びーの独り言

どこいくの?どっか。

2018/06/18(月)年休「激震」

 血液内科の日だった。5時15分に起きた。出るものが出ない不安な立ち上がり。茨木駅でも粘ってたら始発のバスを逃し0713になってしまった。
 受付番号は13番。独り待合室に座り白壁を見つめながら、東日本の地震は病院だったなと思っていたら、激しい縦揺れが来た。うそでしょ?天井がギシギシして落ちてくるかと思った。頑丈なはずの建物が段ボールで作った家のように簡単に揺れた。
 揺れが収まり他の人が「外に出ましょう」と言ってるのを聞き、その通りだと思った。1Fに降りるとエントランスのTVでは既に地震のことを伝えていた。ここはほとんど震源地で震度6弱だった。
 こんな状況だから診察はないかもなと思った。館内放送では対策本部の設置がアナウンスされていた。仮想妹Rからメールが来て驚いた。心配してくれたんだな。電話がいくつも来たとメールが告げていたが、登録外の番号ばかりで誰からかわからなかった。Kさんにかけたが、こちらからは繋がらなかった。ショートメールを返しておいた。
 当初緊急の診察しかしないとアナウンスされていたが、9時から通常の受け入れが始まった。いつもより30分遅れだった。採血のところのシステムがダウンしたらしく手書きで対応していた。いつもは5本なのに9本に増えていた。ホント?
 10時過ぎに処置室から呼ばれた。針を刺す先生がいなくなるので、先に針を刺しておいて水を点滴したいと。そのままベッドに通された。いつもと違い本を読んだ。ケータイの電池を温存するため。
 10時15分Mさんから電話があった。こちらは大丈夫であることを伝えた。ほとんどの人は会社にたどりつけてないようだった。実験器具が心配だったが、無事だったとのこと。
 輸血用の血液もなかなか届かずスタートは11時半だった。寝たり本を読んだりしていた。13時半終了。
 終わり際に先生がやって来て「8月中旬に入院」と言われた。ついにきたか。盆にかかるかどうかが気になった。詳細については移植の先生と話をすることになった。すると移植日はすでに決まっていた。おばはんの言ってた日程と全然違ってた。逆算すると入院はもうすぐだと予想された。また後日連絡があるらしい。
 14時半入院についての説明を受けた。衣服がどうとかTVがどうとか細かいルールと、入院の際に提出しなければいけない書類。wifiは無料ではなくルータを借りるようだった。
 15時胸部レントゲン。移植の先生に指示された。これこないだ撮ったと思うが?連携悪いよなあ。
 やっと昼食。店は全部閉まってた。ローソンの棚にはちょっとだけパスタがあった。一般開放された食堂でパスタを食べた。
 会計は終わったが、電車は動いてなかった。どこにも行けず、ずっとTVを見ていた。
 16時半電車は復旧していないが、JR茨木駅に戻った。ネカフェに行こうと思ったら閉まってた。歩いて実家に行こうと思ったが、鬱陶しいので止めた。映画を見ようと思ったらイオンは閉まってた。
 待つのは辛かったので、バスで阪急石橋に向かった。まるで旅行みたいな強引なルート。高校時代にあった小野原のマクドは健在だったが、王将はなくなっていた。
 想定外の石橋から十三乗り換えの塚口下車。阪神バスで帰った。帰ったのは21時だった。
 骨髄バンクから請求書が届いた。ドナーが決まったことが記されていた。「移植の詳細はネットで公開しないように」と書かれていた。やっぱりそうだよな。今後書き方を見直さないと。
 実家に連絡した。地震は大丈夫だったみたい。移植のことを伝えておいた。
 引越し手続きで頭がややこしいところに入院の話が加わり完全にぐちゃぐちゃだった。日付の提示は私にとって地震よりも余程激震だった。