明治公園第二駐車場(根室)。4時半、起床。夜中に一回トイレに起きた。コーラがよくなかったと思われた。二度寝の寝つきもよくなかった。次からコーラは止めよう。朝食後昨日のブログを修正、髭剃り。
6時出発。今日もあいにくの小雨からのスタート。今日は根室拓殖鉄道の廃線跡を探索することにした。根室拓殖鉄道は根室から歯舞の15.5kmを結んでいた。1929年に開通、1959年に廃止。とにかくボロボロ、「ネムタク」の愛称で廃線マニアには有名であった。「歩鉄の達人」を頼りにして探索した。
6時、根室拓殖鉄道根室駅跡。JRの根室駅とは離れていた。今は根室交通有磯営業所の敷地となっていた。古めかしいバス会社の建物があったが、当時と関係があるのかはわからなかった。ここにはかつて珍しいループ線があったらしく、汽車の向きを方向転換していた。
廃線跡は納沙布岬に向かう半島の南側の道道に沿っていた。この道は納沙布岬に行く時には必ず通った道だった。道の両側には起伏のある草原が広がっていた。朝靄で幻想的な雰囲気だった。路盤は草原の中あるような違うような感じ、すなわちよくわからなかった。
615、友知駅跡(ともしり)。バス待合室付近だった。駅があった感じはしなかった。
6時半、沖根婦駅跡。道道から瑞泉寺へのアプローチの途中にあったと歩鉄さんは予想していたが、正確な位置はわからなかった。
双沖橋のところで、路盤の築堤が一瞬途切れたので、路盤跡を確認することができた。
645、婦羅理駅跡。歯舞新光会館の敷地になっていた。
655、歯舞駅跡。終点。かつて日本で一番東にあった駅だった。歯舞診療所の敷地になっていた。
根室拓殖鉄道の廃線跡探索は国道に沿ってたのでイージーであり、あっさりとしていた。廃線から時間が経ちすぎてるのであまり痕跡も残っておらず、本当にここに鉄道が通ってたのかなと思うくらい、痕跡は自然に返っていた。ボロボロの鉄道と言われてるが、残っている路盤などは迫力があった。何もない原野でこれを敷設するのは大変だっただろう。
710、納沙布岬。11年ぶり3回目。言わずと知れた日本最東端。靄っていたために北方領土の島々はまったく見えなかった。納沙布岬って前からあんまり盛り上がらないんだよなあ。
帰りは根室半島の北側の道道に沿って根室を目指した。
740、ヲンネモトチャシ跡。チャシは百名城に選ばれていた。百名城に選ばれていたのでチャシのことを知ったくらいだ。チャシが何に使われたのには諸説ある。砦であったり、儀式の場所であったり。未だに、はっきりしなくて、時代とともに用途が変わったという見方も有力とのこと。北海道に百名城がないのはバランスが悪いので無理矢理百名城に選んだような気もする。ここには駐車スペースが整備されていた。観光資源として注目してるのだろう。ここのチャシは崖の突き出た先端部分が平らになっていた。確かに不自然なスペースであり人為的な感じはした。城というにはあまり広くはなく、家の基礎という感じだった。ここにはチャシ跡を示す標柱が立っていた。こういうのが必要かどうかは評価が分かれるところだろう。ここからの景色は海岸線が見渡すことができて美しかった。
8時、ヒリカヲタチャシ跡。根室半島にはチャシがたくさんあった。ここも崖の突き出たところが平らになっていたが、チャシに上る道はなかった。Googleマップの写真では標柱があったが、ついに見つけることができず、チャシに上がることはできなかった。
815、トウシャム1号チャシ跡。道道の橋の近くに車を停めた。遠くにそれっぽい平らな場所が見えたが、近づくことさえ困難だった。Googleマップに誰かが記載しているが、必ずしも近づけるものではないらしかった。
820、トウシャム2号チャシ跡。道道の脇道に入った。ここも遠目に見えただけ。
8時半、コンブウシムイチャシ跡。道道の脇道に入った。遠目に標柱らしきものが見えた。標柱大事だな。
チャシを見ても情報量が薄くて時間ばかり食われるのでもう止めようかと思ったら、道道の脇道にチャシの看板があった。
850、ノツカマフチャシ1・2号跡。1号は双子であり、平地の周りに堀があった。堀というより小規模で溝に近かった。でも、堀があると城っぽいな。2号は単発だった。堀が中途半端らしく作りかけではないかとのこと。
ここの看板には旧海軍飛行場(牧ノ内飛行場)滑走路跡と関連施設が紹介されていた。面白そうなので行ってみることにした。
920、掩体壕。飛行機を格納するコンクリート製の覆いで、前から見たかったのだが、初めて見たのが根室になるとは思わなかった。想像よりも大きくて迫力があった。ネットによれば、5箇所あるようだったが、見つけられたのは1箇所だけだった。
9時半、旧海軍飛行場(牧ノ内飛行場)滑走路跡。Googleアースでは滑走路のような不自然な構造物が見えるのだが、地上から見ると草原のようにしか見えず、さらにその草原には滑走路の幅方向に一定の間隔で堤ができてたので、なおさら見分けがつかなかった。
945、引込線跡。飛行場建設に必要な資材を運搬したとのことだが、ネットにもまったく記載のない物件だった。どこにあるのかさっぱりわからなかった。1箇所だけそれっぽい道があったが、まったく自信はなかった。看板が欲しかった。
1005、明治公園第二駐車場。今朝まで車中泊していた場所だった。ここには国内最大級規模の煉瓦造サイロがあった。出発する時に見ていたが、写真を撮るためだけにわざわざ戻った。
お腹が減ったので、ご飯屋を探すと、ニューモンブランという店が出て来た。狙っていたエスカロップがあるようなので行ってみた。店は根室駅の駅前通りにあった。路駐の車がたくさんあった。停めようと思ったら、駐車禁止区域だった。店の前の案内に駐車場は裏にもあるということで行ってみたら無事に停めることができた。
1025、根室線根室駅。11年ぶり3回目。何にも変わってないように見えた。
1035、ニューモンブラン。店の中は昭和の喫茶店のようだった。偶然だが、ここはエスカロップ発祥の店だった。エスカロップは根室のB級グルメで、バターライスにドミグラスソースのかかったカツが載っていた。味は濃いめ。お腹が減ってたのでちょうどよかったが、食べ進めるうちにバターがきつくなってきた。「マウンテン」のスパゲッティほどではないが、きつかった。寒い中でカロリーを取るための知恵だろうか?確かにこれはB級グルメだった。
1115、ホクレン根室セルフSSで給油。
11時半、北海道立北方四島交流センター。納沙布岬にもいくつかそういう施設があったが、時間が早すぎて行けなかったので、ここに寄ることにした。道立だからパンチはないかもしれないがまともだろう。展示室では北方四島についての解説があった。北方四島の産業は昆布と蟹工船が中心だった。ここは交流センターという名前だった。住民通しが交流するのかと思っていたら、まさかのロシアとだった。ロシアの文化も紹介されていて、ある意味尖っていると思った。2階には北方資料館があったが、簡単な展示で大したことはなかった。
1240、温根沼展望台。根室半島の付け根にある温根沼が見渡せたが、電柱や電線が邪魔だった。冗談みたいな野良展望台だった。
1245、春国岱。風蓮湖の南側の砂州であり、ここには原生林があった。木道を歩いていくスタイルだったが、片道12kmあるので、すぐに引き返した。先に進んだからといって、情報量が増えるわけではないだろう。何しに来た?
1305、道の駅スワン44ねむろ。ここには風蓮湖展望デッキがあった。道の駅はたくさんの人で賑わっていたが、道の駅自体は驚いたことに閉まっていた。風蓮湖展望デッキは視界が狭くあんまり感じだった。タワーでも作ればいいのに。
1325、新酪展望台。道路脇に鉄塔があった。昔、天塩のFさんの実家に泊めてもらった時にも鉄塔を登ったことがあった。その時は360度牧場が見渡せたが、今回は一方向にだけ牧場が見えた。残りは木で覆われていて、その中を道路が貫いていた。
当初予定では海岸線に沿って北上しようと考えていたが、風蓮湖の北側の砂州を見ても春国岱のようなもんだろうし、それにこの先野付半島のトドワラも見たことがある。あまりインパクトがないような気がした。それよりはまだ探索したことのない標津線の方がずっと思い出に残るので良さそうに思えた。
1340、根室線厚床駅。ここから標津線は分岐していた。この頃になると天気はよくなってきた。少し北に上がってきたからだろうか?
奥行臼に行った。奥行臼は15年ぶり2回目。ここには3箇所見るところがあった。奥行臼駐車場に停めてから徒歩で移動した。
1415、旧奥行臼駅逓所。テレビのロケをやってるので後にして欲しいと言われた。こんな客が来る時にやるなよ。
1420、奥行臼駅跡。ほぼ現役当時のまま残っていた。前は駅舎の上に青い駅名標があったような気がしたが?それからホームの電柱と駅名標がかなり斜めになっていた。倒れそうで怖かった。
別海村営軌道風連線奥行臼駅跡。前に来た時は別海村営軌道のことをまったく知らなかったので驚いたことを覚えている。前に来た時はボロボロのディーゼルカーの客車と、機関車と貨車があったのだが、今回はどれもきれいに塗装されていた。さらに客車や箇所には乗れるようになっていたし、待合室にも入れるようになっていた。価値が見直されたかな。
この先の探索は、Wikipediaに駅の場所を示す地図はなかったので、「歩鉄の達人」を中心とした。
1520、別海駅跡。「ぷらと」という施設になっていた。「ぷらと」の中には「ていしゃば」という喫茶店が入っていた。
別海と言えば牛乳であった。小腹が空いたのでソフトクリームが食べたくなった。ぷらとでゲットした地図に従って、店を探した。
ミルクハウス。JA道東あさひのソフトクリーム店。閉まっていた。
べつかい乳業興社。チーズなど乳製品を扱っていた。休みだった。
別海町ふるさと交流館。ここは数%だったので、いけるだろうと思ったら、休みだった。
10km先の春別に移動した。1605、ミルク王国。JA中春別のソフトクリーム店。ノーマルのソフトクリームは370円。一口食べると、濃厚でとてもおいしかった。クリームはすぐに溶けてきた。それが濃いソフトクリームである証拠に思えた。客はひっきりなしに来た。大人気だった。
標津線の廃線跡探索に戻った。別海の方向に戻った。
16時半、平糸駅跡。看板が立っていて刈払いができていた。少し森の中を進むと、ホームが現れた。幻想的で美しかった。ホームの下は鉄骨で支えるタイプで、階段でホームに上がれるようになっていた。ホームの上には再現の駅名標があった。ホームの上で汽車が来るシーンを想像して、何とも言えない気持ちになった。階段のすぐ近くには倒壊した建物があった。待合室だろう。
さっきのミルク王国の場所に戻った。A・COOP中春別で、べつかい乳業興社のさけーるチーズを買った。他にも朝食用のパン、お茶、ハイチュウを買った。車の中でさけーるチーズを食べた。濃厚でおいしいような気がした。
1710、春別駅跡。中春別ヘルスパークという公園になっていた。
次の協和駅跡は見つからなかった。「歩鉄の達人」にも載ってなかった。
1735、中標津駅跡。バスターミナルになっていた。資料室があったが、時間外なので閉まっていた。
東標津信号場。中標津空港への分岐があったようだが、何の手がかりもなく路盤すら見つからなかった。
1810、上武佐駅跡。駅舎は既に取り壊されていたが、昔映画で使われたようで、張り紙の案内があった。
1820、川北駅跡。車両が一両静態保存されていた。旧駅舎をイメージしたバスの待合室があった。
1840、根室標津駅跡。終点。おそらく15年前に一度探索したことがあったが、ブログには探索の記録が見当たらなかった。見つからなかったから書かなかったのだろう。今回、転車台が残っていて、C11 224が静態保存されていた。駅跡の価値が見直されたのだろう。15年ぶりに駅を見つけることができて満足した。
1905、公衆浴場くすのき。オホーツク温泉となっていた。490円。古かったけど、湯船はすこし広かった。泉質は少しぬるぬる。風呂上がりにコーラを買った。一度買うと止まらなくなるなあ。
1945、しべつ海の交流館駐車場。トイレで調べたら出てきた。キャンピングカーもいるから大丈夫だろう。ひたすらブログを打った。なんかここは外が騒がしい。それと、雨が降ってるからか窓を少し開けてても暑い。