びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/05/14(土)「京都」

 先週末、家にいたけど、悪いことばかり考えて、まったくいい状態ではなかった。じっとしていると悪いことばかり考えるなら、何かをやり続けるしかない。
 奈良と比べると京都はいまいちだなあと思っていたけど、妙心寺の青もみじを見てからすっかり心奪われてしまった。京都にはもみじの名所がたくさんある。そういうもみじの名所を探索しようと思う。
 7時半、起床。915、出発。天気は今にも雨が降りそうなくらい曇っていた。928石部駅草津行き。地下鉄で北大路駅下車。
 1115、大徳寺妙心寺と並ぶ臨済宗の寺。ここもまた塔頭がたくさんあるようだった。完全に二匹目のどじょうを狙った。
 1120、大徳寺黄梅院(おうばいいん)。特別公開。門から見えた庭がもう期待感しかなかった。門から中に入ると、空は青もみじで覆われ、地面は緑の苔。世界は緑色しかなかった。初っぱなから大満足していた。
 受付。単独だと800円。高くない?もう一つの特別公開している興臨院とセットだと1200円。セット券にした。写真撮影は禁止と言われた。残念。
 もう最初から雰囲気がヤバかった。とにかく建物も植えられてるものも、自然ぽく見せつつも細部に渡ってコントロールされているように見えた。歩くのがもったいなくて、ゆっくりと立ち止まりながら歩いた。
 最初の庭は直中庭(じきちゅうてい)。地面が苔に覆われており、真ん中には池が配置されていた。地面が苔に覆われているのはたまに見かけるが、庭園では初めてだった。規模が大きくて圧倒された。
 方丈の方に行くと、縁側から強烈にインパクトのある庭が見渡せた。手前側が目の覚めるような白砂で、奥側が苔の地面になっていて、その境界は真っ直ぐに仕切られていた。白砂には幅方向にまっすぐ縞模様がつけられていた。よくある枯山水式庭園とはまったく異なっており、極めてシンプルで抽象的だった。このような庭があることがとても衝撃的だった。マレーヴィチの冷めた抽象を彷彿とさせた。
 ガイドさんによれば、この庭は破頭庭(はとうてい)と言って、硬い頭を打ち破るそうである。素晴らしい!私はすっかりこの庭の虜になっていた。
 方丈は禅宗の寺にある建物で、部屋が3×2の6部屋となっていた。部屋の仕切りは襖になっていて、何かしら水墨画が描かれていた。庭に面した真ん中の部屋には釈迦如来が安置されていて、部屋の床は漆塗りでピカピカだった。これは初めてだった。
 方丈の裏にも庭があり、一部白砂が配置されていた。ガイドさんによれば、裏から表の破頭庭まで白砂で水が流れているように表現しているとのこと。
 もう全体が凄かった。こないだの妙心寺大法院を越えるところはないと思っていたが、あっさりと越えてきた。とにかくあらゆるところがコントロールされていて、まったく隙がなかった。自然というキャンバスに理想の世界を描いてみせた。その世界の中で、自分という存在を自問自答し、自分の中に沸き立つ感情と静かに向き合う時間だった。私が京都に思い描いてたイメージにもっとも近く、そしてそれを越えてきた。このような精神世界を見せつけられて、日本人に生まれてよかったと心から思った。京都はまだまだこの続きを見せてくれるのだろうか?
 1220、一旦外に出て「德寿」。門前そばとじゃこご飯。
 1245、大徳寺興臨院。特別公開。ここの庭はよくある枯山水式だった。表の庭は蓬莱山、裏の庭は須弥山。個別に見たら絶対きれいなのだが、黄梅院のインパクトが大き過ぎた。方丈や庭の配置は黄梅院と同じだった。
 特別公開は見たが、他にどこを拝観できるか、大徳寺の中を一通り歩くことにした。大徳寺塔頭は24あるそうだった。妙心寺よりは少ないが、それでも多いと思った。大徳寺自体には国宝があるのだが、公開していなかった。たまに非公開のところがあるが、どういう基準なのだろうか?それで経済的にやっていけるのかもよく分からなかった。
 13時半、大徳寺龍源院。ここも興臨院と似たような感じだった。
 14時、大徳寺瑞峯院。興臨院、龍源院と同じような感じだった。ここまで来ると、建物や庭の配置がどれも同じだということに気づいた。この寺では訪問者がいて、お坊さんが般若心経を大声で唱え始めた。庭には「庭をを見て静かな心で自分と向き合いましょう」というようなことが書かれていたが、般若心経がうるさくて、この音の中でも集中しろということなのかと思った。10分で退出。
 1420、大徳寺大仙院。ここに入る前から看板に手書きで英語が書き加えられていてイヤな予感がした。行ってみると、入口にはでかい看板があり「今しかない。今を生きろ」みたいなことが書かれていた。俗っぽいorz。どうやらここは塔中の中でも代表的なところのようで、方丈は国宝だった。と言っても、他のところとの区別はつかなかったわけだが。表の庭は黄梅院のように抽象的なデザインだった。白砂の中に円錐形の山が2つあり、何を表現したいのかわからずシュールだった。
 大仙院ではお茶とお菓子をいただいた。相当お年を召したおばあさんに赤い絨毯な敷いてある日本間に案内された。大きな座卓の横には火鉢があり、中には鉄瓶がかけられていた。おばあさんは茶筒から抹茶を一匙、茶器に入れて、鉄瓶からお湯を注いで、茶せんで泡立てた。抹茶って美味しいよなあ。しばし、その部屋からガラス戸越しに縁側の外を見ていた。おばあさんがガラス戸を開けたところから、涼しい空気が入ってきた。子供の頃に田舎のおばあちゃんのとこに来たような雰囲気で、妙に惹かれるものがあった。
 1450、大徳寺を後にして、徒歩で千本釈迦堂を目指した。近いと思ってたらだいぶ遠くて、到着したのは15時半だった。
 千本釈迦堂はこないだ行った北野天満宮のすぐ近くにあり、国宝があった。北野天満宮の際に寄ろうと思っていたが、時間が足りなかった。たまたま昨日、山田五郎のオトナの教養講座にみうらじゅんが出ていて、千本釈迦堂十大弟子像を紹介していた。興福寺以外で十大弟子像を見たことがなかった。俄然やる気が出た。
 本堂は国宝だった。しかし、ご本尊は秘仏だった。正直、厨子だけ見せられてもありがたい感じがしなかった。
 霊宝殿。定慶の六観音が素晴らしかった。六観音は一体一体が六道に対応しているが、六体揃っているのはここだけとのこと。また快慶の十大弟子も素晴らしかった。期待通り写実的でまるで生きてるかのような躍動感だった。これらが国宝でないのが不思議なくらいだった。
 16時、撤収。京都駅行きのバスに乗った。このバスはこないだ北野天満宮から帰るときに乗ったバスと同じだった。このバスは西洞院四条のイナさんの家の前を通った。どうしてるだろうか?西洞院松原で下車。歩いて烏丸通りへ。17時前に東横イン五条烏丸にチェックイン。
 今日は黄梅院がすべてだった。妙心寺の二番煎じだったから、さほど期待してなかったのだが、まさかこのような出会いが待っているとは思わなかった。今までほとんど手を出していなかった禅宗への興味がふつふつと湧いてきた。黄梅院のガイドさんによれば、禅宗だと他に相国寺東福寺があるらしい。国宝もあるし、行かねばなるまい。