びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/11/21(日)「高山」

 6時半に起床。暖房をつけておらず布団の外は寒くて布団から出たくなかった。朝食を買い忘れていたことに気づいた。朝市で何か食べることにした。
 715に出発しようとしたら、宿のおじさんに「駅まで送迎があり、もうすぐ時間です」と言われた。駅の近くまで車で送ってもらった。
 740、高山陣屋。陣屋前の広場には白いテントが並んでいた。朝市だった。テントの中ではおばさんが野菜や果物や漬物などを売っていた。朝食を食べたかったが、そういうのはなかった。もう一つの朝市である宮川朝市に行くことにした。
 宮川朝市に行く時に、重要伝統的建造物群保存地区を通ることにした。宮川にかかる赤い橋を渡ると、一目見てこの通りだと思った。道の両側には木造で焦げ茶色の日本家屋が並んでいた。どれも何かの店だった。朝早かったので、店は閉まっていてほとんど観光客もいなかった。建屋はどれも深い焦げ茶色で均一、まるでペンキで塗ったようで不自然な感じがした。焦げ茶色は板を焦がして害虫を避けるためなのだが?重要伝統的建造物群保存地区では、景観を保存するためにわざわざこういうことをするのだと思われた。どっかのテーマパークじゃないんだから、こんな統一感もたせなくていいのに。
 8時、宮川朝市は宮川沿いにあった。宮川寄りにテントが一列に並んでいた。道の反対側には店が並んでいた。売ってるものは陣屋朝市と同じだったが、こっちの方が観光客が多くて活気があった。一通り見たが、これを食べたいというものはなかった。引き返して、途中のテントでたこ焼きを買った。朝市繋がりで、輪島から蛸を取り寄せてるらしい。ネギは高山産。本当かどうかわからないし、そんなのはどうでもよかった。
 まだどこも施設は開いてなかったので、重要伝統的建造物群保存地区を端まで歩いた。高山陣屋から宮川朝市までの南側はガチガチの観光客向けの通りだった。一方、その先の北側は民家と古い建築物が共存していた。道端に越中街道と書かれた石柱が立っていた。ここもまた街道筋だということがわかった。
 9時、宮地家住宅。無料。家を開けていたおじいさんが建屋の解説をしてくれた。高山の建物は玄関を入ったところの天井が高く、灯り窓がついてるのが特徴らしい。おじいさんは、なぜ玄関の天井が高いのかはわからないが、煙を逃がすためかなと言っていた。天井が高いので解放感があった。
 9時半、桜山八幡宮の中にある高山祭屋台会館。1000円は高い!隣の桜山日光館も一緒に入れるとのこと。別に行くつもりなかったけど?ここでは、高山祭りで使われる屋台を展示していた。屋台とは所謂祇園祭で言うところの山車である。なぜか場所によって呼び方が変わる。こういう山車を集めて収納している施設はよく見かける。祭りと言えば大体のどこで祇園祭の影響を受けていて山車がある。そして、どこも収納場所に困ってそう。ここはお客さんに解説の再生機を渡して、一つ一つの山車を丁寧に説明していた。なかなか面白かった。いつか祭りの時に高山に来てみたくなった。
 10時、桜山日光館。名前からしてよく分からない施設だったが、一応入ってみた。チケットがセットという割には受付に誰もいないんですが?なぜだか日光東照宮のミニチュアを展示していた。とても大規模で、しかも精緻に作られていた。これは日光東照宮の見ざる言わざる聞かざるを掘った左甚五郎が飛騨出身であり、後に日光東照宮の修理をする人が修理の参考のために作ったとのこと。飛騨は木工が盛んとのことだが、日光東照宮のミニチュアをここに置くのは違うような?
 1020、吉島家住宅。隣の日下部家住宅。それぞれ500円は高い!しかも、宮地家とほとんど同じだったorz。
 さっきの重要伝統的建造物群保存地区の通りは、観光客で溢れ返っており、カオスであった。朝イチに行っててよかった。
 11時前、高山陣屋。300円台。安い!日本で唯一現存する代官所。これは凄かった。とにかく建物が広かった。いくつ部屋があるんだ?今までみた平屋でこれ程大きいのはなかった。城によくある本丸御殿とも違う。敢えて言えば、再現した函館奉行所か?まるで時代劇に出てきそうな建物。国宝級では?
 途中から蔵の中になり、中は博物館のようになっていた。楽しかったけど、板張りなので足が寒かった。酒井で本当に足が寒くてたまらなかった記憶が甦ってきた。雪国では博物館で説明すべき案件だと思った。
 12時、高山ラーメンを狙ったらどこもかしこも大行列。潰れそうなラーメン屋は高山に出店するべきだ。諦めてとぼとぼと人のいなさそうな駅の方に向かった。すると、並んでないラーメン屋を発見。並んでないと逆に一抹の不安があったが、かまうもんか。1225、支那そば勝己。自信無さげなお兄さんがワンオペしてた。無理があるのでは?私の後ろからすぐに行列しだした。危ない危ない。チャーシューワンタン支那そばを食べた。うー、昨日の「わら路」と一緒だお。八街感があった。
 13時、飛騨高山まちの博物館。無料。2つの旧家をくっつけた構造。展示室が10を越えていて、これでもかというくらい細かかった。
 高山は金森長近が高山城と城下町を整備した。因みに金森長近はその前は越前大野を整備している。金森氏は6代後に郡上八幡に転封された。そこからの高山は幕府の直轄地となった。大体幕府の直轄地になるとつまらなくなる。高山にはあまり歴史的なネタがないように見えた。
 まだ施設はまだたくさんあったけど、もういいかなと思った。観光客が多くてうんざりしていたのもあった。
 15時半、古い町並み美術館山下清原画展。私は山下清が気に入っている。高山と山下清はまったく関係なかった。山下清の絵を見ていると、他の絵はいらないと思った。平面的で、子供っぽい画風で、マンガのように要素だけを抜き出し、貼り絵は原色の点描であり、これってフランスの近代絵画のムーブメントが全部入ってないかい?キャンバスもいらない。お皿やシャツや襖やはたまたレコード盤にまでなんにでも描いていた。作為的なところが一切なくて、どこまでも自然なのが素晴らしかった。
 16時、時間は早いが、晩飯にしたかった。飛騨牛はいかにもと思ったので、久しぶりに太田和彦セレクションを狙った。昔、テレビで高山をやっていたのだ。
 駅の方に歩いて行くと、三重の塔が見えてきた。1620、飛騨国分寺。境内に巨大ないちょうがあった。葉は鮮やかな黄色で、三重の塔以上に目立っていた。写真を撮る人も多かった。
 16時半、居酒屋「あじ平」はこの時間で満員だった。マジか!仕方なく、宿の方に歩いた。途中で焼肉屋があったが、お腹空いてないし高かったのでスルーした。またもう一軒あったけど、これも同様にスルー。昨日の「わら路」は休みだった。もうどこに行っても無理だろ。店に入れないのは有名観光地あるあるである。そんな時はなるべくお腹に物を入れないに限る。肉なんて高いだけでどこで食べても同じ(酸っぱいぶどう説)。遂に諦めてファミリーマートで、お気に入りのねぎとろ巻を買った。
 暗い夜道をとぼとぼと歩いて、1740宿に到着。部屋に引きこもってねぎとろ巻を食べた。そしてブログを書いた。
 高山の町並みは京都ぽかった。しかし、作られた感じがした。観光努力と言うこともできるが、できれば普段のままが見たかった。昨日の白川郷と同じ印象。高山はテーマパークみたいだった。観光客が多すぎ!