尖閣にいる間、無性に日本を旅行したくなった。最近にしては珍しく行き先はすんなりと決まった。郡上八幡には日本の夏が凝縮しているような気がした。
朝4時に起きた。いつもの荷造りに加えて、下駄と甚平をリュックに詰め込んだ。千葉みなと0531出発。東京駅で「シウマイ弁当」を買った。新幹線は0643出発。「シウマイ弁当」はいつもよりおいしいような気がした。新幹線ではとても日本を感じるような気がした。当たり前のことがいろいろと新鮮に感じられた。
名古屋下車。思わずみそかつ弁当を買ってしまった。特急「ワイドビューひだ」は0843出発。最初に後ろ向きにスタートしたが、岐阜でスイッチバックして高山本線に入った。ワイドビューはとてもいい感じだった。みそかつ弁当を食べながら景色を眺めていると、だんだんと田んぼが増えて、夏の日差しに緑が映えた。狙い通りだった。
美濃太田下車。目指す長良川鉄道の車両が停まっていた。ディーゼルの単行が記憶通りのえんじ色に塗装されていた。最初ちらほらとしかお客さんがいなかったのに、発車間際にはいかにも観光しますという格好のじいさんばあさんで席は埋まった。列車が「ゆら〜り眺めて清流列車1号」と名付けられていたためだろう。じいさんばあさんたちは周りの迷惑を省みることなくペチャクチャとうるさかった。電車は長良川を渡る度にスピードを落としたが、その度にばあさんたちは車内を移動しまくって写真を撮りまくった。ローカル線の存続にとってはお客さんはありがたいだろうが、雰囲気を楽しみたい私には風情も何もあったもんじゃなかった。残念なじいさんばあさんたちは予想通り郡上八幡で降りていった。にわかとはそんなもんだ。
郡上八幡の先は本来の静かさを取り戻した。周囲の高い山の間に長良川が流れ、アユ釣りの人たちが長い竿を持って川の中に立っていた。長良川の周りの狭い平地はどこも田んぼになっており、抜けるような青空から強い日差しが降り注いでいた。風に揺られる度に緑が輝いていた。まさにイメージ通りの日本の原風景だった。線路は長良川に沿ってくねくねと徐々に高度を上げていった。
美濃白鳥を過ぎると車内はいよいよ閑散とした。この先は行き止まりだった。平地が減り、民家も減ったように思えた。地元の体操服を着た高校生を除けば、残りの客が同業者であることは明白だった。やがて孤高の終着駅北濃に到着。2年前はあまり感動しなかったのに、今回はせつなく思えた。2年前との違いは、閉まっていた駅の食堂が開いてたくらいであるが、この2年間で私の捉え方が変わってしまったとみるのが正解だろう。草むらの中に転車台を見つけた。美濃太田にも転車台があったのでSLを運転できるのではと思った。絶対似合いそうだ。
折り返して美濃白鳥で降りた。2年前に駅前喫茶店で食べた味噌煮込みうどんをもう一度食べたかった。その前に郵便局に行った。軍資金が足りなかったのだ。旅には郵便局が必須であり、また強く印象に残る。時間があったので長良川まで歩いてみた。白鳥は郡上とはまた違う徹夜踊り「白鳥おどり」の舞台となる。小さな商店街にはいたるところに白鳥おどりの文字が踊っていた。いつか参加してみたいな。長良川は大河だとは思えない川幅になっていた。ここでも鮎釣りの人たちが川の中に立っていた。駅前に戻り喫茶店に入ると、期待通りの昭和の雰囲気だった。壁に貼られたメニューにはお目当ての味噌煮込みうどんはなかった。こんなに暑いと仕方ないか。代わりにそうめんを頼んだ。ガラスの器の中に水と氷とそうめんが入っていた。どこか懐かしい雰囲気で、味もまた懐かしい味だった。店のおばちゃんは客のおばちゃんと地元の話をしていた。2年前とまったく変わらなかった。ここではずっと時間が止まってるのかもしれない。
郡上八幡に到着すると、すぐに駅前にコミュニティバスが来た。ここは市街地まで少し離れている。わけわからずに飛び込んでみると、前に乗ったことのあるバスだった。ぐるっと遠回りして街中に入った。博覧館で降りて中に入った。15時からの郡上おどりの実演が始まっていた。客はじいさんばあさんばかりだった。実演をしていた女性は2年前にも見たことがあるような気がした。早く踊りたくなってきた。
16時過ぎユースホステルに行こうとして、吉田川の支流である小駄良川の橋を渡ろうとすると、小学生の女の子が2人水着姿でうろうろしていた。橋から下を覗きこむと、何人かの子供が泳いでいた。とても田舎という感じがした。
洞泉寺ユースホステルはお寺なのでどんなところだろうと思ったら、とてもきれいなところだった。事前予約では相部屋にしたが、私以外の靴は見当たらず、案内された部屋は4畳の個室だった。これだと旅人通しの触れ合いはなさそうだ。部屋の鍵はなく、風呂も外の銭湯。なかなか個性的なシステムだなあ。
夕食は2年前に行列ができていた「そばの平甚」。もしかして入ったことがあるような?17時の開店とともに入ったのは私だけだった。瓶ビール1本、そば、飛騨牛丼。うーん、確かに忘れそうな味だなあ。1時間の間、ずっと私しかいなかった。シーズンをはずすとこんなもんか。
19時銭湯に行った。「天徳湯」、入るとすぐ番台があり、おじいさんが座っていた。昭和の銭湯のイメージそのまま。先客で若い男の子が1人いた。大きなリュックを持っていて、旅行中のようだった。服を脱ぎ、浴場に入ると、左手に鏡と蛇口、右手に湯船。湯は限りなく透明で、温泉臭さはまったくなかった。透明感が逆に普通の水でないことを感じさせた。旅行中の銭湯も思い出に残るんだよな。
20時前に部屋で甚平に着替え、下駄を履いて、踊り会場に行った。場所は2年前と同じ本町。踊りが始まるまでは居場所がなかった。独りで来てる人はいないよなあ。でも、それは最初だけで、いざ始まってみれば、夢中で踊っていた。さすがに徹夜踊りのとき比べると人は少なかった。それでも、どこにこんなにいたのかというくらいはいた。今回は若い人がいないなあと思った。若い人は徹夜だから来るんだろうか?地元のうまい人が多かったので、踊りを覚えるにはいい環境だった。ずっと踊っているとだんだん疲れてきた。心に余裕が出てくると次のことを考えるもので。また尖閣に行かなきゃいけないのに踊っている場合かと。急激な環境の変化に感情がついてきてないみたいな。そんなのどうでもいい。再び踊り続けた。22時半に終了。何もかも忘れてくたくたになった。