びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/03/11(土)「成田」

 起床は6時。先週の暴走から調子の悪さを引きずっていて、出かける気持ちが湧かなかった。何もせずに頭の中を空っぽにしたかった。でも、何にもしないのは死んでるのと同じ。もしかしたら、出かけることで気持ちが変わるかもしれない。感情は無視して、理性で出かけることにした。出発は750。
 とりあえず近場で芝山町の航空科学博物館を目指すことにした。千葉北ICから東関道で成田JCから新空港道で終点新空港ICまで。
 850、芝山鉄道芝山千代田駅。車からは降りなかった。ここは乗り鉄で2回来ていた。芝山鉄道京成電鉄東成田駅から成田空港の地下を通って芝山千代田に至る総延長2.2kmの日本で一番短い路線であった。芝山鉄道は成田空港の建設に伴い、地元の人が東西の行き来ができなくなるため建設されたという特殊な事情があった。
 以前からこの駅の前には航空科学博物館の案内看板があった。歩くのには遠いし、どういうところか気になっていた。開館は10時からで、まだ時間が早かった。他の寄り道できそうなところを調べてみると、芝山町でははにわも有名らしかった。どうやら千葉県は古墳の数が1位らしい。えっ?ウソ?千葉に古墳のイメージはなかったぞ。ましてや大阪や奈良より多いなんて?俄然やる気が出てきた。
 910、芝山町立芝山古墳はにわ博物館。ここは小学生でもわかるような説明を目指しているとなっていた。しかし、初っぱなの古墳の説明文から感動した。事実を説明するだけでなく、その時代に生きた人が何を思っていたかを説明したいとのこと。普通は事実を淡々と羅列するだけで、血の通った人間の生活を感じるのが難しかった。例えば、日本書紀は神話であり実際に起きたかどうかわからないからかほとんど説明に出てこなかった。そして一番驚いたのは文章が目の覚めるような名文だったこと。私は一気にここの博物館のノリに引き込まれた。
 ここは付近の芝山古墳群から出土した埴輪をこれでもかというくらい展示していた。しかも、説明も難しい内容を小学生がわかるレベルまで噛み砕いていた。写真撮り放題もありがたかった。町立の博物館だから大したことないかなと思っていたが、あまりにも展示と説明が素晴らしくてとても感動した。今回の旅は始まったばかりなのにもう成功を確信していた。また来たいなんて思うことは滅多になかった。1015、出発。
 10時半、航空科学博物館。鹿屋、浜松に続く飛行機シリーズ第三弾!ここもまた屋外に飛行機が展示されていた。建物の中に入ると入場料は700円だった。すぐにイベント3つの案内があった。そのうち一番高い500円50分のツアーに申し込んだ。
 1115、ボーイング747セクション41機内ツアーガイド。参加者はお母さんと男の子、そしておっさんの3人。なんとも微妙な取り合わせだった。ボランティアガイドのおじさんに連れられて、ボーイング747の実物の中に案内された。私は飛行機には疎く、ボーイング747のことはよく知らなかったが、1969年に就航したジャンボジェット機だった。
 実際の客室に座らせてもらい、おじさんがいろいろ説明してくれた。飛行機のことをよく知らない私でもワクワクせざる得なかった。男の子は飛行機が大好きみたいで、おじさんの質問にもよく答えていた。
 このツアーの目玉はコックピットに座れることだった。コックピットに座れるのは日本でここだけらしかった。コックピットはアナログのメーターだらけで、天井にはブレーカーがたくさんあった。747は3人乗りだった。左がメインパイロット、右がサブパイロット、その後ろに機関士。今の乗員は2人になっている。
 実際にシートに座って、シート位置やブレーキ位置を調整した。飛行機の操縦はアメリカの同時多発テロ事件の時にそんなに難しくはないと聞いたことがあったが、実際そんな感じに思えた。おそらく非常時の対策の方が重要なのだろう。50分があっという間だった。夢のような時間だった。一生の思い出になるだろう。
 博物館の常設展示はあっさりしていた。ツアーのような深い説明はなく、ちょっと物足りなかった。浜松の時もあっさりしていたが、もしかするとテロリストに情報を与えないようになってるのかも?
 5階からは隣の成田空港が見渡せた。さすがに見張らしは空港から見る方がいいかな?滑走路を移動する飛行機や、空港に列をなして待機する飛行機たちが見えた。
 屋外の展示を見た。展示の中にはYS-11があった。戦後初の国産機旅客機。実物を見ることができて感動した。
 1315、成田空港空と大地の歴史館。航空科学博物館の隣にあった。なんだろうと思ったら、成田闘争の歴史を説明していた。夢のある飛行機の話からいきなりハードモードになった。成田闘争の具体的なことは知らなかったが、まず住民の合意を得ずにいきなり三里塚に空港を作ることを決定したことがすべての悲劇の始まりだった。空港建設前の航空写真では、ほとんどが田んぼだった。敷地の真ん中には宮内庁御料牧場があった。宇都宮にもあったなと思ったら、成田から移ったものだった。
 そこからはほぼ内戦状態。学生運動吹き荒れる時代で、ヘルメットに火炎ビン、鉄塔の櫓は建てて立てこもり、双方に死者まで出して、挙げ句の果てには管制塔を制圧したり。結局、土地を強制収用して建設が進み、成田空港が開港した。そして、25年後お互いに歩み寄ることで決着がついた。
 未だに対立しているグループも残っていて、こないだ看板の撤去が強制執行されていた。もはや住民が反対してるというよりは、過激派が騒ぎ立てているだけに思えた。辺野古も同じ図式なんだろう。事前に話し合えば本当に解決するのだろうか?本当はどうやったらよかったのとても生々しいインパクトのある施設だった。それにしても誰が何のために作ったのだろう?1410、出発。
 ひこうきの丘。今日は天気がよく、暖かくてポカポカしていた。皆が空を見上げていた。真上を飛行機が飛んでいた。
 1435、京成電鉄東成田駅。ここは3回目。鉄道ファンには有名な場所。元は成田空港駅であり、その痕跡があちらこちらに残っていた。またここにはデイリーポータルZで紹介されたターミナルビルへの連絡通路があった。
 人気のない入り口には警官が立っていた。成田空港には過激派のテロ防止のためたくさんの警察官がいた。コンコースには衝立があり、その向こうにはかつてのコンコースが埃を被っていた。せっかくなので入場券を買って、ホームに降りた。向かいには明かりの消えたホームがあった。電気の消えた駅名標には「なりたくうこう」と書かれていた。何回来てもこの駅は香ばしくてワクワクする。1505、出発。
 15時半、成田山新勝寺。あまりにも有名だけど、訪問は初めてだった。門からして大きかった。浅草寺のように大きな提灯がぶら下がっており、善光寺のように護摩の煙が漂っていた。
 遅い昼食でうなぎが食べたかったけど、どこも閉店間際だった。1610、出発。
 1620、イオンタウン成田。たまたまうなぎ屋の看板が見えた。「新川」。3000円越え。出てくるのが遅くて期待したけど、べちゃべちゃして味が薄くてあんまり。これだとこないだの浜松の方がよっぽど美味しかった。あまり気にしたことはなかったが、焼き方の問題だろうか?1735、出発。
 家が近いから帰りたくなったけど、往復で2時間2000円を考えると、やっぱり先に進んだ方がいいかなと。香取に向かった。
 1815、おふろCafé かりんの湯。まさかの1780円!先週の館山を上回ってくるとは!他に行こうかと思ったが、適当なのがなかった。ここも館山と同じで部屋着付きだった。いらないから安くしてくれ。そのくせタオルがない。これは酷い。中はさすがにおしゃれで、たくさんのマンガが置いてあった。
 風呂は狭かった。温泉感もなかった。シャワーの温度が熱くなったり冷たくなったり。ここはマンガがメインなのか?椅子に座ってブログを打ってると、やたらと子供がドタバタ走り回っていた。部屋の中なのに寒い。ミステリアスなBGMが延々かかってるし、なんか落ち着かなかった。ここを選んだのは大失敗だった。高いとこは敬遠した方がよさそう。2115、出発。
 2150、道の駅水の郷佐原。今日はとてつもなく充実した一日だった。まさか千葉にフロンティアが広がってるとは思わなかった。これは完全に盲点だった。期待してない時ほど楽しめたりするんだよな。これだから実際に出てみないとわからないんだよなあ。