道の駅小坂田公園。020にトイレに行きたくて目が覚めたが、どしゃ降りの雨で降りることができなかった。初めて携帯用トイレを使うことも考えたが、我慢できそうなので耐えた。420、雨は小降りになってたのでトイレに行った。起床は640。朝食後、髭剃り、昨日のブログを修正。
750、出発。松代を目指すことにした。松代には2012/3/10に大学友人Sと訪れていた。長野電鉄屋代線が廃止になるというので乗鉄したのだった。その時にいくつか施設を見つけて入りそびれていた。塩尻ICから長野道。8時半、姥捨SA。ここからの景色はわかっていても目が覚めるくらい美しい。長野IC下車。
9時、象山記念館。幕末に活躍した佐久間象山は松代出身だった。佐久間象山の門下には、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、河合継之助、橋本左内など幕末に活躍したそうそうたるメンバーがいた。佐久間象山は地震予知器や電信器なども作っていて、いわゆる天才であった。世の中では変人でもあったとも伝えられるが、展示では藩主の「欠点は多いが、有能」という部分にだけ臭わされていた。ここの展示では、佐久間象山の何が凄いのかについては、あまり伝わってこなかった。せっかく動画もあったのにピンと来なかった。もっと展示内容の表現を工夫するべきだと思った。
10時、象山神社。ここでは佐久間象山が祀られていた。佐久間象山の銅像の他に佐久間象山と関わりのあった坂本龍馬はじめ7人の銅像が。これはあざとくはあるが、後々流行りそうな予感。
1020、山寺常山邸。山寺常山が誰だかわからなかったが、松代藩の佐久間象山を含む3人の偉人には「山」の字が入ってるので「三山」と呼ばれていたようだった。邸宅は茶室みたいであり丸窓があった。私は丸窓に弱いのだ。この丸窓をフレームに見立てると写真映えする。丸窓からは光が差し込み、丸窓の向こうには庭の池と緑が見えた。
10時半、象山地下壕。象山は山の名前であり、佐久間象山の名前はここが由来であった。そのため地下壕と佐久間象山とは何の関係もなかった。地下壕は太平洋戦争末期日本の敗色が濃厚となった際に、陸軍により首都機能移転が計画されて掘られたものだった。松代には3箇所で総延長10kmの壕が掘られた。
地下壕に入る前にヘルメットを被った。入り口は鉄格子の扉になっていた。これは動物避けだった。地下壕の中はひんやりとしてジメジメしていた。まるで鉱道のようだった。穴は碁盤目状に掘られていて、見学コースは500mの長さがあった。コース以外の穴には入れないようにひし形の金属のフェンスが張られていた。鉱道と比べれば見所がなくて単調だった。後で知ったが、これには理由があった。
11時、もうひとつの歴史館・松代。地下壕の隣にあった。200円。年取った白髪のおじさんが説明してくれた。とても細かくてわかりやすかった。地下壕は3箇所だけでなく、他にも掘ろうとしていたこと、皇居も移転させるつもりだったこと、海軍も壕を掘ろうとしてたこと、いろいろ面白いエピソードが聞けた。特に昭和天皇が1947年に「無駄な穴」と呼んだのが衝撃的だった。
それとは別にここでは朝鮮人労働者の強制労働について語られていた。所謂タコ部屋労働である。その当時の証言が生々しく紹介されていた。また慰安所があったとも。私にはどこまで真実なのかはよくわからなかった。けれど、おそらく本当なんだろうと思った。歴史は支配者に都合のいいように書き換えられる。客観性を盾にして事実を証明しろと言うのはいつも支配者側である。庶民の声は歴史に残らない。私は右でも左でもないけど、世の中には一定の法則があると思ってる。
現在残る地下壕は、碁盤目で何も残ってないが、当時は横の通路の部分には部屋が作られていたらしかった。終戦後に朝鮮人労働者に仕事を与えるために全部片付けたそうだった。朝鮮に帰るにもお金が必要だったようで。
真田宝物館に行く前にお腹が減ったので隣にあった店に入った。1150、お食事処・喫茶「花の丸」。真田御膳。2300円。天ぷらとざるそば、鮭フレークとイクラの載った丼。なぜ鮭づくし?天ぷらはおいしかったけど、ざるそばは味がしなかったし、イクラは潰れていた。後で知ったが、松代では鮭を食べてたらしい。理由は忘れた。
1255、真田宝物館。松代は真田信繁(幸村)の兄真田信之が移封されてから代々真田家が統治してきた。真田信之の話は大河ドラマ「真田丸」でも有名になった。大阪夏の陣では、父昌幸と弟信繁は西軍、信之は東軍と袂を分けた。そして、両軍に分かれることでどちらかが必ず真田家を残すと。
この宝物館はとてもよかった。お宝もさることながら、説明もうまかった。昨年上田に行った時に真田の説明がいまいちだったのは、真田は松代に移ったせいではないかと思えた。
14時、真田邸。昔のお屋敷。部屋もきれいだったけど、庭の芝生がとても美しく、めちゃくちゃきれいだった。
1420、旧樋口家住宅。パネル展「裁判官横田秀雄と日本初の女性弁護士たち
」をやっていた。今、朝の連続ドラマ小説「虎に翼」をやっている。ヒロインのモデル三淵嘉子が明治大学法学部に入るきっかけとなったのは、松代出身の横田秀雄が明治大学の総長の時に女性への門戸を開いたからだった。
土蔵の中には真田三代に関わる記事がコピーして貼られていた。いろんなところでいろんな展示を見るけど、記事を貼ってるのがとても役に立つんだよなあ。展示の説明よりも短くてちゃんとまとまっているもんな。
1450、文武学校。藩校が当時のまま残っているのは珍しかった。私が入る前にたくさんの剣道の少年たちが中に入ろうとしていた。運がないなと思ったら、子供らはどこかに消えてしまった。なんだろうと思ったら、遠くで稽古の音が聞こえた。なんと施設の一部を借りて稽古してた。ここの施設は現役なのか?
15時半、出発。もう一つの地下壕に行った。
1540、気象庁松代地震観測所。松代舞鶴山地下壕は入り口だけ見れた。中は地震の観測に使われているようだった。脇道を奥に進むと、建物が三棟現れた。これが、皇室関連の建物だった。こんな普通の建物が皇居だったと思うと、なんとも言えない気持ちになった。昔は中を見学できたが、今は無人のようだった。
1605、松代城跡。昔、大学友人Sと来たことがあった。この頃になると雨が降り始めていた。入り口の橋の記憶はあったが、中の記憶はなかった。門が2箇所で再現されていた。天守跡からは土塁や堀など縄張りがよく見えた。
16時半、長野電鉄屋代線松代駅跡。どしゃ降りの雨となった。大正11年の駅舎とホームは残っていたが、路盤は広い砂利の駐車場になっていた。こんなに広かったんだったっけか?松代は観光地として優秀なのに、電車は廃止になってしまった。周りにはたくさん家もあるのに。鳥塚さんが地域にやる気なかったと言ってたのが正解に思えた。
車の中で何を食べに行くか迷った。信州サーモンを食べたいのだが、長野駅しかないか。行くのめんどくさいなあ。1710、出発。
1720、川中島古戦場。有名な川中島だが、まさか観光地になってるとは思わなかった。よくよく考えれば、武田信玄と上杉謙信の像が有名だよな。古戦場は八幡社という神社や長野市立博物館がある公園になっていた。八幡社の中に有名な像はあった。像は大きくて迫力があった。馬に乗った上杉謙信が刀を武田信玄に振りかざし、武田信玄は軍配で受けていた。きっとこのエピソードは後世の創作だろうが、人々を引き付けそうな面白い話だ。数ある像の中でもこれほど有名な像は上野の西郷隆盛や札幌のクラーク博士くらいではないか?
またまた車の中でどこに行こうか思案したが、妙案がなかった。とりあえず、ソースかつ丼を目指して長野駅に行くことにした。1750、出発。長野駅を目指した。1820、JR長野駅の駐車場。JR長野駅の駅ビルへ。気のせいかな?なんか前にも来たことがあるような?
18時半、ソースかつ丼明治亭。あんだけ悩んだのにサーモン丼なるものがあるやん!あれ?既視感が・・-。前もこんなことなかったか?それから、さっき調べた時に長野駅には信州サーモンの店があったよな。なんでソースかつ丼の店にしたんだ?いろいろ無茶苦茶で混乱していた。サーモン丼と信州そばざるセットにした。なぜかサーモンに「信州」がついてないのが、気になる・・・・えっ?昼食とモロ被りやし。
そばはめっさうまかった。ちょっとびっくりした。こんなうまいそばは超久しぶり。サーモン丼は見た目から肉厚で艶々していてうまそうだった。そしてめっさうまくてビックリした。なんやこれは?醤油が甘くて絶妙だった。イクラもポイント高かった。ソースかつ丼屋でこのクオリティは凄くないか?ネットで検索したら、信州サーモンを使ってるようだった。長野でサーモンなんて信州サーモンに決まってるよな。うん、信州サーモンに違いない。きっとそうだ!前に来た店かどうか調べたが、2年前にJR長野駅には来てたが、違う店だった。
2000円買い物すると、駐車場が1時間タダになるので、おみやげを買うことにした。これで3000円となったので2時間タダになるはずだった。なぜか精算できず400円orz。ふざけんな。
1935、出発。今日は途中から左肩が痛くなったので泳ぐのは止めた。数%を目指した。
20時、天然温泉まめじま湯ったり苑。駐車場からして大人気だった。850円。人工炭酸泉は初めて。ほんの少しヌルッとしていた。天然はどんだけ炭酸なのか?確かにとてもいい風呂だった。
20時半に車に戻って、しばらくブログを打った。
2145、出発。道の駅は遠いのでトイレがありそうな松代駅跡を目指した。
2210、松代駅跡。砂利の路盤には車が7台くらい停めてあった。駅のトイレは少し遠かったけど、人感で灯りがついた。いける!まさか廃線跡で車中泊するとは。めっさ静か。あとは蒸し暑いのがどうなるかだな。