びーの独り言

どこいくの?どっか。

2019/08/15(木)休「入院」

 朝5時に起きた。今回の入院はGW明け以来、通算4回目だった。病院にたどり着くまでに心配な点が2つあった。一つは台風10号が近づいていて、JR京都線が間引き運転されることだった。始発のバスに乗って電車が満員だったらイヤだなと思った。また始発のバスでは入退院受付がギリギリになりそうだった。もう一つは荷物をどうやって持って行くかだった。スーツケースは重くなりがちで、以前バスの段差が持ち上がらなくて大変な目に遭った。結局始発の前に起きてJR尼崎駅までスーツケースをゴロゴロ転がした。とてもしんどくて、ハアハアと息がきれた。38℃の熱があるのに何やってんだという感じだった。電車はガラガラで、バスに乗ればよかったと思った。JR茨木駅では始発のバスまで30分もあった。休日ダイヤがこんなに遅いとは思わなかった。とても待ってられなかったので初めてタクシーを使った。タクシーはバスと違い万博外周をショートカットして松沢池の横を通って行った。1400円だった。これだったら使えると思った。病院に着いたのは715だった。入退院受付まで1時間以上あった。病棟に行くと早すぎてベッドは空いてなかった。受付から帰ってきてもまだ空いてなかった。すべてのタイミングが早くて裏目に出た。
 920ベッドに案内された。いつもの担当YさんはいないのかOさんだった。Oさんには、前回夜中にヘルペスの痛みで苦しんでいる時、背中をさすってもらった。部屋は廊下の一番奥の右側だった。あの暑い部屋か。ベッドは珍しく廊下側だった。窓側より広くていいかもしれない。スーツケースを開けて、中身をロッカーなどに整理した。今回はほぼ完璧に準備できた。早速朝の酸素濃度、検温、血圧測定および採血があった。また最初だけ行うふくらはぎと太腿回りの測定。懐かしかった。体重と身長も測った。さて、ノートパソコンを公衆無線LANに繋ごうとすると、今までと勝手が違っていた。見たら思い出すと思ったが、思い出せなかった。それか実際に仕様が変わっていたのか?ちょっと焦ったが、かつてないくらいすんなり繋がった。なんなんだ?
 薬屋のTさんがやってきた。なんか退院してからよく話をするようになった。病棟に行く度に声をかけられたような気がする。この人がベッドまで来る時は笑顔で怖い薬の話をするが、今日は飲んでる薬の確認だった。3日連続で飲んでいた抗生物質は今日は飛ばし、明日からは半錠になるとのこと。肝臓が悪くなった原因として抗生物質が疑われてると思われ。
 今回食事はすべて病院食にするつもりだった。おいしくはないけど、しっかり栄養管理されてるから安心だ。今日の昼食はなぜかそこそこおいしく感じられた。普段食べてるセブンイレブン弁当が余程不味いのかもしれない。昼食後にTさんのところに挨拶に行った。最近のセブンイレブン弁当は不味いということで一致した。
 13時半心電図を取りに行った。最初は必ず測るらしく。そうだったっけ?測定は一瞬で終わった。
 見たことのない若い男の先生が来た。昨日に聞いていた新しい先生だった。主治医の先生は夏休みだった。治療方針は、熱を下げ、肝臓を治し、輸血と骨髄穿刺をすることだった。途中からOさんがやってきて、ルートを取ることになった。すっかり忘れていたが、私にとってルートは鬼門。そして新しい先生は連敗して、 別件で出ていった。Oさんがルートを取ると成功した。前もうまくいった記憶があった。しばらくして、腎臓対策でいつもの水が繋がれ(クレアチニンも高かった)、横から赤血球が入れられた。
 夕食からパンにした。やっぱりうまくなかった。仕方ないわな。歯を磨きに行こうとしたら隣のベッドの人に挨拶された。するとその向かい側の人もカーテンを開けて出てきた。3人で情報交換した。2人ともにリンパ腫だったので話は噛み合わなさそうだった。でも、良さそうな人たちでよかった。因みにあと一人は不明。あとは夜中うるさくなければいいのだが?
 夜の担当はいつものYさんだった。19時Tさんのとこで話してたらYさんがTさんの検温にやってきた。ついでに検温された。37.3℃。ちょっとずつ上がってきたか?そのまま3人で話込んだ。20時過ぎに撤収。
 22時消灯。今日はいろいろあった。ちゃんと眠れればいいのだが?