1915、車でブログを打った。2045、出発。雨は激しくなっていた。
 2120、道の駅小坂田公園。雨が降っていて寝床を作るのが億劫だった。これでは夜中にトイレに行くのも一苦労だ。