道の駅玉露の里。2時前にトイレ。嘘みたいに静かで、気持ちいいくらい眠れた。相当疲れてたのかな?6時起床。朝食がないので、髭を剃って、625、出発。
635、セブンイレブン藤枝仮宿店。朝食はサンドイッチ。昨日のブログを修正。710、出発。今日は大井川鐵道に沿って終点の井川まで行くことにした。
740、新金谷駅。2023/3/18以来2回目。相変わらずたくさんの客車が留置されていた。線路からは懐かしい機械油の臭いがした。ちょうど駅に近鉄の車両が入線してきた。ラッキー。奥の転車台の上にはSLが載っていた。C12164。転車台は昨年行った東赤谷から移設したものだった。あんな山奥に転車台があったのか?
8時、出発。805、給油。178円。高い!
合格駅。2023/3/18に見つけていた。木造のかわいらしい駅舎。中は地元の人によく管理されてるようだった。元は五和駅(ごか)という名前だったが、2020年に改名した。集客のアイディアの一つだと思う。
825、門出駅。ここは2020年に新しくできた。近くに東名のICがあり、交通の結接点として期待してるらしかった。駅舎はなくて、おしゃれな施設があった。大井川鐵道は災害の影響で区間運転していた。今は金谷から川根温泉笹間渡までしか走ってないことを知った。
この先は早くも山がちとなった。時折、大井川を見渡せた。
855、家山駅。駅前がバス転回場となっていた。バスなんか来ないだろうと思ったら、写真1枚撮ったところでバスが来た。慌てて車をどかした。
9時、抜里駅。日差しが強く、緑に囲まれて、夏の田舎の駅といった風情だった。とても懐かしい気持ちになった。
9時半、川根温泉笹間渡駅。今の終点。ホテルがあるだけだった。千頭駅までの代行バスは手前の家山駅から乗るらしく、この駅には来なかった。
945、塩郷の吊橋。大井川と大井川鐵道を豪快に跨いで架かっていた。歩くところの板は幅が狭かった。スマホを落とさないように気をつけた。
大井川鐵道にはいくつもの鉄橋があった。まだまだ先は長いのに既に道は険しかった。よくこんなところを通したなあ。
1025、道の駅奥大井音戯の里。隣は千頭駅だった。千頭駅は2010/3/27以来2回目。ここは大井川本線の終点で、井川線の起点だった。入場券を150円で買って中に入った。ゆるキャン△の5人の登場人物の等身大パネルがあった。私はゆるキャン△を読んだことがないので、よくわからなかったが、どうやら大井川が聖地のようだった。
大井川本線のホームには、機関車トーマスの顔をしたSLが3台もあった。あと南海の車両もあった。井川線の方には一回り小さい赤色に塗装された客車がたくさん留置されていた。これは前の記憶通りだった。すると汽笛が鳴って、機関車が動き始めた。客車の入れ替えを行っていた。最後に客車と機関車がホームに入線してきた。その様子を動画に撮ることができ、ラッキーだった。
1055、SL資料館。100円。大井川鐵道のSL動態保存について説明されていた。好感の持てる渋い展示だった。
1110、千頭駅売店。山菜月見そば大盛。980円。こういうのが旅の思い出となる。味は所詮立ち食いやね。
駅前の観光案内所で地図を入手した。目の前には屋台があった。豚串500円。この豚串はゆるキャン△に出てくるようで漫画のコマが貼ってあった。一口目がやたら美味しくて食べてよかったと思った。
1150、出発。千頭駅を見たというのにあんまりワクワクしてなかった。とにかく疲れていた。風邪が治りきってないのか、肩が凝っているのか。それとも旅をし過ぎて特別感がなくなってるのかもしれない。
1155、両国吊橋。隣に道路橋があり、誰も使ってないようだった。
大井川から離れて寸又峡に向かった。寸又峡には温泉と夢の吊橋があった。離合困難な山道が続いた。こんな奥に本当に温泉なんかあるんだろうかというような強烈な道だった。何のために昔の人はこんなところを切り開いたのだろう?トンネルで山を抜けると、平坦な土地に出て、ヘリポートがあった。そして、まもなく寸又峡となった。
12時半、寸又峡第三駐車場。千頭森林鉄道の機関車と客車が展示されていた。千頭森林鉄道については「山さ行がねが」で知っていた。こっからは夢の吊橋を目指した。徒歩で30分かかるらしかった。
1245、千頭森林鉄道大間駅。大間駅は最奥の集落で、この先まだ何十キロと森林鉄道が伸びていた。夢の吊橋までの道も元は森林鉄道の廃線跡を利用したものだった。
夢の吊橋。大井川の支流の寸又川に架かっていた。水面はいつもはエメラルドグリーンらしかったが、昨晩からの雨の影響で白く濁っていた。奥地に架かっていて、有名なのでどんだけすごいのかと期待してたが、高さもそんなになく普通の吊橋だった。塩郷の吊橋に似ていて、踏板の幅は狭かった。スマホを落とさないように必死で写真を撮った。こんなことをしてれば、いつか落とすかもしれない。
対岸は急な階段となっていた。304段は大したことないと思ってたら一歩一歩が高かった。私は階段が若手なのだ。
13時半、寸又峡渓谷尾崎坂展望台。展望台の景色は木に隠れて見えなかったけど、ここにも千頭森林鉄道の車両が置いてあった。ここで折り返した。
飛龍橋。深い谷間に橋が架かっていた。これも森林鉄道の時かららしい。さすがに当時は木橋だったと思うが。
下山してすぐの店に入った。1415、寸又峡サイダー。ラベルが特別なだけで、何か特別な味がするわけでもなく。ラベルはきれいだった。280円。サイダーの値段じゃないよな。
元ふじみや旅館。寸又峡と言えば、1968年に金嬉老が立てこもった事件が有名。ここはその事件現場だった。今はもう廃業されていて、言われないと旅館だとわからないレベルだった。
1440、出発。大井川沿いに戻った。この頃からよえやく調子が出てきた。少し山歩きしたからだろうか?
1510、長島ダムの駐車場。目の前には長島ダム駅があった。でも、肝心の長島ダムの眺めはよくなかった。場所を移動した。
1515、大樽広場の駐車場。少しダムの下の方に降りてきた。旧井川線のトンネルがあるようなので行ってみることにした。
1520、旧井川線のトンネル。長島ダムができたことにより、大井川鐵道の区間は一部付け替えられた。今回旧線の探索は目的には入ってなかったが、運良く巡りあうことができた。トンネルは少しカーブしていて、出口の先の路盤はよくわからなくなっていた。
1525、しぶき橋。長島ダムの堤体の下の真正面にダムと平行してかかる橋。ダムの堤体は109mで巨大な壁のようだった。ダムの左右からは水流が真横にジェット噴射されていて、そのしぶきが橋の中央付近を濡らしていた。まるで台風の時のような横殴りの雨のようだった。ド迫力のダムを楽しめる場所だったが、辺りには誰もいなかった。
大井川鐵道のアプト区間が気になるものの、奥大井湖上駅を目指した。途中で駅を見下ろす有名なビューポイントがあったが、路駐できなかった。
1545、奥大井湖上駅駐車場。ここから15分歩けば、展望台や駅に行けるようだった。
あづまや。展望台だが、写真で有名な場所ではなかった。奥大井湖上駅は遥か下の湖に架かる赤い鉄橋と鉄橋の間にあった。ちょうど下り電車が停まっていた。発車する動画が撮れた。つくづくラッキーだった。
赤い鉄橋を渡り、16時、奥大井湖上駅。たくさんの人がいた。写真を撮っていたら、上り電車がやってきた。汽笛とともにディーゼル音がブルブルと鳴り響いた。さっきの電車が折り返して来たのだろう。サボには「千頭ー接岨峡温泉」と表示されていた。車掌さんが降りてきて、「この列車は4時9分発です」と言った。車掌さんは他の車両の扉の鍵を開けていた。そこに何人かが乗り込んでいった。この人たちはどこから来たのだろう?車掌さんが「本日の最終列車になります。お乗り遅れのないようにお願いします」と言った。もう最終なのか?そして、電車はディーゼル音を響かせながら去っていった。つくづくラッキーだった。
1625、出発。有名なビューポイントはカットして先を急いだ。接岨峡温泉もスルー。日没になる前に一目散に終点井川駅を目指した。接岨峡温泉から先はぐねぐねの離合困難な山道となった。時折「この下には線路があります」との看板があった。まったく路盤は見えなかった。こんなとんでもないところによく通したものだ。
1645、井川駅。2010/3/27以来2回目。なんでこんなとこに駅を作ったかわからないような山奥だった。駅は終電が過ぎていたから閉まっていた。中に入れなかったのは残念だけど、仕方ないことだった。張り紙には「始発12時20分、終電14時」となっていた。これでは地元の人は使わないだろう。
今日の目的は井川駅の先に一駅だけ伸びる廃線跡探索だった。ずっと気になっていた。最近、遊歩道として整備されたとの情報を得ていた。井川駅から伸びる線路があったはず。探してみたが、道路の上に橋台と封鎖されたトンネルが残っていただけ。あれっ?遊歩道は?調べると、すぐ近くの井川ダムの方からアクセスするようだった。井川ダムは後回しにして遊歩道に向かった。
1655、遊歩道。バリケードには「熊の目撃情報があります」の看板。スマホのアラームを鳴らしながら歩いた。すると、すぐにシャッターで閉鎖されたトンネルが現れた。そして、その先には枕木付きのレールが!これは凄かった!長年の念願が叶った瞬間だった!右側には井川湖。これまた素晴らしい景色だった。ただ終点堂平までは徒歩で30分かかるらしく踏破するのは諦めた。
車で堂平駅に向かうことにした。井川の集落は井川駅からは少し離れていた。畑の中の小さな道を右折すると、林の中にポカンと空いた薄暗い空間があった。林の中の道は車など通ってないのか、路面には木の枝が散乱していた。帰ってこれるのだろうか?そんな不安がありながらも先に進むしかなかった。そして、少し開けた場所に出た。
1715、堂平駅。完全に緑の中だった。視界はどれも緑色のフィルターがかかっていた。レールはここで途切れていた。レールの最後は2つに分岐しようとしていた。どこへ向かおうとしてたのだろう?かつてここからダムの建築用資材を運んだはず。それにしては町から外れた寂しい場所だった。
1740、井川夢の吊橋。寸又峡と同じ名前の橋があるのはややこしかった。ここもまた脇道にそれた途中の分かりにくいところにあった。辺りは薄暗く、駐車場もないので、スルーした。
せっかくなので井川の集落の端まで行くことにした。とんでもない山奥なのに少し規模があった。これなら井川に鉄道を敷こうとしたのもわかるような気がした。でも、だったらもう少し集落の中まで線路を伸ばせばよかったのに。何か食べ物を売ってる店を探したが、まったくなさそうだった。ここの人たちは普段はどこに買い物に行くのだろう?集落の端には思いがけずガソリンスタンドがあった。ここで引き返した。
1755、井川ダム。堤体は103.6m。後から知ったが、ここからは井川集落まで船が出てるようだった。昔は大井川鐵道へのアクセスとなっていたのかもしれない。
夕食を食べられる場所を探して大井川を戻ることにした。
1815、閑蔵駅。県道77号線からすぐ。木々に囲まれた中に2軒の民家があり、その先に対向式のホームがあった。薄暗くてシーンとしていた。ホームの高さは通常よりずいぶん低く、向かいのホームには狸の焼き物が置いてあった。
1825、接岨峡温泉駅。県道77号線から駅へのアクセスは狭い道が九十九折りになっていた。駅前には温泉があった。駅舎は閉まっていて、温泉も準備中だった。
18時半、接岨峡温泉会館。宿で日帰り入浴もあり、食事が食べられそうだった。中に入ると手作りのパンを売っていた。これは明日の朝飯に良さそう。券売機があり横がカウンターになっていた。カウンターの中は厨房になっていておじさんがいた。券売機の食事メニューはどれも×がついていたorz。おじさんによれば食事は昼だけだそうだった。「卵かけご飯くらいならできるよ」と言われて、作ってもらうことにした。800円のところ「卵2個だけど、1個でいいでしょ?」と言われて500円。「先に温泉入ってきなよ」と言われて、温泉に向かった。温泉は500円。パンも買った。430円。
温泉はとてもぬるぬるしていた。私はこのぬるぬるが好きである。輪島のねぶた温泉を思い出した。上がろうと身体を拭こうとしたら、左足の脛にでかいナメクジのようなものがついてた。そいつは脛に垂直に食いついていて、身体を2つ折りにしていた。直感でヒルだと思った。ヒルに噛まれるのは初めてだが、「山さ行がねが」でお馴染みだった。いつついたのかまったくわからなかった。丸々太ってずいぶん私の血を吸ったようだった。もしかすると、途中から調子がよくなったのはこいつが悪い血を吸ってくれたのではないかと思った。ヒルはタオルで払っても取れなかった。強く剥がしたらようやく取れた。痛さとかはまったくなかったが、血が止まらなかった。ヒルは排水の溝を尺取り虫のような動きでどっかにいった。ヒルの食事は命懸けだな。
おじさんに呼ばれて、脱衣所から撤収した。卵かけご飯。その気持ちがありがたかった。おじさんによれば、卵かけご飯を見た他のお客さんにも卵かけご飯を作ることになったらしい。「田舎の人は優しいからね」と笑いながら言っていた。旅のいい思い出となった。
1925、出発。1950、長島公園駐車場。何台か車が停まっていた。静かで暗くてよくよく眠れそうだったが、あまりにも真っ暗過ぎて、トイレの場所どころか目の前すらわからなかった。車の中も真っ暗。真っ暗過ぎて不安になった。前々から懐中電灯が必要だと思ってたが、今日ほどそれを思ったことはなかった。場所を移動した。
2010、道の駅奥大井音戯の里。明るかったが、静かだった。光があることに少し落ち着いた。そんなに車中泊の車もいなかった。この辺りはそんなに人気がないのかもしれない。ひたすらブログを打った。それでも書ききれず寝落ちした。