びーの独り言

どこいくの?どっか。

2013/11/30(土)「地下鉄」

 起きたのは7時半だった。転勤対策で東京の未乗区間を乗り潰すつもりだったが、「百萬石」で飲みたい、という非常に強い感情が湧いてきた。東京の未乗区間敗戦処理みたいで、あまり魅力を感じなかった。8時半なんとか奇跡的に外に出た。しかし、外に出てもなお「百萬石」の誘惑は消えなかった。この状態はとてもヤバいと思った。結局千葉みなと駅で駅そばを食べてごまかした。千葉みなと駅をスタートしたのは0940だった。
 千葉みなと―新木場―月島―光が丘―都庁前―森下―(新宿線)―新宿―代々木上原―綾瀬―北綾瀬―綾瀬―北千住―中目黒―渋谷―押上―泉岳寺西馬込―五反田―新宿―渋谷―浅草―上野―池袋―大泉学園
 気が乗らなかったのは、未乗区間のほとんどが地下鉄だったからだ。地下鉄には13路線あり、東京メトロが9路線、都営が4路線となっている。この中で全線通じて確実に乗ったことがあると言えるのは有楽町線副都心線だけだった。路線図を見ながら、どう乗れば一番効率がいいか考えたが、複雑すぎて頭がごちゃごちゃするだけだった。考えるだけ時間の無駄なので、乗りながら考えることにした。
 まず新木場に行き、メトロと都営の一日乗車券を買った。1000円だった。有楽町線に乗り、最初に乗り換えとなる月島で降りて、大江戸線に向かった。大江戸線は最近にできた路線で、「の」の字型となっている。まず交点の都庁前を通過して終点の光が丘まで行った。すぐに折り返し、交点の都庁前で乗り換えた。月島まで戻れば一周が完了したが、月島から森下は乗ったことがあるので森下で降りた。大江戸線は断面が小さく元々あまり好きではなかったが、さらに全線地下でまったく地上部分がなく、駅構造も判で押したように同じだった。まったく魅力を感じない路線だった。
 森下からは新宿線で新宿を目指した。因みに逆方向に向かうと地上に出て総武線本八幡まで行けるのだが、こちらは乗ったことがあった。新宿線は京王に乗り入れている。京王の線路幅は、狭軌でも標準軌でもなく、昔の馬車軌道に合わせてあり非常に珍しい。ただそれだけのことで、乗ってる間に線路幅を意識することはなかった。新宿までは地下に潜っているだけで、特に何もなかった。
 新宿から小田急代々木上原に向かった時には、既に1301だった。意外と時間がかかってる印象だった。代々木上原からは千代田線に乗った。千代田線は代々木上原小田急、綾瀬ではJR常磐線に乗り入れている。千代田線は綾瀬駅の手前で地上に出て、常磐線に両側を挟まれながら進んだ。終点の綾瀬駅で一旦降りたが、綾瀬駅の先には、車庫までの回送線を利用した北綾瀬駅があった。綾瀬駅北綾瀬行きホームを探すと、ホームの前方が切りかきの0番線となっていた。閑散としてるのではと思っていたが、ホームにはたくさんの人が待っていた。ちゃんとホームドアが設置されていたし、到着した電車は3両もあった。出発した電車はゆっくりと左に大きくカーブし、常磐線に別れを告げた。回送線と言っても、ずっと複線の高架だった。東京のど真ん中にこんなに長い回送線があるのが不思議だったが、なにかいろいろと事情があったんだろう。北綾瀬駅のホームは一つしかなかった。ホームにはたくさんの人が待っていた。せっかくだから改札外に出てみると、普通に栄えてそうだった。なかなか香ばしい物件だった。
 北千住で遅い昼食にした。北千住で降りるのは初めてだった。北千住には千代田線の他に、常磐線東武日比谷線、TXが通っている。そのせいで駅構内はとても複雑になっていた。一旦外に出ると、駅東口は非常に雑然としていた。適当に「はなまるうどん」に入った。再び駅に戻り、日比谷線に乗り換えると、意外にもホームは3階にあった。電車がやってくると東武の車両だった。日比谷線東武と乗り入れている。出発してからしばらくは、複雑な構内を食い入るように見ていた。日比谷線は両端を除きずっと地下だった。終点中目黒では東急東横線と接続していた。今年まで東急と乗り入れていたが、日比谷線の車両は18mで、東急は20mだったので、日比谷線にホームドアが設置できないという問題があった。東急は副都心線に乗り入れるのと同時に、日比谷線との乗り入れを解消した。
 その東急東横線副都心線に乗り入れている渋谷に行き、半蔵門線に乗り換えた。半蔵門線東急田園都市線と乗り入れており、改札の外に出なくても乗り換えられるようになっていた。半蔵門線の途中には住吉駅があった。この駅には豊洲から伸びる新線用のホームがあるとのことだったが、確かに島式ホームの外側が柵で閉鎖されていた。東京オリンピックまでには新線ができるそうだが、その時私はどこにいるのだろうか?半蔵門線は終点押上も地下であり、まったく景色を楽しめなかった。半蔵門線はそのまま東武に乗り入れていたが、私は押上で下車した。
 押上はスカイツリーの最寄り駅であり、冬休み間近の賑やかな雰囲気だった。押上は元々京成のターミナルであり、京成は浅草線と乗り入れていた。浅草線は途中の泉岳寺京急へ乗り入れるために、押上にやってきた車両は京急方面ばかりだった。泉岳寺では向かいのホームに終点西馬込行きが止まっていた。座席が埋まる程度に人は乗っていた。結局最後まで地上区間はなかった。
 西馬込から五反田に戻ると外はすっかり暗くなっていた。JR山手線に乗ろうとしたら、スイカがはじかれた。よく考えれば、小田急の新宿で入ったままだった。仕方なく新宿に行って精算を済ませた。渋谷に戻り、銀座線に乗った。銀座線には、一番古くて浅いところを通っているというイメージがあったが、ホームが3階にあるのには驚いた。銀座線の車両は他の路線と違い、一面黄色だった。確か昔の車両に似せたものだったかと。乗ってみると少し狭いような気がした。本当に小さいのかもしれない。ホームは妙に天井が低く、四角い柱が多かった。6両編成で他の会社は乗り入れてなかった。あちこちに歴史を感じさせる路線だった。
 19時に今日の日程を切り上げた。残りの路線は、東西線丸ノ内線南北線三田線、すべて地上区間がある路線だった。20時半大学友人Sといつもの大泉学園。「村さ来」から、そのままSの部屋へ。