東北道佐野SA。起床は610。SAの喧騒は気にならなかった。排ガス攻撃も治まっていた。朝方少し寒かった。トイレに行きたかったが、暖かい毛布から出られなかった。
SAに朝食を買いに行った。たくさんの人がいた。なんでこんなに人がいるのだろうか?前回大失敗した万世のサンドイッチは華麗にスルー。前回同様どのメニューもクソ高い!パンが400円とかふざけすぎぃ!キーマカレーパンと栃木名物レモン牛乳を選択。このパンは大当たりだった。次回があるとするならまたこれにする。
745、出発。東北道は走りやすかった。空気は冷たかったけど、空は晴れていた。遠くの山は冬というよりも斑に赤くて秋の景色だった。もしかすると、今年は暖かかったので、紅葉が遅れてるのかもしれない。矢板IC下車。
今回は大田原を狙った。かつて宇都宮に住んでいたが、東北線から離れたところは未開拓だった。
9時、那須与一伝承館。ここは道の駅那須与一の郷の中にあった。東野鉄道の情報があるようなので寄った。那須与一が那須出身だったとは知らなかった。辺りには与一と名前のついた店がいくつかあった。
入館は300円。まず那須与一の物語の人形劇を15分見せられた。大きな劇場に一人。職員のおじいさんがあいさつ。大したことないだろうと思ってたら、のめりこんでしまった。展示は那須与一の由来の場所が説明されていた。那須与一が建てたという神社が付近にはたくさんあるようだった。また併せて大田原市付近の歴史が説明されていた。この辺りは那珂川と箒川沿いに平地と街が広がっていた。今回の探索はこの辺りがメインなので導入としてちょうどよかった。因みに東野鉄道に関する情報はほとんどなかった。
伝承館から出ると、やたらとたくさん人が集まっていた。おじさんおばさんたちはみんなパンフレットを持っていた。こんな不人気そうな施設に一体なんだろうか?
1020、那須神社(金丸八幡宮)。那須与一が戦勝を祈願して、那須氏の氏神となった。参道の周りには杉が植えられていてとても雰囲気があった。楼門と本殿は江戸時代に建て直されており、どちらも重要文化財だった。
11時、国宝那須国造碑。今回の目的の一つ。笠石神社になっていた。拝観する場合は社務所に申し出るスタイル。社務所の居間の畳の上にはたくさんのグッズが並べられていた。呼び鈴を鳴らすとおばさんが出てきた。おばさんは隣の建物に誰かを呼びに行った。しばらくするとおじいさんが出てきた。おじいさんは「500円かかります。説明を15分くらいしますが、大丈夫ですか」と言った。望むところだった。
那須国造碑は700年に建碑された。那須国の国造であり、その後下毛野国の評(こおり)になった人物が亡くなったので、息子が父を讃えるために建てた。要はお墓であった。長く倒れていたが、江戸時代に発見された。これを聞いた徳川光圀が神社のご神体として祀った。おじいさんによれば、近くには栃木で一番古い古墳があり、徳川光圀が、那須国造碑に描かれている人物が葬られているのではないかとではないかと発掘したとのこと。これが日本で最初の発掘と言われている。おじいさんの話はとても興味深かった。「郡評論争ってご存じの通り・・・」「下野薬師寺が・・・」というようなマニアックな話がたまらなかった。
おじいさんの説明が終わりいよいよ神社へ。本殿の観音扉には大きな錠前が掛けられていた。おじいさんが鍵を開けて、扉を開くと、紫の暖簾が現れた。おじいさんは暖簾をかき分けて中に入って電気をつけた。中には那須国造碑があった。石碑は思ったより小さかった。文字も小さかった。文字の中にはいくつか潰れている文字もあった。文字の中で「飛鳥浄御原」と彫られている箇所が特に目についた。かつて飛鳥浄御原跡に行った時、こんなとこにあったのかと思うくらい小さかった。栃木の石碑に描かれているということは本当に飛鳥浄御原があったんだな。
おじいさんに近くにある下侍塚古墳を勧められた。なんでも日本一美しい古墳だそうだった。パンフをもらうと、そこには田んぼにリフレクションした古墳が映っていた。確かに美しい写真だった。
1220、はらだ食堂。一番近くにあった食堂。道沿いにポツンとあった。建物は平べったくてボロボロ。潰れててもおかしくない感じ。駐車場にはたくさんの車が停まっていた。もう当たりの匂いがプンプン。暖簾には「とんかつ」の文字。中は想像通りの昔ながらの食堂。おじいさんとおばあさんがやっていた。とんかつ定食にした。味は普通。ボリュームが凄くて、コスパがかなりよかった。塩分?なにそれ?田舎に帰ってきたみたいな食堂だった。
1325、大田原市なす風土記の丘湯津上資料館。ここのすぐ近くに下侍塚古墳があった。駐車場は満車で、パンフを持った団体がいた。何があるんだ?団体は古墳の方へ去って行った。私は資料館に行った。入館は100円。係のおじさんに団体のことを聞いた。栃木県の建築業界の集まりだそうだ。伝承館にも行ってたそう。あまりにも渋いコースだな。
展示を見てたら、すぐに団体が戻ってきた。おじさんから「これから説明が始まるので一緒に聴いてみては」と言われた。これはラッキーだった。若い女性の学芸員さんが説明を始めた。ここには那須国造碑のレプリカがあった。さっきのおじいさんとは違う角度からの話があり面白かった。特になぜ徳川光圀がと思ったら、水戸藩領が近いからという理由に納得した。
女性は縄文土器の説明をしだした。この辺りから出土する土器は新潟の火焔型土器、青森の磨消縄文、千葉の加曽利式の特徴が融合しているとのこと。うおっ。熱いやん。新潟は箒川沿いに会津若松、会津若松から信濃川沿いで伝わった。そうか!
そこからはしばらくおじさんと話した。こういう話が聞けるのは旅の醍醐味だ。展示はあっさりしていた。でも、話が聴けて満足していた。
14時半、下侍塚古墳。古墳の上には松が生えていた。これは徳川光圀が植えたもの。徳川光圀は発掘の後に元に戻していた。周りの田んぼには水はなくてリフレクションはなかった。確かにこの古墳はきれいな形をしているが、日本で一番美しいというのは言い過ぎだと思った。
1505、那珂川町なす風土記の丘資料館。名前が大田原と似てるのは元々同じ運営だったのだろうか?例えば県から払い下げられたとか。100円。近くに那須官衙遺跡があるからここに建てたのだろうけど、大田原市と比較してまったくやる気が感じられなかった。国宝と那須官衙遺跡では観光資源的に天と地の差があるのは仕方ないがそれにしてもなあ。田舎にはときたままったくやる気のない箱物があるんだよなあ。
16時、馬頭広重美術館。とても外観は気合が入っていた。那珂川町はこれを前面に押し出している感じが凄かった。なぜこんなとこに広重がと思ったら、氏家出身の青木さんという実業家がコレクションを寄付したとのこと。いや氏家は隣のさくら市なんだが?建物は立派で好感が持てたが、あまりに展示作品が少なすぎた。特別展で地元出身の渡辺豊重という人の現代アートを扱っていたが、まったくわからんかった。那珂川町は何がしたかったのか?
17時、那珂川町温泉浴場ゆりがねの湯。馬頭温泉の外れにあった。400円。安い!おじいさんとおばあさんばっかり。シャンプーは備え付けがあった。浴槽は一つ、露天風呂あり。風呂に入ると気持ちよかった。車中泊では身体が冷えてるんだよなあ。温泉は少しぬるぬるしてた。風呂上がりにソファーに座ってブログを打ったが、床が冷たすぎて、すっかり冷えた。これはマイナス。
寝るのには時間が早かったのでうろつくことにした。
19時、なかよし自販機コーナー。レトロ自販機がたくさんあった。めっさ山の中だった。なんでこんなとこにあるのか?昔からあるというよりは、最近作られたような感じがした。先客の団体がいた。家族連れだった。くそガキがギャーギャー騒いでいてとても感じが悪かった。自販機の種類は、定番のそば、トースト、ハンバーガーなど。電子レンジもあった。その他にドアドアとかのコインゲーム。コスモスの自販機には震えた。
19時半、道の駅ばとう。どうしよう。さすがにこの時間に寝るのは早すぎる。エンジンを切って過ごすのも寒すぎる。今までこんなに時間が余ったのはなかったなあ。
今日は那須にはかつて那須国があり、大田原には古墳があることを知った。栃木には何もないなあと思ってたらそうでもなかった。来てみないとわからないものだなあ。