びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/12/05(日)「松阪」

 7時起床。9時出発。松阪城に隣接する市営駐車場は無料だった。
 松阪城の石垣は最初に泊まった時に見たことがあった。私は夜の町をジョギングし、松阪城の存在を知り、本居宣長の旧宅を見つけた。いつか松阪を観光したいと思っていた。
 城跡にある松阪市立歴史民俗資料館。松阪城の解説があると思われた。松阪の町は蒲生氏郷が作った。蒲生氏郷は日野の出身であり、その後私のお気に入りの会津若松に転封した。朝鮮出兵の時に39歳で没した。蒲生氏郷のあとの松阪は紀州藩の領地となった。松阪は蒲生氏郷が日野商人を連れてきたことから、そして伊勢神宮への経路にもなってることから、商人の町になった。三井財閥創始者である三井高利は松阪出身である。
 資料館の二階は小津安二郎記念館。小津安二郎の映画は見たことがないが、何気ない庶民の日常を描いているということで、ずっと気になっていた。女優に100回以上やり直しさせた後に「悲しいから悲しい顔をするわけじゃない」と言ったエピソードが取り上げられていた。ハッとさせられた。一度ちゃんと見た方がいいかも。
 1045、本居宣長記念館。本居宣長の名前は知っていても何をした人なのかは良くわかっていなかった。国学って何?本居宣長は医者をやりながら、日本人が何を考えて行動したかに興味を持ち、そのためには歴史を勉強しなければいけないと思い至った。当時誰も読めなかった古事記を解読しようとし、35年かけて古事記伝44巻にまとめあげた。その圧倒的な行動力と業績に驚かされた。私も日本人とはなにかに興味がある。もしかすると、そこにほとんど書かれているのではなかろうか?本居宣長の墓には山桜が1本植えられており、それが日本人の心を表すという。美しく儚い。
 本居宣長旧宅の鈴屋。町中にあったのを、大火の被害に合わぬように城跡に移築した。基本的に移築は好きじゃない。大切な何かが失われているような気がする。
 城跡から出て、1225御城番屋敷。明治維新で失業した士族が結社するために建てた。10軒の長屋が向かい合っている。間の道は石畳で、家の敷地とは生け垣で分けられている。武家屋敷の通りみたいな感じだった。
 1245、原田二郎旧宅。昔、銀行をやっていた。
 1315、中華そば不二屋。たまたま近くにあった。五目焼きそばを注文。焼きそばとなっているが、皿うどん。実際は皿うどんより麺が太かった。餡も寒天みたいな感じ。なんか珍しいもん頼んだ気がした。味は至って穏やかで、インパクトはなかった。それより、ここは店員さんがみんな明るくてとても好感が持てた。
 三井高利の旧宅は門が閉まっていた。
 14時、旧小津清左衛門家。紙問屋で栄えた家。現在の小津産業
 1440、旧長谷川次郎兵衛家。木綿問屋で栄えた家。
 1525、帰路。16時半に三重県総合博物館を通過。1750、帰宅。
 今日は小津安二郎が面白かったところに、本居宣長がもっと面白かった。松阪のことがますます好きになった。今回は実りの多い旅だった。もっと三重のことが知りたくなった。