びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/01/05(木)年休「人吉」

 起床は555。寒くて丸まって寝ていた。今回で一番標高が高いから仕方ない部分はあるが、朝方は特に寒かった。調べると標高700mでマイナス3℃!リアのガラスは凍っていて、路面は白かった。今回の旅行では厚手の靴下を持ってくるのを忘れた。だからか足元が朝方に冷えることが多い。レッグウォーマーを買わないとダメだな。道路が凍結してたらイヤなので気持ち遅め、810の出発。
 えびのIC下車。霧島神宮へ向かったが、途中で「積雪のためチェーンが必要」との電光表示が複数。危ないので止めておくことにした。結局、霧島神宮には縁がなかった。肥薩線の山線区間への訪問も雪が積もってたらイヤなので見送った。
 えびのICから九州道を北上。加久藤峠越え。前方に強烈なループ線が見えてたが、高速は長いトンネルでパスした。人吉球磨IC下車。
 9時、人吉駅肥薩線は私のお気に入りで何度も乗っていた。しかし、電車旅だと街をゆっくりと観光できなかった。今回は車なのでじっくり観光するつもりだった。ただし、肥薩線は2020年7月の集中豪雨で八代ー吉松間がストップしていた。その後の状況を知りたかった。
 まず隣にある駅弁「やまぐち」に行った。私はここの栗めしが大好きだった。店に入ると、ショーケースの上に栗めしの名札はあるものの、そこに弁当はなかったorz。せっかくここまで来たのに(><)。すると、その直後に店員のポッチャリした眼鏡の優しそうな女性が、栗めしを2個重ねて置いた。♪o(゚∀゚o)(o゚∀゚)o♪
 人吉駅にある観光案内所に寄った。ここはパンフレットをカウンターの中に置いてあり、用があれば係のおばさんに聞くスタイルだった。素晴らしい仕組みだ!無駄なパンフレットを配ることはないし、係の人のスキルが生かされる。観光案内所にはやる気のない人や上から目線の勘違いしてる人が結構いるんだよな。最初に入る場所で残念な気持ちになることも少なくはない。ここのおばさんはマニアックな私の要望にもとても親身になって答えてくれた。人吉城は石垣が壊れて入れないこと、人吉の街は西南戦争で街全体が焼かれたこと、殿様がずっと変わらなかったからお寺や神社がよく残ってること、駅弁の立ち売りの人は肥薩線が不通になってからすぐに辞めたなど、たくさんのことを教えてくれた。最後にどの道を通ったらいいか地図にマーカーでルートを書き込んでくれた。とてもありがたかった。
 駅の横の方には仮設の商店街が出来ていた。水害で移らざる得なかった人たちだろう。商店街の奥には人吉鉄道ミュージアムがあった。
 10時、人吉鉄道ミュージアム。以前に来た時にはこの施設はなかった。その建物の中からは幅の狭いレールが駅の方に伸びていた。建物の中にはミニSLが停って静かに煙を吐いていた。こういうのには必ず乗っていたのだが、親子が2組乗ってたので今回は見送った。せっかくこのような施設を作ったのに肝心の電車が来ないのは寂しいことだった。
 1025、国宝青井阿蘇神社。おそらく3回目。寺巡りするようになってからは初めて。改めてよく見てみると、ここの山門や拝殿は茅葺きだった。これは今までなかなか見なかった。観光案内所のおばさんが、神社と寺が合わさってると言ってたが、まさしくそういう感じだった。人吉は相良家が700年統治したため独自の文化が育まれていた。私が人吉に惹かれるのは他とは違うそういうところだろう。
 1050、永国寺。幽霊の絵があることで有名らしかった。ただ本物の絵かどうかは怪しいそうで。無人だった。説明はDVDプレーヤーを自分で動かすシステムだったが、操作通りやっても再生されなかった。そのまま撤収した。
 1105、繊月酒造焼酎蔵。ここでは工場を見学できた。工場に入った瞬間にアルコールのいい匂いがした。2階から1階を見るシステム。たくさんの自動機械があった。床は緑色のペンキが塗られており、うちの工場に似ていると思った。真ん中の方で、おばさんが焼酎を手動で瓶詰めして、次のおばさんがバックライトを使って外観検査、次の男性はラベル、次の男性は箱詰め。機械化してる部分とそうでない部分があった。売店で何か買おうと思ったが、閉まってたのが残念。
 1125、 老神神社。古い神社で重要文化財に指定されていた。奈良や京都では重要文化財はたくさんあるが、地方だと珍しい。
 1140、みそしょうゆ蔵(釜田醸造所)。ここも見学できた。薄暗くてじめじめしていて、地面はコンクリート、ポリバケツがたくさんあり、しょうゆのいい匂いがした。奥の方では味噌を作っていた。従業員の方々が皆さん丁寧に挨拶をしてくれた。
 売店に入るとおばさんにお茶を出してもらった。わかめの佃煮や味噌4種類を試食。とてもおいしかった。わかめの佃煮とインスタント味噌汁を買った。
 1215、立山茶舗(茶の蔵)。ウンスンカルタというものがあった。これは戦国時代にポルトガルから伝わったもので、江戸時代に禁止されたが、なぜか人吉では遊ばれ続けていたとのこと。4対4のチーム戦。人数を集めるのが大変そうだが、せっかくだから買ってみた。後はビスケットを2袋も。おばさんによると、ウンスンカルタは全国大会があるらしい。ビスケットサンドは静岡のお茶うけ。
 1235、大信寺。相良家と関係深い寺。寺の人が子供と遊んでいた。立派な地蔵菩薩立像があった。彩色も残っていた。
 1250、願成寺。くま川鉄道の駅名にもなってる寺。無人。ご本尊は重要文化財だったが、どこにあるかわからなかった。隣に相良家の墓所があった。敷地が広くて代々のお殿様のお墓が集められていた。こちらの方が有名なのかもしれない。
 1315、出発。球磨川に沿って八代まで行くことにした。ここは肥薩線の川線部分に沿っていた。集中豪雨の影響がどうなってるのかが気になった。
 肥薩線が復旧するのかは未だにJR九州からの発表はなかった。現地で川の対岸に見たのは、肥薩線が部分的に破壊されてるのではなく、ほぼ全体が徹底的に被害を受けてる様子だった。橋だけが流されたというレベルではなく、根本的に路盤が崩れていて、所々レールは宙に浮いていた。これでは復旧は到底無理だろう。元々赤字なのに復旧させる理由がない。道路の復旧が終わったら、いずれ正式な存廃議論が始まると思われる。
 道路には「一般車輌通行不可、緊急車輌は除く、責任は自己責任」という看板が立っていた。しかし、みんな普通に走っていた。私も一緒に走った。片側通行のところが多かった。
 1340、一勝地駅。昔に入場券を買ったことがある。駅舎は残っていて、球磨村の役所になっていた。梨のジャムとエコバッグを買った。
 旧坂本村。山の中の村だが、どういうわけか昔工場があった。脇道に逸れてどんなところか見に行った。高台にあった学校が工場跡というのを以前に聞いたことがあった。確かに学校のような建物があった。他には何も手がかりがなかった。後で調べると、全然違う場所を見てたorz。
 球磨川沿いに戻ると、また「一般車輌通行不可、緊急車輌は除く」と書かれた看板が出てきた。「ただし道の駅までは通行可」、トラックしか走ってないので、八代まで繋がってるのか不安になった。
 1440、道の駅坂本。店で明朝のパンとデコポンのジャムを買った。レジのお姉さんに道のことを聞いてみた。すると八代まで繋がってるとのこと。ホッとした。とても明るくて気さくな人だった。九州の店の人はみんな気持ちがいい。
 車の中で栗めしを食べた。あっさりしてるけど、凄くうまかった。こんなにおいしいのに、駅弁大会とかで一切見たことがない。是非とも出店して、駅弁を存続させて欲しい!1520、出発。
 八代ICから九州道へ。熊本に向かった。16時、緑川PA。眠くなったので体制を建て直した。またカールのうす味を2袋買った。16時半、出発。御船IC下車。
 1710、熊本港。1740発最終の九商フェリー島原外港に渡った。昔の上野との旅行以来2回目。3030円。船内ではずっとブログを打っていた。1840着。
 島原市の商店街の中に温泉があった。1915、島原温泉ゆとろぎの湯。500円。地元の人がおしゃべりをして賑やかだった。とても雰囲気がよかった。湯から上がってしばらくブログを打っていた。2040、撤収。
 21時、道の駅みずなし本陣ふかえ。あまり車はいなくて暗いし静か。よく眠れそう。
 今日は人吉を探索して、球磨川の復旧状況を見ることができた。被災地域はまるで東日本大震災津波被害を受けた地区のようであった。道路もまだちゃんと開通しておらず、坂本の道の駅は底上げが決定したとのこと。まだまだ復旧には時間がかかりそうだ。微力ではあるが、買い物してお金を落とした。私のお気に入りの街が早く復旧することを願っている。