びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/04/03(日)「畝傍」

 7時起床。朝食後、8時に出発。小雨がぱらついていた。今日は先週と同様にやる気が出なくて一瞬帰ろうかと思ったが、せっかく来たのだから頑張って桜を見に行くことにした。現地の駐車場は混んでると思ったので、宿の近くに停めることにした。JR畝傍駅前に550円発見。
 JR畝傍駅は桜井線の駅だった。電車はタッチの差で発車していった。チキショー!そして30分待ち。おかげで駅舎を充分に観察することができた。
 駅舎は木造で古風で大きく、なにかただ者ではない感じがした。ネットで調べると案の定貴賓室を備えていた。ホームもやたらと長くて、人で賑わっていたであろう往時を偲ばせた。
 畝傍駅からは昔近鉄小房線が分岐していた。気になる廃線跡の一つだった。ホームから駅があったと思われる南の方を見ても、線路に沿った道路と住宅が並んでいるだけで、廃線跡は判然としなかった。ネットで調べて、道路が廃線跡だと知った。やはり廃線跡には先達が欲しいものである。
 836畝傍発JR難波行き。高田までは2駅。乗り潰しの時に通ったはずだが、記憶にはなかった。ニトリの看板が見えてきて、見覚えがあるなあと思ったら、国道24号線があった。いつもと違った視点が面白いと思った。
 高田駅から855千本桜。高田川に沿ってたくさんの桜が咲いていた。高田川はそんなに大きくはなく、目黒川のようであった。桜は目黒川よりもずっと大規模できれいだった。桜の木の下にコンクリートのベンチを見つけてブログを打った。
 北に向かって歩いて行くと、大中公園に到着した。ここには池があり、その池に枝を伸ばした桜がまたよかった。
 その先は道の両側に桜があり、回廊になっていた。弘前城とまではいかないが、とてもきれいだった。近鉄大阪線の踏切の向こうは、桜の密度は減った。しばらく歩いた後に引き返した。
 本居宣長によれば、日本人の心とは山桜が散るのを美しいと感じる心としている。山桜と里桜の違いがあるのかわからないが、桜に対して抱く感情はそのまま日本人のDNAレベルで刷り込まれているように思える。新年度が4月に始まるのも桜基準でなかろうかと言われても信じてしまいそうだ。
 いろんなところでいろんな桜を見てきた。私が何を思ったって、どんな状況だろうと、春はやってきて、桜は咲き続ける。その度に小学校の桜から昨年の桜までを思い出す。その中でも誰かと見た桜が一番楽しかった。桜は毎年咲くけれども、あの頃の気持ちはもう二度と戻ってこない。人の気持ちは桜よりも儚いものだ。毎年過去を懐かしんでいる。
 JR高田駅に着くと、ラッキーなことに次の電車はすぐだった。1059高田発桜井経由奈良行き。
 畝傍駅から歩いて10分で、1110今井町重要伝統的建造物群保存地区。前から狙っていた。ここは他の地区とは違い生活に根差した地区とのこと。どんなのか楽しみにしていた。
 重要伝統的建造物群保存地区では、よく通り一つだけ雰囲気を残しているというのは見かけるが、今井町は町全体の時間が止まったかのようだった。観光客はほとんどおらず、お店もなくて、生活の息吹きが聞こえるようだった。これほどの場所が現代にも残されていて、あまり話題にならないのが不思議だった。
 休憩所に全国の重要伝統的建造物群保存地区を紹介している冊子があったので読んでみた。行ったところは懐かしかったが、まだまだ知らないところもあった。残りもいつか行ってみたい。
 12時、「町屋茶屋 古伊」。にしんそば、柿の葉寿司3貫、紅茶。こういう体験が記憶に残る。
 道の真ん中にいた案内所のおじいさんに捕まった。大歓迎だった。重要伝統的建造物群保存地区には必ず施設が設置されている。五條の時も桂雀太さんのお母さんとしゃべった。おじいさんは耳が遠くて、一方的に大声で捲し立てられた。ただここの瓦が本瓦葺であることを教えてくれた。今まで瓦のことは知らなかったので勉強になった。それから、藤原京で菜の花がたくさん咲いてることを教えてくれた。
 そして車で14時、藤原京。以前も行ったことはあるが、前には行かなかった北側の池の方へ。すると一面菜の花畑となっていた。まっきっき。凄かった。後で調べると250万本!桜も咲いていて、大写真撮影会場と化した。こういう予想もしない展開こそが旅ならでは。
 桜が咲いてそうなところを探して車で北上。天理市街に入ると、前方に見たこともない巨大なお寺みたいな建物が現れた。天理高校だった。どんな観光名所より尖ってると思った。
 1510、石上(いそのかみ)神宮。ここには国宝があり、前から行ってみたかった。参道を通ってるとコケコッコーと鶏の鳴き声がした。なんだろうと思ったら、そこら中に茶色い鶏が闊歩していた。後で知ったのだが、御神体が鶏だった。天岩戸の時に鶏が鳴いたことに因んでいるそうだ。
 石上神宮の国宝は七支刀(しちしとう)。剣の先が左右に3つずつ枝分かれしたもので、たいへん印象的な形をしている。この剣には文字が彫られていて、百済の王から贈られたものではないかと言われている。日本書紀にもそれらしい記述が見られており、本当だとすれば、4世紀の貴重な資料となる。
 拝殿や摂社の拝殿も国宝であったが、なにより七支刀が気になっていた。拝殿の中にそれらしきものがないかよく探したがついに見つけることは叶わなかった。宝物館も説明も何にもなくて、ただ七支刀が描かれたお守りが売ってるだけだった。
 帰りにもまた天理教関連施設がいくつもあった。中学の頃に塾の先生が「天理に入るときに『おかえりなさい』と書かれていてビックリした」と言っていた。前に国道169号線天理市内を通り抜けた時はそのような看板はなかった。今回建物の横断幕に「ようこそおかえり」と書かれているのを見つけた。本当にあったよ。ようこそなのにおかえりである。なんだか変だ。天理教において、おかえりという言葉は特別な意味を持つのだろうか?
 帰宅の途についた。旅行気分を少しでも長く味わいたくて、1740湖南の「サガミ」。サガミに入るのは初めて。味噌煮込みうどんを狙ったのだが、宇和島風鯛めしを見つけて釘付けとなった。私は宇和島の鯛めしが大好物である。まさかこんなとこで遭遇するとは!出汁が少なくて薄かったけど、それでもおいしかった。遂に宇和島の鯛めしも全国区になるのか?
 とても頑張った週末だった。先週の大阪とは雲泥の差だった。ただ箱物には行く気は起こらなかった。しばらく無理なんかもしれない。