びーの独り言

どこいくの?どっか。

2018/05/27(日)「加古川」

 起床は8時。よく寝たような気がした。「東横イン」の朝食はやたら混んでいて、だんだん嫌いになってきた。出発は9時。正直遅いが、もう早起きできない。最近早起きすると一日中眠気を引きずっている。
 加古川を選んだのは高砂線の廃線跡巡りである。今日はだいぶ距離があるので一日ハードになりそうだった。9時半駅リンで自転車を借りた。
 「歩鉄の達人」をプリントアウトしていたが、スタートの山陽本線とクロスするまでの情報はなかった。そしてまったく廃線跡はわからなかった。プリントを頼りになんとか山陽本線とクロスするところを見つけた。プリントがなければ最初から終了していただろう。
 廃線跡は道路に転用されていた。道路に転用されるとまったくわからなくなる。ふいに分岐したりする可能性もあるので落ち着かない。幸いなことに歩道が遊歩道みたいになっていた。
 遊歩道が途切れ道路の反対側に動輪と駅名標のモニュメントを見つけた。野口駅跡だった。ここからは別府鉄道が分岐して、日本で一番寂しい私鉄乗り換え駅と呼ばれていた。別府鉄道の方は一旦置いといた。
 そのまま道路を進むと右手の公園にSLが出てきた。錆びてボロボロでかわいそうだった。ここが鶴林寺駅跡だった。
 鶴林寺のことは知らなかったが、国宝があったので寄り道。聖徳太子が建立したらしい。聖徳太子というのがいかにも古い感じ。門からして凄みを感じた。真正面には瓦葺きの大きな本堂。右手には茅葺き屋根太子堂。左手には三重の塔。本堂と太子堂が国宝指定されていた。建築様式が日本と中国が組合わさってるらしいが、専門的なことはよくわからない。しかし、見た感じは荘厳さを纏っていて歴史の重みを感じた。
 この先は山陽電鉄をアンダーパスし、そのまま山陽電鉄沿いに進んだ。廃線跡は相変わらず道路だった。道路に面した公園に動輪があり尾上駅跡だった。続いて山陽電鉄尾上の松駅になった。
 その先でついに廃線跡が姿を現した。畑の畦道にされていた。廃線跡の根拠として3つの鉄橋があった。途中で謎の分岐が現れたが直進した。そして加古川にぶつかり痕跡はなくなった。ここには橋が架かっていたが、完全に撤去されたと知っていた。
 加古川を渡るためには南の橋を渡る必要があった。方向が同じだったので謎の分岐を追っかけた。わかりやすくて楽しかった。特に畑に転用されてるのは初めて見た。この線は加古川にぶつかって消滅した。
 南の橋を渡り堤防を北上し廃線跡に戻った。少し行ったところが山陽電鉄高砂駅だった。廃線跡高砂駅の南側を緩やかに西方向から南方向に曲がっていた。そして廃線跡は自転車置き場になっていた。昔私は2回くらい出張でここに来たことがあるが、廃線跡がこんなに近くにあるとは思わなかった。
 自転車置き場の先は遊歩道になっていた。遊歩道の右側にポイントを切り替えるレバーが出てきた。ここで引き込み線と分岐していたと説明があった。よく見ると腕木式信号もあった。分岐の方は広い空き地になっていた。引き込み線はやってないので本線を進んだ。
 やがて少し広い場所にたどり着いた。ここにも動輪があり、終点の高砂駅跡だった。左手にはボロボロの商店街があった。昔の名残だろうか?
 廃線跡はさらに延びここからは貨物線だった。一般人が立ち寄らないような工場地帯の中を遊歩道が南に延びていた。そして海が見えたとき終点の高砂港駅跡だった。日通を探したが、ここにはなかった。
 野口駅跡まで戻った。腹が減ったので小さなスパゲッティ屋さんに飛び込んだ。凄いいい雰囲気のお店でしかもとてもおいしかった。
 14時別府鉄道野口線の探索をスタート。こっちに関してはカンペは持ってなかった。いきなり遊歩道だった。まず川に架かる鉄橋が出てきた。珍しい形をしていたので貴重な橋かもしれない。
 続いて右手に公園が出てきて、昔の気動車が展示されていた。木造で前後に荷物を乗せるテラスがついていた。有志により色が塗り替えられたり管理されているようだ。
 さらに進むと道路との交差部分でレールが埋まっていた。紛れもない廃線跡の証拠にテンションが上がった。
 山陽電鉄別府駅横をアンダーパスすると遊歩道は終わった。ここから先は「歩鉄の達人」を読んだときの記憶だけが頼りだった。幸いなことに遊歩道の延長には道路が続いていて、進んでいくと別府鉄道の看板が見えてきた。別府鉄道の本社だった。まだ会社として存続してるかはよくわからなかった。
 さらに道路沿いに進むと多木化学の門にぶつかった。別府鉄道は多木化学の肥料を運ぶために作られた。ここが終点でいいだろう。
 次の別府鉄道土山線がどこから分岐してるかまったくわからなくなった。仕方ないので山陽電鉄のアンダーパスまで戻り、東に進んだ。きっとアンダーパスがあるはずだ。
 読みは的中しアンダーパスが見つかった。その先は道路になっていた。畑の中を道路は進んだ。まったく廃線跡のように見えなかった。道路をだいぶ進んだが、どうにもわからなくなった。ここに来てロストか。足取りは重く元気は出なかった。
 すると道端に急に黒光りする有蓋車「ワム」が現れた。しかも別府鉄道の社章付き。これは畑の中の道路が廃線跡かもしれないことを示していた。それにしてもなぜこんなとこに置いてあるのだろうか。しかも保存状態も良さそうだし。
 希望を持って前進していくとやがて道路は公園にぶつかった。そして公園には遊歩道があった。遊歩道があることは知っていた。終わりが見えた瞬間だった。
 案内板に別府鉄道の展示があると書いてあったので郷土資料館に寄った。小さなコーナーだが、切符や行き先標示などの貴重な鉄道グッズや年表が掲げられていた。
 元々の目的だった考古博物館では特別展で兵庫県の山城を紹介していた。城がブームであり、体験がはやっているので、山に登るのはいかがと提案していた。素晴らしいと思った。ただ山城は相当マニアックだろう。
 遊歩道はやがてJR土山駅に到達して終わりを迎えた。終わっちゃったという感じだった。
 16時半加古川駅へ向かった。国道2号線でショートカットした。ずっと下っていて助かった。17時過ぎに自転車を返却した。
 この土日は念願の姫路城に行けたのがなによりだった。期待以上のインパクトがあったのは明らかに成果だった。それから先週の尼崎港線とともに飾磨港線と高砂線は子供の頃から私の中で三大盲腸線として気になっていた。今回まさか廃線跡巡りしてコンプリートするとは。自分でも驚いている。別府鉄道は東京のNさんがわざわざ遠征した場所で気になっていた。人が行くと気になるもので。次はどこに行こうと言うほどの廃線跡はとりあえずなくなった。姫路城がなかなかよかったので有名な観光スポットを回ろうかと思っている。あんまり時間がないから悔いのないように過ごしたい。