びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/12/01(日)「那須」

 道の駅ばとう。夜中はとても静かだった。朝方はやっぱり寒くて毛布から出られなかった。起床は6時40分。まさか10時間近く寝た?駐車場はガラガラだった。不人気な道の駅だなあ。冬は寝床を片付けるために外にいるのが寒い。おまけに寝具はキンキンに冷えてるから手もとても冷たくなる。朝食後、昨日のブログを修正して、ひげそり。
 740、出発。近くの気になっているスポットに行くことにした。
 8時、喜連川人車鐵道弥五郎坂駅。人車軌道跡は初めて。人車軌道とはレールの上の車両を人が押すものである。馬車鉄道ならわかるが、まさかの人!これが意外と各地にあったりする。鉄道黎明期に一瞬流行っただけであっという間に姿を消した。
 喜連川人車鐵道東北線氏家駅喜連川の間8.2kmを結んでいた。1902年に開業して1918年廃止された。弥五郎坂駅はたまたま昨日B級スポットを調べていて発見したが、Wikipediaには載っていなかった。弥五郎坂駅は山越え区間にあり、無人餃子販売店の客寄せに作られたようだった?レールはヘロヘロ。客車に機関車もすべて木製の張りぼて。何故か同じく張りぼての戦車まであった。これを企画した人は元々趣味でこういうのを作っていたのではないか?狂気に近い執念のようなものを感じた。完全に振り切っていて、とても香ばしい物件だった。
 次は東野鉄道の廃線跡を探索することにした。東野鉄道は東北線の西那須野駅から那須小川駅の24.4kmを結んでいた。1918年に西那須野と黒羽間の13.1kmが開業し、1924年には那須小川まで延伸した。しかし、台風により箒川鉄橋が破損したため1939年に黒羽から那須小川間が廃止された。この区間はわずか15年の短命だった。1968年には全線が廃止された。
 東野鉄道と言えば、宇都宮に赴任した時に、宇都宮駅には関東バスと東野バスが走っていたことを思い出す。関東バスはわかるが、東野バスとはなんだろうと思った。しかも、ずっと「ひがしの」と読んでいた。読み方が「とうや」であり、鉄道を運行してたと知った時はたいへん驚いたものだ。あんな田舎に私鉄があったのか(注、行ったことありません)?しかも、早々と廃止になっているから、廃線跡なんて残ってないだろうと思っていた。
 しかし、最近私の廃線跡探索の腕前も深化を遂げて、ネットの情報やツールを駆使すればなんとかなることがわかってきた。またそんな折に東野鉄道の廃線跡ツアーまであることを知ったので、何か残ってるのではないかと思えてきた。ということで、長年不思議に思っていた東野鉄道を探索することにした。
 8時半、東野鉄道終点那須小川駅跡。旧小川町の中心駅。なんのことはない。昨日散々小川の集落をうろついていた。駅跡は中学校の中だった。中に入るのは止めて外から眺めるだけにした。
 そこから廃線跡は道路に転用されていた。遺構の残ってなさそうな駅はほっといて黒羽駅を目指した。廃線跡の道路はGoogleマップでとてもわかりやすかった。ひたすら田んぼの中をまっすぐ貫いていた。なんでこんな人があまりいなさそうなところを通そうと思ったのだろう?終戦前に廃止になるんだからよっぽど収益が悪かったんだろうな。いち早く廃線の原因となった箒川には川の中に橋脚の跡があった。
 920、黒羽駅跡。旧黒羽町の中心駅。スーパーリオンドールになっていた。スーパーの裏はバス置場になっていた。駅跡はバス置場になることが多い。バスには「関東バス」と書いていた。違うやん、と思ったら、よく見ると「TOYA」と書かれていた。そう言えば、関東バスに吸収されたんだっけ?
 こっからは大田原市街に向かった。廃線跡はよくわからなかったのでスルーした。
 945、大田原駅跡。クスリのアオキになっていた。こないだ行った上田電鉄の上田東駅を思い出した。
 すぐのところから廃線跡は「ぽっぽ道」という名の遊歩道となっていた。周りは賑やかな町となっていた。
 955、大高前駅跡。大高とは大田原高校のことであるが、どこに高校があるのかはわからなかった。遊歩道の脇にはホームを模したモニュメントがあった。
 1010、乃木神社前駅跡。ここにも遊歩道の脇にホームを模したモニュメントがあった。こっちの方が凝ってたが、実際の場所とは異なっていた。
 これで東野鉄道の廃線跡探索は終了とした。続いて東武矢板線を探索することにした。
 東武矢板線は東北線矢板駅東武鬼怒川線新高徳駅の23.5kmを結んでいた。1924年矢板と天頂間が開通。1929年に全線開業。1959年廃止。最初に矢板線を知った時、こんな田舎に路線があったことが信じられなかった。そして、案の定廃止時期もやたら早かった。
 いつか忘れたが、東武矢板線のルートを車で走ったことはあった。その時はなんにもわからなかった。今ならもう少し深く探索できるのではないか?廃線跡に関するWikipediaの情報はほとんどなかった。「歩鉄の達人」を見てもほとんど遺構は残ってなさそうだった。新高徳駅側が遊歩道になってるくらい。
 Googleマップと「歩鉄の達人」の地図を比べながら進んだ・・・無理だったorz。それらしいところすら掴めなかった。あんまりやってやろうという執念もなかった。見つけたところで何もないことがわかってるしやる気がわかなかった。沿線は寂しいもんだった。さっさと廃止になるのも頷けた。結局、だいぶ進んでから怪しい真っ赤に塗装された鉄橋が現れた。あああそこが遊歩道だな、くらいの成果しかなかった。
 湖畔亭ほそいを目指した。そして、紅葉も期待した。会津西街道は秋深くて、葉っぱは黄色くなっていい感じだった。やっぱり今年の紅葉は遅いのかもしれない。
 12時、湖畔亭ほそい。通算4回目。すっかりハマっている。駐車場は満車。こんな行き止まりの店が大人気。今日も山菜そば大盛りのきのこのせ。
 日塩もみじラインへ。日塩もみじラインは日光と塩原を結んでいる。もみじラインという名前が紅葉を期待させた。この道は宇都宮1年目に同期会をした時に同期と通ったことがあった。先にハンターマウンテンスキー場があったことを覚えている。もみじラインラインに入った瞬間に、赤からオレンジに染まった紅葉のトンネルとなった。真っ赤ではなくて淡い感じがとてもよかった。いけるやん!車窓動画を撮った。
 すぐに紅葉は途切れ途切れになった。それでもずっと期待した。しかし、高度が上がるに従い、紅葉はなくなっていった。あとはグネグネの上りが続いた。何回カーブさせんねん、というくらいカーブが続いた。サミットが過ぎると地面が濡れていた。そして、スキー場が現れた。こっち側は雪なのか?さらに下って行くと、ハンターマウンテンが現れた。雪は積もってなさそうだが、たくさんの車が停まっていた。山の上をよく見るとゲレンデのところだけ雪があった。人工雪かな?温暖化でスキー場もたいへんだ。
 日塩もみじラインが終わると、塩原温泉となった。昔から那須塩原と言うけど、塩原がどこかわからなかった。ここか。ここは同期たちとペンションに泊まった場所だった。鬼怒川温泉が長く凋落してるように塩原も厳しい感じに見えた。ファミマでトイレ休憩。次の場所を探した。
 1425、山縣有朋記念館。山縣有朋は好きではないが気になっていた。ここは小田原にあった別荘が関東大震災で倒壊したので、建物を移築したところだった。この辺りは山縣農場と言って山縣有朋が開拓した場所だった。入館料700円。高いと思った。展示は大したことがなかった。勲章ばっかりだった。
 この人はそんなに有能だったのだろうか?ほとんど有能だったエピソードを聞かないのだが?晩年は天皇に無礼なことまでしてるし。立見尚文の方がよっぽど有能だと思う。なんでこいつは平民だったのにあちこちに別荘があったり私腹を肥やしているんだ?あの時代に生き残ったことは周りの血を吸って生きてきたくらいに思うのだが?闇しか感じない。
 最後にコーヒーが出てきた。この建物は寒くてコーヒーの暖かさがとてもありがたかった。実は最初からコーヒー付きと案内されていたことを知ることになる。コーヒー1杯700円といった感じか。
 1545、那須クラシックカー博物館。はこくろさんが車好きだから押さえておこうかと思った。1000円。たくさんのクラシックカーが集められていた。車は詳しくはないが、貴重な車が集まってるのはなんとなく理解できた。よくこんなにも集めたなあ。段々と面白くなってきて、二周してしまった。気づいたらとても楽しい場所になっていた。
 1625、レストラン蒸氣汽関車。店の前に客車や蒸気機関車が置いてあった。蒸気機関車は全体が青色に塗りつぶされていた。趣味が悪いなあ。食事するつもりはなかったのだが、中を見るとガラスケースがあり、青い駅名標に「くんぬい」と書いてあるのが見えた。「くんぬい」はヤバい!心を撃ち抜かれた。
 中も鉄分高めだった。SLが食事を運んで来るようだった。一番安い焼きうどんとお茶を注文。ショーケースのグッズの写真を撮った。店員の女性がもうすぐ食材が来るというので席で待った。
 店員の駅風アナウンスとともにSLがやってきた。SLは意外と大きかった。SLの後ろにはブルーの客車があり、私の席のところで停まった。客車の側面は上に持ち上げることができ、中には焼きうどんの材料がお盆の上に載っていた。
 お盆を取り出して、側面を閉めると、店員さんが鉄板の上に具材を載せた。そっからは自分で焼きうどんを作った。お茶は、昔に弁当に付いていたプラスチックの容器にお湯が入っていて、緑茶のティーバッグが添えられていた。
 店内をSLが走る度に子どもらは大喜びだった。まさか那須にこんな店があるとは思わなかった。お会計の時にハンチングを被ったおじさんがいた。オーナーだろうか?何か話しかけることを期待してそうだったが、スルーした。
 17時半、源泉那須山令和の湯。840円。天井が高くて木組みだった。湯槽もヒノキ。気持ちよかった。休憩室が畳で床暖房。寝転がりながらブログを打った。こりゃいいや。とても気持ちがよかった。
 21時、道の駅那須高原友愛の森。友愛と聞くと((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル。あんまり駐車場には車がいなかった。日曜日だからか?いつも寝袋を広げて掛けてからその上に毛布を置いてるが、順番を逆にしてみた。どうなるか?