びーの独り言

どこいくの?どっか。

2015/08/02(日)「郡上2」

 起床は7時15分。共通の洗面所に年配の人が2人。「踊りましたか」と聞かれて話してるうちに昨年も来たという話になった。もしかしたら、昨年も同席?7時半から朝食。他に年配の女性4人組だけ。満室なのに朝食食べる人少ないんだなあ。特に話しかけられることもなく、会話を横で聞いていた。部屋に戻ってから、チェックアウトまでブログを打っていた。
 ぎりぎりの9時半チェックアウト。すでに郡上八幡は観光しつくしていた。身体がボロボロでどこかで寝ていたかった。来年は月曜日を休んで2日取る必要はないと思った。仕方がないので美濃市まで戻って観光することにした。2km離れた駅まで歩くと1時間半待ちだったorz。暑いので駅前の古そうな喫茶店アンドレ」に入った。誰がいるのだろうと思っていたら、おじいさんがだべっており、美濃白鳥駅前の喫茶店を思い出した。田舎だと喫茶店は年寄りの憩いの場になってるようだ。思いがけず大好物の宇治金時のかき氷を見つけた。
 1118の13分遅れで郡上八幡を出発。先頭の座席から線路を眺めていた。運転士さんが必死で遅れを取り戻そうとしていた。カーブで車輪が悲鳴を上げてるように思えた。時折通りすぎるトンネルはどれも小さなサイズでところどころから水が漏れていた。長良川を渡る鉄橋には欄干がなかった。豪雨になって橋が流されたらすぐに廃止になるかもしれないが、元々橋脚がないのかもしれない。
 美濃にはずっと来たかった。それは駅からすぐのところに旧名鉄美濃駅があるから。こんなマイナーなところで国鉄名鉄が競合してたことが不思議だった。美濃市駅はこれが市の玄関だと思えないくらい寂しかった。歩いてすぐのところに名鉄の駅舎と昔の路面電車が留置されていた。思わず京福四条大宮の駅を思い出した。あまり感慨深くなかったのは到達するのが簡単だったからだろう。
 美濃はうだつの町並みで有名らしかった。先週ちょうどテレビで取り上げられていた。外は昨日以上に暑く歩くのがとても億劫だった。うな丼のうまそうな匂いがしたので「おぜ屋」へ。3400円の特上を頼んだら、うまくてびっくりした。少なくともミープル横よりはうまかった。まるで疲れが吹き飛ぶようだった。うまいものの持つ力を再認識した。またここの冷房が気持ちよくてなかなか席を離れられなかった。
 うだつの町並みは津和野や川越よりもいい感じに残っていた。あまり有名じゃないのが不思議だった。今井家住宅に入った。よくある豪商の家だった。奥の倉が展示室になっているのは斜陽館と似た構成。居間に座って紹介DVDを見てると、涼しい風が吹き抜けていった。昔の日本家屋は機能性が考えられてたんだよな。
 続いて美濃和紙あかりアート館に行った。ここでは和紙とあかりを組み合わせた作品を展示していた。毎年コンクールをやってるようだ。和紙の持つあたたかさとあかりの持つやさしさがやわらかな空間を演出していた。
 今日はなんせ暑すぎた。昨日郡上八幡で38.9℃だったらしいが、それ以上に感じられた。正直観光のために道を歩くなんてやってられなかった。駅に戻ると電車は行ったばかりで1時間待ち。今日はこんなんばっかりだなあ。周りに店もなく絶望した。人が外の日陰に集まっていたので私もそこに座り込んで自販機のジュースを飲んだ。頭がぼんやりしてたのか1時間はすぐに過ぎた。改札窓口で記念タオルを売ってたので買った。510円だった。
 1602郡上八幡への電車はガラガラだった。日曜日だけど地元の人は利用しないようだ。先頭に座って景色を見ていた。さすがに何度も乗っているので見慣れてきた。
 郡上八幡駅からのバスはなかった。暑い中とぼとぼと歩いた。とてもハードだと思った。なんとかユースにたどりついたが、ユースには風呂がないので風呂屋が開いてるうちに行かなければならなかった。風呂の次は腹ごしらえ。行きたくなかったけど探すのが面倒になり「平甚」。やっぱおいしいとは思わなかった。疲れ果てていてもう夜のおどりはやめとこうかと思った。部屋に戻って横になったらすぐに寝てしまった。
 起きたら21時半前だった。調べるとおどりはあと1時間だった。気乗りしないけど、ここで行かないと悪い印象を残してしまう。甚平と下駄で会場の城山公園へ。城山公園は地面が土なので下駄の音が響かず、好きではなかった。でも、遅い時間だったからか人がおらず踊りやすかった。1時間しかなかったが、「かわさき」「三百」「春駒」「猫の子」「相撲甚句」「まつさか」と大満足の選曲だった。とても運がいいと思った。