びーの独り言

どこいくの?どっか。

2020/11/07(土)「関宿&伊賀上野」

 旅行第6弾は関宿。関宿は東海道の亀山宿の西。前々から行きたかったが、なかなか行きづらい場所にあった。
 5時半、起床。やっと早起きできるようになってきた。647の快速でスタート。
 草津からは草津線。貴生川までは滋賀時代によく使っていた。4輌。シティライナーもどきからシティライナーになっていたw。沿線はほとんど変わってなく、相変わらず薄汚かった。建築資材置場や、更地で残土が積み上げられてたり。なんか草津線周辺だけ妙に荒れてるんだよなあ。他には、結構、古い家屋があったのが意外だった。昔は観光に目覚めてなかったからかなあ?貴生川を越えてからようやくローカル線ぽくなった。
 柘植駅は相変わらず寂しかった。ここだけ暗くて温度が下がる。広い構内に2面3線の長い長いホーム。5、6人しかいなかった。折り返しの草津行きに乗る人もいなかった。
 やって来た電車は2輌のディーゼルだった。静寂の中をブルブル音をたてながら入線してきた。扉は折り畳み。2輌でワンマンのロングシート。これってよく考えると三江線(廃線)や予土線で走ってる奴だな?柘植から東は完全に山の中だった。初めて乗るわけではないが、すごいところを走ってるなあと思った。これで本線なんだぜ?
 ふと気づいた。ICOCA使えないのではないか?運転手さんの他に乗務員さんが乗車していたので、事情を話した。すると「とりあえずここは現金で清算して下さい。それから、この用紙を駅員のいる駅で渡して、ICOCAの乗車記録を消してください」と言われた。なるほど。
 9時半過ぎに関駅に到着。降りたのは私だけだった。無人駅。静かだった。寂れた観光案内所があった。中を覗いてみたら、おじいさんが机に向かっていた。おじいさんは関宿の見所と歴史を詳しく教えてくれた。これであれこれ考える必要ないと思った。最高のスタートだった。
 駅を北に歩くと、国道1号線にぶつかり、さらにもう少し行くと東海道だった。関宿は東西1.8kmに広がっていた。右見てすごいと思った。左見てもすごいと思った。道は遠くまで見渡せて、ずっと雰囲気のある家屋が軒を連ねていた。それに余計な観光客がほとんどおらず、すごく静かだった。
 関の山車会館。関の山車と書いて「せきのやま」と読む。日常会話で「どうせあいつに頼んだって断られるのが関の山だ」の「関の山」である。山車が狭い町並みをギリギリ通っていたことからそう名付けられたそうだ。ここには山車が2台展示されていた。全国各地いろんなところで山車を見てきたが、この山車は台車の上が回転した。こういうタイプは初めて見た。
 東端の東追分を目指した。関宿では東に向かうと坂を下る。東追分では、伊勢に行く道と分かれていた。そこには鳥居があり、伊勢神宮の橋をかけ替えた時に出る木材を使うそうだ。伊勢の入り口という意味とのこと。因みに、ここの鳥居の使い終わった木材は生田神社で使われるらしい。
 関宿を西に戻り、関まちなみ資料館。昔の商家。
 もう少し歩くと、旅人宿石垣屋があった。そもそも関宿の存在はこの宿で知った。それなのに泊まらなかったのは、単純に高かったから。なぜか部屋の奥の引戸がことごとく開けられていて、奥の奥まで見ることができた。昔の商家をリフォームしておしゃれな感じになっていた。今までのゲストハウスのイメージとまったく違った。泊まったらいい思い出になっただろうに。土間で三味線を弾いているお兄さんがいた。石垣の屋号はやはり沖縄から取ったんだな。話かけたかったけど、その権利はないと思った。
 関宿旅籠歴史資料館。昔の旅籠。
 12時、もう見るべきとこはほとんど見てしまった。観光案内所で教えてもらった会津屋で昼食。山菜御膳は2200円。さらにプラス200円で松茸のおこわにしてもらった。なんか最近松茸ばかり食べてるような?大量のざるそばとおこわがヤバかった。これ晩飯いらん奴や。壁に貼ってある時刻表見てたら、おばちゃんが「電車で来たん?1時間に1本しかないで」と言った。「昔、貴生川に住んでたんですよ」と言うと「京都行く時は草津線乗るねん」と言われた。それは大変だ。
 西へ上って行くと、やがて下り始め、国道1号線に合流したところで関宿は終わった。早々とやりたいことが終わってしまったので、近くにある鈴鹿の関を探しに行った。写真ではただの崖のようだが、立て札くらいあるだろう。道はすごく上ってるし、誰もいなくて場違い感が半端なかった。観光客を通り越してこれはもう不審者。結局、鈴鹿の関がどこかわからなかった。
 地図ではその先に機関車広場というのがあった。どんどん上って行って不安になった。この辺かなと下ってみたら袋小路の民家に出て、犬にけたたましく吠えたてられたorz。ようやくSLを発見したその公園には誰もいなかった。SLはよく手入れされてるように見えた。もしかして、動くのではないかというくらいきれいだった。なぜこんな静かな山の上にSLが保存されてるのだろう?妙にインパクトのある風景だった。
 予定よりもだいぶ早く駅に戻ってきてしまった。1421、関駅から西へ移動。伊賀上野駅で下車。改札を出て、右を見たら伊賀鉄道がいない。あれ?改札に戻って、左を見ると、JRと同じ駅構内にいた。伊賀鉄道の車輌は忍者の目をラッピングしてるからすぐわかる。すっかりホームの位置を勘違いしてたらしい。急いで切符を買おうとしたら、前のおばあちゃんがもたもたしてた。乗り遅れるかもしれんと焦った。こんなとこで遅れたらひどい。飛び乗ってから検索してみると、発車時刻には全然余裕があった。
 改札の外に出してもらい、駅前のロータリーを見た。ここは12年前、Dさんに車で迎えに来てもらった場所だった。おそらく当時と何も変わってないような気がした。ただ、車に乗ったのがロータリーのどこかははっきりと思い出せなかった。正面だったと思うのだが?少なくとも右側ではない。車に乗ったら、そのまま正面の道をまっすぐ行ったところまで覚えている。まさかこの場所に立って、昔を懐かしむとはね。
 1521の伊賀鉄道で出発、上野市駅で下車。駅名標は忍者市駅になっていた。ここは上野市ではなく本当は伊賀市市町村合併で上野市は消滅した。私は隣の甲賀に住んでいたが、伊賀は観光しなかった。あの頃は観光に興味がなかったし、伊賀は隣とは思えないくらい遠いイメージだった。
 とりあえず城に行こうとして違和感に気づいた。観光案内所がない?駅に戻り、ヒントを探した。観光地図も置いてない。すると、小さな看板を見つけた。観光案内所は右のビルの1階にあるとのこと。ビルには宝くじ売場みたいな小さな観光案内所があった。なんでこんなに分かりにくい場所にあるのか?地図をゲットした。
 今日は時間もないので城関係は後回しにして、市街を歩くことにした。結構、昔の建物が残っていて京都ぽかった。大体、小京都なんて詐欺が多いのだが、ここはその名に値すると思う。それとも、私の小京都に対する基準が緩くなってきたか?
 赤井家住宅。武家屋敷。無料らしい。入るとピンポンと鳴っておばちゃんが出てきた。無料だよな?「もしかして、個人の家ですか」と聞くと、「伊賀市が買い上げてリフォームしました。展示スペースとして使ってるんです」と言われた。確かにきれいにリフォームされていたが、どの辺が武家屋敷かさっぱりわからなかった。
 続いて蓑虫庵。松尾芭蕉の弟子服部土芳の住まい。茅葺き屋根とか。
 17時、箱物は閉まる時間。夕食は思いきって「金谷」に行くことにした。伊賀牛で一番の店。今までの旅では一番の店には入ったことがなかった。でも、だんだんとモヤモヤが湧くようになっていた。ハズレ引くより確実に当たりを狙いにいきたい。案内された広い個室の和室の真ん中には、テーブルが置いてあり、その上には鍋が乗っていた。仲居さんにすき焼きを頼んだ。仲居さんの持ってきた皿には、霜降りの牛肉が3切れ、野菜が乗っていた。他には伊賀漬け、伊賀米、味噌汁。仲居さんは、最初に脂を引いて、一枚焼いた。砂糖と割り下をかけて「玉子を軽くとかして下さい」と言った。その中に肉が放り込まれた。私はすぐさま卵を絡ませて頬張った。うまい!ただ、過去のいくつかには負けてるような?所詮ただの肉だもんな。
 続いて野菜が全部投入され、その上に肉が置かれた。これはTさんが美味しいすき焼きと言ってた方法。「ほら見てみ、わしが言うた通りやろ?そんな店行かんでも家でやればもっと安くて旨くできるって」と言ってるような気がした。あんまり量はなかったけど、もともとお腹いっぱいだったからちょうどよかった。コストパフォーマンスとしては悪そう。8100円。
 ホテルは城の裏手だった。不安になるような暗い道を結構歩いた。安宿だから仕方ないと思ってたら、超巨大なホテルが出てきた。上野フレックスホテル。なぜかロビーにはBMWの車がたくさん並んでいて、即売会をやっていた。こんなホテル見たことない。宿泊代はGOTOトラベルで朝食付き3900円。地域共通クーポン1000円。さらに伊賀割というので、明日回ろうと思っていた箱物が無料。実質1000円くらいではないか?部屋は東横インみたいに新しく東横インにはない丸テーブルと椅子があった。当たりだと思った。
 関宿は期待してたにもかかわらず期待以上だった。こんなところがまだ残っていることに驚いた。よく整備されていてまるでテーマパークみたいだった。伊賀上野も市街が意外によかった。甲賀よりもよっぽど栄えてると思った。今日は大当たりの一日だった。