びーの独り言

どこいくの?どっか。

「狂い」のすすめ

「狂い」のすすめ (集英社新書)

「狂い」のすすめ (集英社新書)

 著者のことは先週のヤングサンデー絶望に効くクスリ」で知った。ものすごく感銘を受けた。いつか読もうと思ってたら、さっそく昨日のブックフェアで見つけてしまった。これも縁なのだろう。
 宗教的人生観を優しく説いている。仏教が中心だが、キリスト教イスラム教も出てくる。のっけから、今の世間は間違っている、と切り捨てる。われわれは世間に合わせようとする。けれど、世間は権力者に都合がいいだけで、弱者はいつまでたっても弱者である。この状態から脱出するためには哲学を身につけよう。世間から見て狂ってしまおうというわけだ。熱い!熱すぎる!
 勝とうとするから負ける人が出てくる。ひきこもりの何が悪い。病気になっても、病院が儲けるからいいじゃないか。悲しいから喜ぶことができる。悲しいから幸せなのだ。世間のものさしで他人を裁くな。仏のものさしを持て。仏のものさしは測定しない。測定しないから万人は平等だ。貧乏人も金持ちも同じだ。
 モームの「人間の絆」が紹介されている。「人は、生れ、苦しみ、そして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、なにもない。そして人間の一生もまた、なんの役にも立たないのだ。彼が、生れて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは、一切なんの影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ。」「今こそ責任の最後の重荷が、取り除かれたような気がした。そしてはじめて、完全な自由を感じたのだった。彼の存在の無意味さが、かえって一種の力に変った。そして今までは、迫害されてばかりいるように思った冷酷な運命と、今や突然、対等の立場に立ったような気がして来た。というのは、一度人生が無意味と決れば、世界は、その冷酷さを奪われたも同然だったからだ。」
 本文中のたとえ話、「二匹のヤマアラシが、あまりにも寒いもので互いに抱き合って体を温めようとしました。でも、ヤマアラシにはトゲがあります。そのトゲが痛くて抱き合うことができません。かといって離れると寒い。そこで二匹は、近づくだけでうらめしそうにじっと相手を見つめるよりほかない。」、我々も自我というトゲを持っている。べっとりくっつけばトゲが痛い。人は孤独なのだ。孤独の癒しを求めても、癒されるわけがない。
 我々は観音様が形を変えて天から遊びに来た存在である。極楽では苦しみがないので、俗世に下りて来て修行してるのだ。子供も大人も男も女も平等である。自分の子供だろうが、他人の子供だろうが、観音様の生まれ変わりにすぎない。そして仏様が全体を統括し、我々一人一人に役割を与えてくださってる・・・。これらの仏教的世界観には初めて触れた。はるか昔から偉いお坊さんたちは庶民が救われるように難しい話を簡単に噛み砕いて説明したはずだ。例えば、お経を唱えるだけで幸せになれると。実にうまいことできてる。
 ここ最近に私が身につけた感覚をうまく表現してるような内容だった。うんうん、うなづきながら一気に読んでしまった。薄っぺらい本に数多くの教訓が示されていた。こんなに内容が充実している本を見たことがない。これは今の日本が必要としてる考えだ。物質的な世界から精神世界への転換をむかえてるのかもしれない。このタイミングで出会えたことは運命なのか。