びーの独り言

どこいくの?どっか。

2019/07/17(水)休「お見舞い」

 病院にTさんのお見舞いに行った。Tさんの家の近くにある店のお好み焼きと焼きそばとたこ焼きを食べる予定だった。9時過ぎに着いた。Tさんが午後から検査なので、午前にしゃべって午後に帰るつもりだった。Tさんは入院の時より声に張りが出てきて元気になってるように見えた。Tさんの治療のため廊下に出てた時にKさんの奥さんが談話室から手を振っていた。えっ?なんで病棟にいるの?12時にTさんの奥さんが粉もん3種を持って来てくれた。まずたこ焼きを食べた。とろっと柔らかくソースは薄めだった。お好み焼きもたこ焼きと同じだった。やきそばは腹一杯でお持ち帰りにした。すると看護師さんがやってきてKさんの奥さんが呼んでいると・・・。談話室でKさんと奥さんと話してると、Yさんが通りかかった。渡りに船とばかりYさんも巻き込んだ。Tさんのとこに戻り、検査の時間まで話しこんだ。14時過ぎにおいとました。
 尼崎駅でバスを待っていたらダスキンから電話があった。昨日社宅の前に車を停めていたら、警告が貼られていたとのこと。これまでスペースが広いので特に会社に断らず停めてもらっていた。昨日はロゴ入りの社用車でなく普通の車だった。どうやらうちと関係のない人が違法駐車してると思われたらしかった。すぐさま工場に行って謝ると同時にどうすればいいか聞いた。ダスキンの名前と私の名前を明示して来客用の駐車スペースに停めればいいとのことだった。大事にならずによかった。危険予知が足りなかったなあ。反省しなければ。
 そのまま職場に行った。2日連続なので用事はなかった。職場の皆さんに私の病状を知ってもらうことは私にとっては意味はあるんだが、完全に仕事の邪魔だった。思いがけず工場のKさん、Uクン、Aクンと遭遇して退院の挨拶と8月に職場復帰することを伝えることができた。たくさんの人に心配してもらってたんだなあ。
 夜いつものようにTさんと電話してたら、夕方に身体障害者の認定を取る説明を受けたと言われた。足が動かなくなったという話を聞いた時もショックだったが、これもまたショッキングだった。まだ足が治らないと決まったわけではないが、最悪のことを考えてのことらしい。私が入院してから何度かこういうショックな話を聞くようになった。その度に私は言葉が見つからず黙ってしまう。そして心の中で思う。なるようにしかならない。現状を受け入れつつ前向きに考えるしかない。すべて運命なんだと。でも、自分がその立場になった時にそう思える自信もない。私が落ち込んでも誰も喜ばないので、私は私ができることをやるだけ。いつもそういう結論になる。