びーの独り言

どこいくの?どっか。

2016/11/28(月)「面談」

 金曜日の帰り際にSさんからメールが来ていた。半期ごとの査定を告知する面談だった。実験の都合上、今日にしてもらった。病気の話が出ることは確実だったので、大阪で治療すべきと書かれた診断書を持って行った。会社に着いてから思ったのは、Sさんに話すなら先にTさんに話さなければいけないのではないかということだった。Sさんは話にならないのでTさんに味方になってもらわなければいけなかった。けれど、Tさんに私の処遇をどうするかを決める権限があるとも思えなかった。もしかするとTさんはすでに病気のことを知っているかもしれない。どうも金曜日の昼間の様子がおかしかったし。結局Tさんに言うのは見送った。誰にでも説明するようなことでもないしと自分に言い訳した。
 午後Sさんと面談をした。査定の話はどうでもよかった。問題は大阪転勤の話だった。延び延びになって東京で倒れて親を呼ぶという最悪のシナリオも見えていた。こういうご時世だから退職に追い込まれることも考えられた。でも、関係者の間では、大阪に戻すべき、ということで一致しているらしかった。意外な感じがした。総務部長が動いてくれているような気がした。部署は今の所属のままになりそうだった。大体そうなるんじゃないかと思っていた。「病気のことは伏せて、何か他の理由を考えないとな」、全然そんなこと考えてなかった。病気なんだから病気でいいのにと思った。明言はなかったが、来年早々に大阪で産休に入る人がいるので、その後釜になるのでは?
 こないだ総務部長に呼び出されたときは、誰が総務部長に話したのだろうと疑問がわいた。「Sさんに君のことを聞いたが、Sさんは状況がわからないので直接本人に聞いて欲しいと言ってた」と言っていた。まるで総務部長が主体で動いている感じがした。しかし、Sさんは「先に総務部長に話した」と言った。頭の中に?が浮かんだ。Sさんはなぜ直接私に聞かなかったのだろうか?そしてなぜ1年も放置したのだろうか?Sさんが本当のことを言ってるとはとても思えなかった。本当にこのブログからバレてるのじゃないかと思った。そうだとしても今更だが。
 大阪に行くといよいよ病気と向き合わないといけなくなる。いまだに自分が病気ということを信じられない。理屈でわかっていても信じたくはない。さっさと骨髄移植を受けるべきという考えとこのまま何も不自由ないうちは粘りたいという考えが半々だ。ちょっとした機嫌だけでどちらにも傾いている。新しい材料は大阪に行って、予後の説明や家族の意向を聞いてというところか。