びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/11/05(土)「日光」

 6時半、起床。どこか出かけなければいけなかったが、あまり行きたいところはなかった。8時半、出発。給油後、855、再出発。お腹が少し痛かった。しかし、お通じは来なかった。これで渋滞に突っ込むのは怖かった。
 とりあえず宇都宮から会津西街道で会津若松に行くことにした。外環から東北道。奇跡的にほとんど渋滞してなかった。木曜日の祝日と分散したのだろう。
 1010、羽生PA。お通じが来た。10時半、出発。宇都宮IC下車。国道119号線、通称日光街道。懐かしかった。紅葉のシーズンが近く渋滞を覚悟したが、大丈夫だった。杉並木は記憶よりも大したことなかった。
 会津西街道へは鬼怒川温泉方面に行かなければならないが、日光を素通りするのはもったいない気がした。特に日光東照宮輪王寺が気になっていた。日光東照宮には2013/5/1に行っていた。まだお寺や国宝に目覚める前のことであり、今見たら何を思うだろう?予定を変更して日光東照宮に行くことにした。
 東武日光駅を越えると上り坂となった。この道はかつて東武路面電車が走っていた。さすがに渋滞していて、なかなか動かなかった。横道に逸れて、1210、タイムズの駐車場。500円。
 坂道を歩いて行くと、道の両側にはお店がたくさん並んでいた。昼食を取りたかったが、今さら湯葉を食べてもなあ。
 前方で写真を撮ってる人たちがいた。石垣の上に立派な洋風のホテルのような古い建物が建っていた。旧日光市役所だった。こういうのがあるとは知らなかった。当初はホテルとして開業したらしい。
 坂を上りきったところが三叉路になっていて、日光の入口を示す神橋(しんきょう)が架かっていた。赤い太鼓橋。多くの人が写真を撮っていた。そして、東南アジア系の観光客が結構いた。入国を受け入れるようになって、先週の富士山からちらほらと見かけるようになった。大声で意味不明な言葉をしゃべって、通行の流れを無視して写真を撮りまくる。もう日本の観光地はダメかもしれない。
 日光の社寺は、日光東照宮輪王寺二荒山神社から構成され、世界遺産となっている。3箇所に分かれているが、元々は一つであった。明治の廃仏毀釈により分離した。明治維新は好きだけど、廃仏毀釈と廃城令は余計だったと思う。当時は今のような文化財という意識がなくて、古いものを否定したかっただけだと思うけれども。
 輪王寺には真っ赤に紅葉したもみじがあった。葉っぱは深い赤色になっていた。どこまでも赤く、燃えるような赤だった。こんなに赤くなるものなのか?
 1240、宝物殿・庭園。宝物殿には、わずかに仏像があった。また国宝の巻物が1件あった。庭園は逍遥園という名前だった。小堀遠州作の回遊式庭園。池の周りを回った。赤色のもみじやオレンジのカエデが美しかった。
 1320、輪王寺三仏堂。前回は修復工事をしており、足場の階段をいくつも上った記憶があった。今回は塗装も新しく立派な建屋となっていた。三体の大きな金ぴかの仏像が鎮座していた。真ん中に阿弥陀如来、右に千手観音菩薩、左に馬頭観音。これらは日光三所権現本地仏と呼ばれていた。本地仏とは神社の神様は元々仏教の仏様の化身であるという本地垂迹説に基づくものである。本地垂迹説は日本独特に発展した神仏習合の根幹を為す考え方であるが、各地にいろいろなのがあってややこしいったらありゃしない。
 1350、日光東照宮。多くの人で賑わっていた。門を入ると、わかってても圧巻だった。装飾が派手。力業もいいところ。将軍家の権威を示すものだから仕方ない。ここまでやったら見事としか言いようがない。
 神厩舎の長押上には三猿の見ざる言わざる聞かざるの彫刻があった。皆が写真を撮っていた。なぜこれがそんなに有名になってしまったのだろうか?
 国宝の陽明門はひときわ目立っていた。とにかく装飾が豪華。デコトラみたい。後ろにある唐門も金ぴか。これも国宝。本殿も国宝。すべてが国宝。宮内庁でもここまではやらないだろう。
 一旦横道に逸れて、奥宮へ。入口の門の長押上に眠猫の彫刻。三猿以上になぜ注目されるのかわからなかった。猫ブームの前からだしなあ。
 奥宮へは以前、長い階段を重いスポーツバッグを持って「人生は重荷を背負って行くもの」と考えながら上がったことを覚えていた。すると、階段の踊り場に立て看板があり「人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くが如しいそぐべからず」と書かれていた。奥宮は徳川家康のお墓であり、面白くなかったことを覚えていた。そして、やっぱり面白くなかった。お墓を見てもねえ。
 14時半、本殿。派手、豪華としか。この辺になってくると毎回同じパターンなので飽きてきた。うまいものを毎日食べてる感覚だ。お参りの人たちが滞留していると思ったら、東照宮の人が説明をしていた。こんなに人がいるのに止めて欲しいなあ。
 1505、大猷院。大猷院は輪王寺の施設で徳川家光墓所である。一言で言うなら、ミニ東照宮。四ヶ所の門を潜ると拝殿。
 15時半、二荒山神社。特に何ともだなあ。ちょっとインスタ映えを狙ったような仕掛けがあり、名刹らしくないと思った。
 1540、撤収。日光東照宮の宝物館に行けなかったのが残念だった。16時半、駐車場出発。いろは坂を経由して華厳の滝を目指した。
 いろは坂は何度も通っているが、紅葉のシーズンは初めて。宇都宮時代には度々話題になった。渋滞すると聞いていたが、全然平気だった。景色は普通の山の景色で、広葉樹が所々黄色く色づいていたけど、真っ赤なもみじはなかった。
 17時、華厳の滝駐車場。もしかしたら、華厳の滝はライトアップしてるかもしれないとダメ元で行ってみた。ダメだったorz。昼飯抜きで腹が減っていたので、露店ですいとんと餃子コロッケを食べた。別の露店で玉こんにゃくを食べた。1755、出発。
 せっかくなので中禅寺湖から戦場ヶ原を目指した。もう真っ暗だった。1810、戦場ヶ原の三本松園地。ここには車中泊の車が停まっていた。調べると、24時間トイレもあった。標高が高くて寒いのが気になるが、アルミマット、敷パッド、毛布を補強したので、実験にはちょうどいいかもしれない。ここに泊まることにした。
 その前に温泉に入りたかった。湯元に移動。湯元に入ると車の中に硫黄臭が漂ってきた。どんだけ~。18時半、奥日光森のホテル。高原の静かな湖沿いにあった。1100円。内湯は狭かった。温泉は乳白色で硫黄の匂いがした。露天風呂に出てみると、寒かったけど、広くて、夜空には月が見えて、最高だった。とてもいい温泉だった。1925、出発。
 19時半、再び三本松園地。ここは星が少し出てた。星を見たのは久しぶりだった。寝床を作って、寝ながらブログを打った。防寒対策を打ったつもりだが、既に寒いような。気にしない気にしない。