びーの独り言

どこいくの?どっか。

2018/07/06(金)休「入院1」

 起床は4時45分。昨日一日中降っていた雨の勢いはまだ衰えていなかった。その影響で昨日のうちにJRのほとんどが運休と発表されていたが、京都西明石間だけは動くとのことだった。スーツケースへ最後の荷物を詰めると、大きすぎると思って捨てたスーツケースのはずなのに一杯になっていた。タクシー会社に電話すると雨の影響で予約を受け付けてなかった。ブレーカーを落としドアの鍵を締めた。6時前だった。
 傘を差し、スーツケースを転がした。道路でタクシーを探したが、車通り自体が少なかった。仕方なくとぼとぼと歩いた。スーツケースが細かい路面の凹凸を拾うので、コース取りに注意を払った。だいぶいらんもんまで持ってきたのに、替えのズボンを忘れたことに気づいた。この雨は日曜日まで降るそうだ。私には天が私の入院を悲しんでくれてるように思えた。激しい雨は私の落ち込みそうな気分を紛らわしてくれた。
 ダイヤの乱れが心配されたが、ほとんど影響は感じなかった。バスもいつも通りだった。7時半前に病院に到着。約束の2時間前だった。ローソンでおにぎりを買って食べた。濡れた身体が寒くて長袖のカバーオールを来たが、それでも寒かった。待合室のTVでは大雨の状況を伝え続けていた。あちこちで川の氾濫が起きていた。すると突然オウム真理教の教祖麻原彰晃の死刑が執行されたことが伝えられた。執行はまだないと思っていたから軽い驚きがあった。事件当時のことが懐かしく思い出された。
 9時半前に入退院センターに行った。番号札のとこにいたおじさんに「入院ですか退院ですか」と聞かれた。「入院です」と答えた。すぐに窓口に呼ばれ、診察券、保険証、書類を提出した。渡された冊子の上には入院用診察券とリストバンドが乗っていた。いよいよ始まる感じがした。
 指定されたナースステーションに行くと看護婦さんが病室に案内してくれた。部屋は4人部屋でそれぞれがカーテンで仕切られていた。昇降ベッドと鍵付きロッカーと床頭台。鍵付きロッカーがあればノートパソコンをしまえると思った。早速スーツケースを開けて荷物を全部出した。収納には困らなかった。
 10時前に別の看護婦さんがやってきた。私の担当とのことだった。矢口真里みたいなのでYさんとしよう。テンションが上がったのは秘密だ。いきなり採血15本だった。すげー調べるなあ。最初からガツンとかまされた感じ?でも、所詮採血。一回刺せば後は同じだし。
 しばらくして別の看護婦さんが来た。今度は薬の話だった。薬の服用チェック表もあるし、薬はとても重要になることがうかがえた。どんだけ飲むことになるのだろうか?
 病衣を着た。要は寝間着である。有料のレンタルで2日に1回交換になる。病院で指定されてるなら色々便利だろう。洗濯するより経済的らしいが、その辺はよくわからない。ポケットが1個しかなくて不便。じきに慣れるんかな。
 再びYさんが来て、体温、酸素濃度、血圧を測った。さらに膝下と膝上回り。これは初めて。なんだろうと思ってたら「左右の差はないですね」と言われた。 すると担当の先生が来た。若い感じの男性だった。「今日はレントゲンと心電図を撮ります」と言われた。なんかわからんが、盛りだくさんだな。「来週からは詰め込みますから」と言われた。とても外泊やら外出やらできそうな感じではなかった。
 Yさんの説明では、検温、検尿、検便、体重測定などが義務付けられていた。移植後の話が一番インパクトがあって、やはりしばらく動けないらしかった。その間は家族のサポートが必須とのことだった。大阪に帰ってきたのは正解だったかもしれない。
 12時過ぎに館内放送で昼食が告げられ、しばらくしてお膳が運ばれてきた。箸はついてなかったので、とりあえず持ってきた割りばしを使った。普通においしかった。
 13時前レントゲンに行った。こないだも撮ったんだが?被ってない?と思ってたらやたらといろんな角度から撮られた。特に頭。なんだろう?
 続いて心電図。一瞬で終わった。これで今日のノルマは終了した。するとテレビでオウム真理教7人死刑となっていた。一気に来たなあ。
 病室に帰ると会社から電話があったというメールが届いていた。Yさんに電話をかけると電話してもメールしても繋がらないとのこと。電話は圏外にいたから、メールはこっちの設定の問題だった。これで連絡は大丈夫かな。
 電話は病室ではなく共用スペースでしていた。基本的に音が出る作業はこちらでやる。すると同じ病室の人がいた。外国人のおじいさんだから目立った。椅子を勧められて自己紹介などをした。ドナーが見つかってよかったですねと言われた。見つからない人もいるみたい。ベッドが混んでて2か月待ったとも。私は運がよかったのか、それとも無理にねじこまれたのか。すぐに同じ部屋の患者さんとしゃべれたのはよかった。
 ヒマをもて余していたのでノートパソコンでネット接続できるか試みた。そもそもwifiを使ったことがなかった。電波は飛んでいた。しかし、ネットワークセキュリティキーを要求され撃沈。ocnへの問い合わせが必要だが、部屋に帰らないとユーザーIDなどがわからなかった。どうしていけると思ったのだろうか?なぜどこかで試さなかったのか?これではノートパソコンが無駄になってしまう。
 事前に聞いてなかったが、無料LANコーナーというのがあった。何の説明もなくただLANケーブルとコンセントがあった。わけわからなかったが、一応繋いでみた。いつものように接続しようとしたが、モデムからエラーが返されたり。そりゃそうだよな。設定変えずにうまくいくわけないよな。するとwifiのボタンの横に新しいボタンがあり、しかもアクティブになっていた。なんだこれ?押してみると、ネットに繋がった。これで一応なんとかなるか。
 病室に戻ると新しい移植の先生が来た。さっきの若い先生との分担がわからなかったが、上司部下の関係ということだった。「土日検査ないので例えば一泊二日で帰れます」と言われた。えっ?wifiなんとかなるかも。それ以前にここにいても仕方がない。「帰れるのは次の週までですね」と言われた。そこは確実に外泊だな。
 18時前に夜の看護婦さんが交代を告げに来た。
 18時夕食。おいしかった。キーウイの食べ方がよくわからなかった。
 Yさんが説明に来てサインした。「なんでも聞いてください」と言われてジーンとした。今までと違いすぎる。この差を演出したかったのか?
 明日外泊することにした。2日目にして外泊とは。wifiの接続や残してきた洗濯物を片付けようか。その前に電車動いてるのかな?
 20時前に夜の看護婦さんが血圧と酸素濃度。ナースステーションも人がいなくなり、夜勤はとても大変そう。
 消灯時間までやることなくて共用スペースでテレビを見ていた。昼間は賑やかだったのに面会時間を過ぎたからか誰もいなかった。不気味なくらい誰もいなかった。もしかして何か間違ってる?
 健忘症のおばはんとは一体なんだったのか。まったく違う病院に来た感じだ。ここはきちんと計画が立てられて俺のことちゃんと見てる。遂に本気出してきたな。
 すると誰か近づいてきた。まさかのおばはんだった。うそっ、なんで?こっちにも絡んでるのか?関係ないと思いたい。今日のいいイメージがほんのわずかほころびを見せた。何すんねん。