びーの独り言

どこいくの?どっか。

2020/11/14(土)「柏原&福知山」

 今回は福知山。本当は他のところに行きたかったが、GOTO対応の宿を予約できなかったので。3日前に予約が取れるのがヤバい。本当に大河ドラマで盛り上がってるのだろうか?大体、明智光秀と関わりがあることすら知らなかったんだが?
 645に起床。0801の篠山口行き。こないだ篠山口まで行った時はドキドキだったけど、今回はあっという間だった。篠山口からは928福知山行き。電化はされてるが、単線になった。通勤系が2輌のワンマン。通勤系は面白くないが、これでワンマンは面白く。川沿いの崖を通ったから驚いた。きっと武田尾もこんな感じだったんだろう。阪鶴鉄道こんなんばっかりか?
 柏原で下車するつもりだったが、またICOCA圏外だったorz。先週と違って、運転士さんしかいないし、特急との列車交換もあるから遅れは許されなさそう。このまま福知山まで行った方がいいか?ヒヤヒヤもんだったが、柏原駅が近づき「すべてのドアが開きます」とのアナウンスでホッとした。柏原は有人駅だった。
 柏原と書いて、かいばらと読む。本当は栢原と書いてたが、明治になって栢の字が使えなくなったらしい。ふと匝瑳はどうなんだと思った。柏原はおそらく先週の関宿以上に知名度がないと思う。どこで知ったのか思い出そうとしても思い出せない。丹波篠山の時には既に知っていたのは確か。わずかに気になるくらいだったが、坂越が期待はずれだっただけにイヤな予感も拭えなかった。
 10時、柏原駅着。駅舎は木造できれいだった。駅にはレストランがあって、駅弁を作っていた。えっ?こんなところで?これはレアだな。観光案内所はなかったが、地図だけを手に入れた。駅前に出ると、静かで温度が少し下がったような気がした。閑散とした中、一人のおっちゃんが駅舎の写真を撮っていた。同業者だと思った。
 すぐの商店街はまさに昭和だった。道の両側にこじんまりとした商店が並んでいた。なかなか情緒があって、この時点で既に来てよかったと思った。
 町中で太鼓やぐらというのを見た。江戸時代に時刻を知らせる役目をした。川越の時の鐘と同じ。
 しばらく行くと、大きな木があった。とても立派で印象的だった。欅とのこと。その側には木の根橋という石橋がかかっていた。この橋はネットにでていたが、なんの変哲もない橋のように思えた。
 観光案内所。駅前にではなく町中にあった。あるだけマシか?おばちゃんにいろいろ教えてもらった。
 柏原八幡宮。神社には興味はないが、回るとこそんなに多くないので。意外にも、結構、石段を上った。すると、立派な茅葺きの本殿が現れた。上ってきた甲斐があった。本殿の後ろに隠れるようにして真っ赤な三重の塔が立っていた。ところで、リラックマの絵馬があった。大石神社でも見かけたが、 神社でリラックマ流行ってるのだろうか?
 再び木の根橋。おばちゃんによると、欅の根っこが橋になってるらしい。横から見ると確かにそうだが、だから何だろう?
 たんば黎明館。明治の小学校の校舎。中はカフェになってたり。
 柏原歴史民俗資料館・田ステ女記念館。全然知らんかったが、柏原は城下町で、城はなくて陣屋があった。織田家が三代治め、断絶してから、別の織田家が入った。田ステ女とは江戸時代の歌人俳人。全然知らんし、説明も無理矢理な感じだった。
 12時半、観光案内所に教えてもらった和さび。予約してなかったけど、一人だけカウンターに入れてもらえた。後でいろんな人が来てみんな断られていた。竹ランチは2750円。前菜が重箱を3×3に仕切り9種、鯖寿司2巻とおいなりさん1個、天ぷら、蕎麦、デザートで蕎麦アイスクリームと蕎麦ぼうろ。前菜の時点で成功を確信した。鯖寿司は若手だけど、名物だから仕方ない。蕎麦はおいしかった。蕎麦湯の粘度が高かった。この店は大当たりだった。
 1354の福知山行き。しばらくすると山の頂上に黒井城跡が見えた。すごい景観だった。あんなに目立つ城跡も珍しい。行こうかなと思ったが、とりあえず先送りにした。あれは函館山より高いかも?
 14時半、福知山に到着。福知山って意外とデカいなあ。まずは観光案内所から。おじいさんにいろいろ教えてもらった。「北丹鉄道の廃線跡あるよ」と言われて驚いた。完全にノーマークだった。
 駅の南口に転車台。SLが鎮座していた。福知山のイメージはもともと鉄道の町。山陰本線福知山線の分岐点。今では、北近畿タンゴ鉄道宮福線も通っている。駅は高架になり、かつての広い構内は駅前広場になった。
 時間はないけど、急いで福知山城に行くことにした。市役所の前から福知山城が見えた。ほとんどの城が漆喰の白壁だが、福知山城は板張りが印象的だった。
 まずは福知山光秀ミュージアム。消毒とかが別のテントでやらされて、仰々しかった。新しそうな施設。いきなり「麒麟がくる」の展示をしてたが、時間がないので無視。ドラマにはまったく興味はなかった。常設と思われる展示の方で、明智光秀は、八上城波多野秀治とか黒井城の荻野直正を攻略し、丹波を平定したとなっていた。その後、安土城も出てきた。私の一連の旅は明智光秀を追っかけているような気がした。
 福知山城は明智光秀丹波攻略の後に作られた城であり、娘婿の秀満を住まわしていた。大体、彦根佐和山城明智光秀とか言ってるし、坂本城にも住んでいたみたいだから、どこが明智光秀の城かはよくわからん。城は鉄筋コンクリートの再建天守で、あんまり人もいなかった。
 17時、閉館時間に追われるようにして出た。歩いて、城の横にある明智薮に行った。由良川の氾濫を抑えるための堤防で明智光秀が作った。今は外側に別の堤防があり、そこから明智薮を見ることができた。夕闇に沈む中、ただの林にしか見えなかったけど、歴史を感じた。
 帰りに福知山鉄道館ポッポランド2号館に寄ったが、時間が時間だけに閉まっていた。
 商店街はデカかった。昭和な雰囲気だったが、アーケードが余計だった。観光案内所で教えてもらったアオイ通りを通ると、地面に線路をモチーフとしたタイルが埋め込まれていた。多分廃線跡とは関係ないと思う。
 18時過ぎにノースフロントホステル。おしゃれなホテルという触れ込み。3階建ての小さな建物。横の居酒屋の存在感が大きく、一瞬通りすぎてしまった。ドアを開けると、洋楽が流れて、フロントには若い兄ちゃんがいた。兄ちゃんはぶっきらぼうで、ホスピタリティーのかけらも感じられなかった。入り口はオートロックで、鍵の番号とWi-Fiのパスワードを写真に撮るように言われた。こんなん初めて。部屋の鍵はチェックアウト時にはポストのような箱に放り込むシステム。部屋はとても狭くて、内装は白を基調としたアメリカン。こんなの初めて。その代わりペンキ臭かった。清潔感はとてもあったが、どっかからカラオケの音が聞こえてきたのはダメ。
 まずは明日の予定を考えた。北丹鉄道を巡るかどうかだが、歩鉄の達人がなぜか表示できなかった。他の情報でもあまり遺構も残ってなさそうだし、国道沿いでひたすら埃まみれになりそう。では、どこか他に行くかと言われるても、魅力的なところがなかった。あまりまとまらなくて、そのまま夕食に出かけた。
 お好み焼きふじ。名物は昼間食べていたので、B級グルメを狙った。ゴム焼きそばが名物らしい。店はおばあちゃんが一人でやっていて、完全にじゃりんこチエの世界。席はカウンターばかりで、かろうじて1席空いていた。ゴム焼きと並ぶ名物のうす焼きは生地が薄くて、山のようにネギが入っていた。これにソースをかけて食べた。ネギ大杉。ソースは辛くてあんまり。焼きそばも、麺は硬くてソースは辛くて。店の雰囲気は抜群だったけど、味はいけてないと思った。
 コンビニに寄ったら、スマホがフリーズしてることに気づいた。ホテルに帰ってからいろいろ試したけど、電源も消せない。困ったことになった。不安で仕方なかった。尼崎に帰ろうと思った。無視して旅行を続けるとか、福知山でドコモショップを探すとか、他にも手はあったけど、一番確実な方法を選んだ。
 柏原は落ち着いたいい町だった。ああいいう静かでこじんまりとしたところが私は好きだ。福知山はわかっていたけど、ほとんど見るところがなかった。鉄道の町では真っ先に名前が上がる町なのに鉄道関係が残ってないのが痛かった。そして、明智光秀は歴史上重要な人物にも関わらず、マイナスイメージが強すぎてコンテンツとして貧弱すぎた。彦根井伊直弼のようにアンチヒーローを推すのは無理があると思う。もともと山間部にはおいしいものがなくて観光資源に乏しいんだよなあ。